第30話 脅迫
第05節 そして、また旅に〔6/8〕
◇◆◇ 美奈 ◆◇◆
「……もう少し、考えてから答えた方が、いいんじゃないのかい?」
「考えるまでもありません。答えはもう出てます。
失礼ですが、沢渡組合長の下では、学べるものはありません。
それなら、ここの板長に弟子入りして、あの素晴らしいお吸い物の出汁の取り方を学んだ方が、よっぽど得るものがあります」
「うちの、技術は。ここの板長が作る料理より、学ぶものがない、と?」
「はい。あの煮物など、それぞれの具が全く崩れていないのに、その味がしっかり汁に溶け出して、また独自の味を生み出しています。
美奈の煮込み料理なんか、材料を鍋に放り込んで一晩焦げないように火に掛ける、みたいな大雑把なものになってしまいますから、どうやったらあんな繊細な味を出せるのか。弟子入りが許されないのなら、このお店に通ってその味を盗んでやろうかと、色々画策しています。
向付のお造りも。お刺身にありがちな生臭さもなく、当然ながら包丁の鉄臭さもありません。ツマにもこだわって可愛らしく盛り付けられ、そもそもそのお皿さえ、ありがちな絵皿じゃなく、食材それ自体の色彩が映えるように単色で地味な、けれどその滋味深さは量産品じゃあり得ません。その上ショウくんと美奈でも、皿の印象を変えています。美奈の皿は色彩重視、ショウくんのそれは食欲を誘うように。そんな細かいこだわりは、素直に凄いと思いました」
なんか、話を明後日の方向へすっ飛ばしていますけど、本音です。組合長の話なんかどうでもいい。今すぐ厨房に突撃して、板長さんに微に入り細を穿ち訊ねたいことばかりなんですから。
「……だが、料理長の業はともかく、キミは水無月の業を全て伝承されていると聞いている。なら、それを後世に活かすのは、キミの義務じゃないかね?」
「貴族の義務、ですか? 正直、知ったこっちゃないです。
今、美奈が〝水無月〟を名乗っていますけど。水無月家は本来、麻美小母さまが亡くなられた時、途絶えました。その遺産を活かすか殺すか。それは、継承した者が考えることです。
誰かの都合で、それを左右するつもりは、ありません」
水無月家にとって。沢渡〝専務〟には、換価可能な財産を自由にすることを許したんだから。〝業〟という、換価不可能な財産に手を出すことは許さない、というのが本音なんです。
「だが。その技術は、日本の織物産業に携わる者にとっては、喉から手が出るほど欲しくなるものだ。正直、暴力で脅迫してでも、それを手にしたいと望む者は、少なくないだろう。キミ自身の安全の為にも――」
「暴力で脅迫してでも、ですか。それは、沢渡組合長。貴方自身のことじゃないですか?」
実際、水無月の技術などは、日本の伝統的な織物工芸のひとつに過ぎないから。何に価値を置くかは人それぞれで、必ずしも誰もが水無月の技術を最高と思うとは限らないの。だけど、沢渡〝専務〟は。水無月呉服店で頭角を顕した人。職人じゃなかったけど、職人じゃなかっただけに、その技術を体現する職人を神格化していた部分があったみたい。
「隣の部屋に、懐に重い物を隠し持った男性が、6人、ですか。それから、この建物全体が、暴力に親しんだ雰囲気を持つ男性に占領されているようですね。でもここで暴れられたら、お店の迷惑になります。どうか彼らに退去を命じてはくださいませんか? どうせ無駄ですし」
会席膳の〆である、甘味を味わいながら。美奈は、全く恐怖を感じていません。だって。
「ショウくんの守りを貫きたいのなら、.50口径の対物ライフルでも足りませんよ? それとも、美奈一人を脅す為に、京都の街を灰にする覚悟がございますか?」
重さ百キロを超す鉄骨が降って来て、「ラッキー!」って言う人がいるんです。何を不安に思う必要があるでしょうか?
