第35話 異世界で生きた証《あかし》
第06節 ブレスレット〔3/6〕
◇◆◇ ソニア ◆◇◆
双葉さまをはじめとする、飯塚・柏木両家の親御さんたちを迎えた、ウィルマーの銀渓苑。その夜は、大層豪華な料理でもてなされました。
ただ、現代日本人の味覚と、この世界の人たちの味覚は、どうしても違います。それを理解している銀渓苑の女将は、美奈さんに協力を求め、マグロのステーキ膳をメインに据えることになさったようです。実際、クマ肉やヤギ肉は、双葉さまはあまり好まれなかった模様。その箸の進み具合を確認し、美奈さんは考え事をなさっています。
あとで確認したところ、こちらの食材メインで大人たちをもてなす料理を考えていたのだとか。味付けを工夫する必要がある、と真剣に検討していました。
そして、夜。今では『倉庫』は、全員で開扉する必要はありません。ということは、〔ポストボックス〕の確認と郵便物の移し替えも、全員でやる必要はないのです。
だから、手の空いている人が適当に。そのついでに、モビレア城にも、私たちが現在ウィルマーにいる事、公爵閣下に謁見を求める事、その際客人を紹介したいこと。そして、アドリーヌ姫の〝誓約の首輪〟が解けた事、などを伝達しました。
翌、聖都落城から4日目。旧暦726年夏の一の月の居待。新暦22年5月19日。
銀渓庵に、モビレア公の使者が訪れました。曰く、シロー・ウィルマー閣下の姉上様をお迎えしたい、と。
私たちが〔ポストボックス〕経由で伝えた書面には、客人の素性は記していません。けど、モビレア公は既に、その事をご存知でした。つまり、ウィルマーギルドから(〔ポストボックス〕を使わず)早馬等でその事実が報じられていたのでしょう。
皆で苦笑しながらも、迎えの馬車に乗り込み、モビレアの街を目指すことにしました。
◇◆◇ ◆◇◆
私たちが通されたのは、けれど謁見の間ではありませんでした。
王族を歓待する為の、応接室。
そしてそこでは、公爵閣下と公妃殿下が、平伏したままで双葉さまをお迎えしたのです。
丸一日、その素性を知った全ての人から平伏された双葉さまとて、これほどのお城に住まわれる公爵ご夫妻に平伏してお迎えされる。その事実に、そろそろ限界を超えてしまわれるようです。
「初めて御意を得ます、フタバ・ウィルマー陛下。
某はこの、かつてカナン帝国帝都カナンの領地でもありました、モビレア地方の統治を任されており――」
「ちょ、ちょっと待ってください! もう結構です。
申し訳ありませんが、私は史郎ではありません。
そして、史郎の血縁上の姉ではありますが、――史郎を守ることも、支えることも出来なかった、凡愚な人間に過ぎません。
私の身内にとっては、史郎は社会不適合者、落第者。この街で言えば、貧民にも劣る、落伍者です。そして、周りの者が史郎に対してそう言っても、私は史郎を庇うことさえ出来ませんでした。
そんな私が、この世界で。ただ『史郎の姉』というだけで、明らかに高貴な身分の方が、私に向けてそのように平伏なさる。それは、失礼ながら私の矜持が許しません。
むしろ、史郎を石持て追い立てた、大逆の女。そう、遇してくださらないと、私は自分を赦せません」
「そういう訳にはまいりませぬ。フタバさまのことは、シローさまのお言葉に残っております。フタバさまがいらっしゃったからこそ、シローさまはご自身が生きていることを恥じ入らずに済んだのだ、と。
我々は、確かにフタバさまのことを存じ上げておりません。しかし、だからこそ。
シローさまが残された言葉でフタバさまのことを判断するより他はないのです」
どちらも、譲りません。と、宏さんが。
「なら、双葉姉さんのことは、お忍びでやってきたどこぞの国の王族、という扱いで良いんじゃね? お忍びなら、あまり平伏し過ぎると、逆に迷惑になる訳だし」
それは、ひとつの仲裁案です。そして、現状を考えても大きな矛盾はありませんし。
