第34話 「ウィルマー」という町
第06節 ブレスレット〔2/6〕
◇◆◇ ソニア ◆◇◆
「そうしたら、皆さんはこれを着けてください」
再び『倉庫』に入り。翔さんは、大人たちに〝あるモノ〟を渡しました。
太さ1mmにも満たない、細長い紐状のもの。黒銀の、チェーンブレスレットです。
そして同じものを、私たちも着けています。このブレスレットは、装着すると肉眼で視認することが出来なくなるのです。
原材料は、エリスさまの髪。この一本で、かなり大きな迷宮を支える核になるそうです。
「この世界には、魔法がある。だから、言葉を知らなくても、意思の疎通が出来る。
けど、魔法の無い世界から来た人間は、その体に魔素が浸透していないから、しばらくは言葉が通じない。とは言っても数日のことだけど。
その数日が煩わしいから、これを着けておいてほしい。地球に帰るときには、回収するから」
地球には、魔素がありません。だから本来、魔法は使えません。各人の身体に蓄積された魔素の量を限度として。
エリスさまが近くにいれば、その問題も解決出来るのでしょうけれど、今後の人生を考えて、それぞれが独自にそれを持ち、或いは破棄出来る形の方がいいだろう、ってことになったのです。
何故なら。
「このブレスレット。着けていることで何か問題でもあるの?」
と、柏木のお母さんが。そう、あるんです。
「一番わかり易い影響は、老化の停止、かな? 但し、〝アンチエイジング〟、みたいなレベルじゃないから。地球で、今後数百年の時を生きたいって言うんなら、ブレスレットは手放さない方がいいだろうけれど」
私も。地球の、そして日本の常識を一応学びました。16歳の集団の中に、17歳の人が紛れ込むだけで異端視されかねないのです。40歳になって30代の若さを保っているというのであれば羨ましがられるだけで済むでしょうけれど、50歳になって30代の若さを保っていたら? もう魔女扱いです。60歳になっていたら? 化物呼ばわりされるでしょう。
そして、100歳を超えて30代の若さを保っていたら。まず社会から迫害されることになります。隠し通す必要が出てくるんです。
宏さんたちも。エリスさんと深く関わっていますから、ブレスレットを外してすぐに効果が薄れるか、と言われれば、10年近くは効果が持続しているはず、って話になってしまいますけど、完全に縁を切るなら、ブレスレットを外すという選択肢が生まれるのです。そうすれば、地球世界では「ちょっと老化が遅い」「ちょっと長生き」程度で済むでしょうから。
ただ、まぁ、短期的には。「美容効果のあるアクセサリー」程度の感覚で、着けていただいても問題はないと思います。
◇◆◇ ◆◇◆
寿命の問題は、いずれ決断しなければならない時が来ます。けど、それは今ではありません。私だって、宏さんと地球で共に生きることに決まれば、ブレスレットを外すことになるのでしょうから。なら、まだ何も決まっていない今は。そんなことを考える必要は、ないのです。
そして、外界への扉を開いて。
「あら、ア=エト。貴方たちは聖都で戦っているものだと思ったけれど。どうしたの?
