第32話 ご挨拶
第05節 そして、また旅に〔8/8〕
◇◆◇ ソニア ◆◇◆
平成30年8月9日木曜日。天気は、曇り。
関東地方には、台風が来ているようです。上手く雨を避けられましたけど、風は強く。
毎年、8月15日を最終日とする一週間は「お盆」といい、先祖を供養する時期なのだそうです。これはこの国の民間で最も広まっている宗教「仏教」と、この国固有の宗教である「神道」、そしてそれら以前の土着信仰(祖霊信仰)などが合わさった、この国独自の風習なんだとか。
「複数の宗教」というだけで違和感がありますのに、それらが混淆した風習、というのは、実は私の理解を超えます。ただ、ドレイク王国も8月15日は「戦災者慰霊忌」という休日です。あらゆる戦災者、直接の戦死者と戦争に巻き込まれた死亡した民間人、戦争の結果難民になり息絶えた人たち、更にはそこから派生して、全ての病死者、事故死者、その他の死者を弔う日と定められています。それはおそらく、この「お盆」の風習に起因するのでしょう。
けれど、この国の若い人たちは。そういう〝祖先の縁〟を断ち切り、今生きる「家族」だけで完結している人が多いのだそうです。〝祖霊を祀る〟という風習は、私にとっては羨ましいほど素晴らしい風習だと思いますけど、それは裏を返せば私の生まれ育った環境に、〝祖霊を祀る〟という風習がないという証明でもあります。人は、無いモノを羨むのだとすれば、その風習があるこの国で、その風習が廃れつつあるのも、或いは仕方のないことなのかもしれません。
そしてこの『銀渓苑』は。お盆の時期にお休みを取って、旅行に出る人たちで賑わいます。その為どうしても手が足りなくて、ネコの手も借りたいとばかりに募集をしたのだそうです。そこに、宏さんが縁故で私たちを紹介してくれました。
宏さんのコネによる紹介。つまり、私たちが粗相をすれば、それは全て宏さんの迷惑になるのです。ここはやはり、万能侍女として、私も頑張らないと!
◇◆◇ ◆◇◆
私たちが銀渓苑に到着したのは、午後の随分早い時間でした。昼食には遅く、夕食にはまだ早く。ただお客様のチェックインが始まった直後、という、ある意味宿にとっては一番暇な時間帯です。
そして、私たちの仕事は、明日から。今日は、お客さんごっこして良いって言われています(但し夕食は賄いですけれど)。
とはいえ到着したことを、銀渓苑の亭主、入間双葉さまにご挨拶します。
実は私は。物凄く緊張しています。だって、この女性は。入間史郎さまの、姉上様。私たちの世界の基盤を作った歴史上の偉人の、姉、です。そうなると、この方は世界史的な意味合いで、〝国母〟に近い女性なのです。
「そう。貴女たちが、宏くんの友人、なのね?」
「は、はい! ソニア・マックグード、否、飯塚そにあと申します!」
……失敗、しました。
双葉さまは私たち全員に語り掛けたはずなのに、意識し過ぎた所為で私が直接お言葉を賜ったのかと思い、全力で返事をしてしまいました。
「そう、飯塚さん。けど、そんなに緊張しなくてもいいのよ? 仕事中は公私の別をちゃんとしてもらわないとだけど、今は一アルバイト生相手じゃなく、ヒロ坊のお友達に向けて、ご挨拶させていただいているんだから」
双葉さまが、そうおっしゃって。でも、意外な(でもないけど)事実に気が付いて、一気に頬が綻びました。
「あら? どうしたの? 急に笑ったりして」
「あ、申し訳ございません。ですが、〝ヒロ坊〟って。シローさまと同じ呼び方だな、って思って」
「え? 貴女、史郎を知っているの?」
「お会いしたことはございません。けれど、その生涯は。私自身、あの方に憧れておりましたので、様々な書物を漁り、調べさせていただきました」
「ちょ、ちょっと待って。〝様々な書物〟って、貴女、何を言っているの? それに〝生涯〟って、
――史郎は、もう、死んでいるの?」
あ。
さっきのことより、もっと重大な失敗を、してしまったのかもしれません。
「双葉姉さん。そのことは、あとでゆっくり。そのことを話すのも、オレが今年この夏この町に帰ってきた理由だから。
だけど、これだけは言っておく。史郎兄さんは、もう死んでいる。ただ、その血を遺し、歴史に名を跡した。この世界の誰も、それを知らないけれど。
ちゃんと、説明するよ。オレの、柏木の両親と。それから飯塚の両親も、このお盆の時期に予約している。その、親たちが全員揃ったら」
「そう。わかったわ。なら、詳しいことは、後日ゆっくり訊かせてもらう。
けど、飯塚さん、って言ったわね? 貴女に、ひとつだけ訊かせて」
「はい、なんでしょう?」
「史郎は、貴女にとって、どんな人?」
「歴史上の偉人です。私自身、後世にこんな形で名を跡せたら、と憧れる。
彼の人物の姉上様にお会い出来たというだけで、友人に自慢出来るくらいの。
そして、シローさまの根源を知ることが出来るというだけで、此度のアルバイトの、十二分な報酬になる、と思えるほどの」
「……そう。正直、何が何だか全く理解出来ないのだけど。
でも、史郎が、貴女のような娘にそこまで想われる。そういう生き方をしたってことだけは、理解出来たわ。
……ヒロ坊。その時になったら、ちゃんと話しなさいよ。何一つ、隠すことは許さないから」
「わかってる。だからこそ、今は話せないんだ。立ち話で済む話じゃないからな。なんせ、史郎兄さんの。こっちの世界で行方不明になってからの80年近い時間を話さなきゃならないんだから」
シロー・ウィルマーさまは、106歳でこの世を去ったと謂われています。
その長い人生を語ることも。宏さんがこの町に来た理由なんですから。
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その日は、お客様と区別なく、その温泉を堪能させていただきました。
温泉の泉質は、ナトリウム泉と謂うのだそうです。ウィルマーの町の硫黄泉とはまた違う、けれどこれはこれで味わい深い、温泉でした。この国には、このように色々な種類の温泉があるのだと聞きました。是非、色々試してみたいですね。
翌10日からは、お仕事が始まりました。
けど、宏さんは当然として、私もメイドとして基本的なことは学んでいます。そして他の人たちも、シズさんから礼法を学んでいますから、どうかすると先輩仲居さんたちより綺麗な所作で仕事をすることが出来ています。アルバイト生のまとめ役である仲居さんには、お褒めの言葉をいただきました。
そして、12日に柏木家のご両親が到着し。
13日には飯塚家御一行がチェックインし。
14日の午後、空いた時間に、全員が双葉さまの許に呼ばれたのです。
(2,640文字:2019/09/05初稿 2020/05/31投稿予約 2020/07/08 03:00掲載予定)
・ 「複数の宗教の混淆」。西洋圏では理解が難しい、とよく言われますが、例えばクリスマスのように、土着信仰の風習をキリスト教に取り入れる、などは普通に行われています。またキリスト教は「一神教」と一般に言われていますけど、他地方の神様を「天使」に置き換えることで融和しているという側面もありますので、「天使」を「神」、「神」を「最高神」と置き換えれば、立派な多神教です。融和出来ない他地方の神様は「悪魔」として描かれますけれど。
・ 飯塚そにあ「――そして、シローさまの根源を知ることが出来るというだけで、此度のアルバイトの、十二分な報酬になる、と思えるほどの」
入間双葉「そう。じゃぁ貴女には、バイト料を支払わなくていいのね?」
ソニア「いえ、それはちょっと。」