「……そう、だな。わかりました。フタバ陛下、否、フタバ殿。
この場に於いては、シロー閣下の姉上様ではなく、ヒロ殿の親戚、として扱わせていただきます。そのことから、陛下の身分を考えると不作法なこともあると思われますが、ご容赦願います」
「否、むしろこちらから、そうお願いしたいと思います」
取り敢えず、ようやく合意が得られたようです。
◇◆◇ ◆◇◆
「ところで、其方たち。アドリーヌの〝誓約の首輪〟が外れた、と聞いた。それは、つまり――」
「是。俺たちは、元の世界に戻れました。今回は、むしろ双葉さんに。史郎さんのことを説明する為に、再びこの世界を訪れました」
領主様は、翔さんたちの方を向き。
「では、此度は巡礼、か? 今後、長逗留するつもりはない、と?」
「否。今後のことは未定です。ただ、今回は双葉さんと俺たちの両親に、各地を紹介した後、すぐに戻る予定ですが。
とはいえ、此の世界と彼の世界では、時間の流れに因果関係はありません。この世界でどれだけの時間を過ごしても、向こうの世界では一瞬でしかないように。向こうの世界でどれだけの時間を過ごしても、こちらの世界では一瞬でしかないように。
だから、出来れば。俺は、可能な限り。両方の世界で、その〝義務〟を果たせればいい。そう思います」
両方の世界で、その義務を果たす。
それは、言うほど簡単なことではありません。
少なくとも、二つの世界を行き来出来るという〝条件〟が保たれていなければ、それは為し得ないのですから。
けれど、〝情〟を無視して現実を考えると。宏さんは、いずれブレスレットを外すことになるでしょう。宏さんにとっては、この世界でしなければならないこと、この世界でなければ出来ないことはないのですから。
そうなれば、その瞬間から。二つの世界を隔てる〝扉〟を開くことは、出来なくなるという事です。その瞬間から、翔さんは二つの世界のどちらで生きるかを決断しなければならないという事です。
その事は、翔さんも知っています。だから、その言葉は、あくまでも「理想」。夢物語なのです。
でも、だからこそ。それを叶えたいと望むのは、けれど間違いではないのでしょう。
「そう、か。
其方らは、この世界の人間ではない。にもかかわらず、我々は、多くの借りを其方らに作っている。
だから、其方らがこの世界を離れ、元の世界に戻り。そして二度と、この世界とは縁を持たない。そう願うのなら、我々は、それを止めることは出来ぬであろう。
しかし、其方らが、そう願ってくれるのなら。
我々は、我が国は。其方との友好的な関係を、今後も続けていきたいと思う」
それは、私たちもそう願っています。
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ところで。
今、私たちは、『みなミナ工房』の新作の着物を身に纏っております。
客分である親御さんたちと、〝某国王族のお忍び〟としての格である双葉さまは普段着ですが。
色無垢の、振袖と紋付袴。但し帯は信頼出来る業者に柄を入れてもらったそうです。服も帯も、正直以前に崑崙御所で謁見した時に比べ、二段も三段も品質が向上していることがわかります。
「新しく、その着物を仕立てたのかね?」
「はい。ミナの、新作です」
(2,854文字:2019/09/08初稿 2020/05/31投稿予約 2020/07/14 03:00掲載予定)
・ モビレア公にとって、双葉さんの身分は「皇太后」と同等。その為敬称は「陛下」になります。正確には、「帝国の財務官僚の姉」ですから身分的には「王国の公爵」より下になるのですが、「帝国の宰相の姉」だと「王国の公爵」とどっちが上か。だけど「帝国の事実上の国母」の為「皇太后」同然となり、その身分は「王国の国王」以上になるのです。
なお、双葉さんを皇太后扱いするとなると、宏くんは公子扱いが妥当ということにw