あら? そちらの方々は?」
ウィルマーの冒険者ギルドのギルドマスター、プリムラさまが、語り掛けてくれます。
「こんにちは、御無沙汰しています。
この人たちは、俺たちの親たちです。この世界のことを知りたいって言って。
そして、こちらの女性は。
……驚かないで下さいよ?」
「どうしたの? もったいぶって」
「この女性は、他でもない。シロー・ウィルマー閣下の姉上様、フタバ・ウィルマーさまです」
その時のプリムラさまの反応は、劇的でした。
本来、七百年前の人物である、シローさまの、姉上様がこの場に現れる。そのこと自体が常識で考えればあり得ません。けれど、その事をかっ飛ばして。
上級貴族、否、王族に準ずる礼を以て、双葉さまを遇されたのです。
「フタバ・ウィルマーさま。初めて御意を得ます。
私、この地、シローさまがお興しになった〝ウィルマー〟の街で冒険者どもを束ねております、プリムラと申します。
フタバさまのご来臨を、この街の住民を代表して、心より歓迎申し上げます」
「え、えっと、そんな。私はそんな大層な身分じゃぁ――」
「何を仰います。シロー・ウィルマーさまといえば、この世界の文化の礎を築かれたお方です。その姉上様とあれば、国母も同然。
国籍に関わらず、この大陸全ての住民が敬意を表するに値する、偉大なる御方に御座います。
すぐに、この地の領主であるアマデオと、隣接する領主であるモビレア公に、陛下のご来臨を報告させていただきたいと存じます」
シロー・ウィルマーさまは、終生爵位を得られなかったと聞きます。
が、その事を踏まえ、なればこそ、シローさまは生前〝侯爵〟相当の爵位であったと認識されております。またその地位も、あくまでも財務官僚の頭領に過ぎなかったのですが、アレックス帝に対する助言は財政に留まらず、多くの言葉を告げられていたことから、後世では〝宰相〟の位にあったと記述されています。
つまり、双葉さまは。古代カナン帝国の、宰相閣下の姉上様。スイザリア王国はその後継であると自認為されておりますから、「カナン帝国宰相」の身分は、「スイザリア王国国王」より上になるんです。なら、その姉上様は?
「えっと、あの、あんまり大仰なことは――」
「モビレア公には、俺の方から連絡を入れておきます。アドリーヌ公女絡みで報告しなければならないこともありますから。
それから、双葉さまは銀渓苑に投宿なさいます。連絡は、そちらを介して行ってください」
「かしこまりました。……ア=エト。あとでゆっくり、詳しくお話を聞かせてくださいね?」
「了解です」
◇◆◇ ◆◇◆
そして私たちは、ウィルマーの銀渓苑へ。
そこの離れである、最上格の部屋『銀渓庵』は。今ではドレイク王国王室と、ア=エトたちしか泊まることが出来ません。そして、アドルフ陛下が現在聖都にご滞在中、となれば、予約なしでも遠慮なく、銀渓庵を使えるのです。
そこで、女将にも双葉さまのことを紹介し。プリムラさま同様に動揺なさる女将を宥めながら、部屋に入りました。
「……もう、疑う気力も残ってないよ。
この私が、国母呼ばわり。史郎を庇うことさえ出来なかった、私が、初対面の人から、七百年分の感謝を捧げられるんだ。どうしろって言うんだい?」
「どうも、する必要はないよ。ただ、知っていてさえくれればいい。
史郎兄さんは、この世界で、その名を跡したんだって。
時の皇帝の名を知らない人はいても、史郎兄さんの名前を知らない人は殆どいないってくらいに。この世界では、史郎兄さんの足跡が、其処彼処に残っているっていうくらいに」
「……七百年、か。
銀渓苑の歴史は、三百年。この世界では、それに七百年上乗せされて。
正直、私の名前なんか、七百年後には残っていないだろう。だけど、いきなり現れた『史郎の姉』に、この世界の人たちは、本気で頭を下げてくる。
それが、史郎の残した〝足跡〟、なのね」
双葉さまは、感慨深く、そう告げられます。
そう。今、双葉さまに向けられる敬意は、そのままシローさまに向けられる敬意なのですから。この世界の人たちは、双葉さまのお人柄を存じません。けれど、「シローさまの姉上様」というだけで、頭を下げるに値する。シローさまは、この世界に於いて、それほどの人物だった、ということなのです。
(2,984文字:2019/09/06初稿 2020/05/31投稿予約 2020/07/12 03:00掲載予 2021/10/08誤字修正)
・ シロー・ウィルマーが古代帝国にいた時代、帝国の「宰相」位は空位になっていました。その前後の時代にはちゃんといたのに。そのことから、彼が辞退しただけで、当時から彼は「宰相」として扱われていた、とも謂われています。なお宰相は「侯爵」が就く職位なので、シローが爵位を持たなかった、という事実はそれと紐づけられます。
・ 飯塚琴絵「翔。あなた何故、〝ア=エト〟って呼ばれているの?」
ア=エト「……ごめん、聞かないで」
・ 私事。ハティス――ウィルマー――モビレア。これで「98」という数字を思い浮かべる人は、是非ご連絡を。勿論、「Go! Eagles go!」と答える方も歓迎です。