そして、そんな暴力装置である(多分)ヤクザさんに出向いてもらっても。沢渡組合長は、どうしても現場の人じゃありません。そう、織物職人の現場の人でもなければ、暴力の現場の人でもないんです。だから、数字でモノを考えます。
けど。美奈が、将来織物職人として生きていくことを考えるのなら、京都呉服商組合との付き合い方を考えた方が良いでしょう。でも、異世界でドレイク王国王太子夫人として生きるとしても、或いは一介の冒険者であるミナとして生きるにしても、更に或いはこの日本で一介のサラリーマンである飯塚翔の妻として生きるにしても、京都呉服商組合の都合を考える必要は、どこにもないんです。なら、譲歩の余地はなく、交渉の鳥羽口がないんです。
「……だがその結果、飯塚琴絵氏の身に何かが起こるかもしれない」
「それは、無理です。仮令核兵器で首都圏全域を蒸発させたとしても、飯塚のご義両親の髪の毛一筋にも傷がつかないでしょう。否、仮令アメリカ軍のICBMを組合長が私用で使えたとしても、何も起こりません。あのお二人に手を出そうと考えるくらいなら、今ここでショウくんの守りを貫くことの方が、遥かに簡単でしょう」
今、お二人の許にはエリスがいます。そして、多分リリスさまもこの世界に遊びに来ているはず。リリスさまは誰かがそのお力を利用しようとすることを許しはしないでしょうけど、リリスさまはご自分が気に入った相手を守る為なら一切の遠慮も常識もかなぐり捨てるタイプだと思いますから。
リリスさまの守りを貫きたければ、まずは水邪神の召喚から始めた方が、結果近道になるんです。
「な、ならば! お前の取引先に圧力をかけて、お前の店との取引を止めさせることだって出来るんだぞ?」
「美奈の血縁上の祖父の名は、髙月源一郎といいます。そう、数年前に引退した、元衆議院議員の、髙月です。そして、祖父は美奈に、多くの顧客を紹介してくれています。言うまでもなく、政財界を中心に、です。
これらの方々に圧力を掛けるだけの力が、京都呉服商組合にあるのですか?
そして、これらの方々に売る製品の原材料を齎せる。これは、生糸や反物、そして染物職人さんたちの名誉になります。その名誉を打ち捨てるだけの価値が、組合長さんの言葉にあるのでしょうか?」
実は、これが結論。
はじめから、「みなミナ工房」の仕入れ先は、京都呉服商組合との影響力が薄かったり或いは全くなかったりする業者さんたち。そして卸し先も、小売り先も、同じく影響力が薄かったりなかったり、或いは届かない相手になる。
「今日は、たいへん美味な会食膳を供してくださり、誠に有り難うございました。得難い食膳を口に出来、生涯記憶に留めるに値するひと時となりました。
この場を用意してくださった組合長様には、心より御礼申し上げます。
それでは、本日はこれにて失礼をさせていただきます」
そう言って、美奈たちは宴会場を退座したの。
そこには、暴力に親しんだ空気を纏う男性がたくさんいたけど、臆することなく。彼らがショウくんの守りを貫いて美奈をどうこうすることなんか、出来るはずがないのだから。
帳場で、料理長に礼を言い、そして今回の会席の代金は『みなミナ工房』で持つと言いきり。
代金を支払い領収証を貰い、そしてハイヤーに乗り込んでホテルに向かったんだよ?
うん、沢渡〝専務〟に奢ってもらうなんて、死んでもごめんだから。
(2,919文字:2019/09/03初稿 2020/05/31投稿予約 2020/07/04 03:00掲載予定)
・ 偶然というか、虫の知らせというか。料亭の板長さんは、この時沢渡組合長と水無月美奈さんの会話を隠れ聞いていました。そしてこちらは当然ながら、美奈さんはその事を知っていて、ここぞとばかりに料理(その他料理長の心配り)を褒めています。
・ リリスの守りを前提にモノを考えるのは、〝ルール〟違反。だけど、リリスが勝手に飯塚の両親を守るのは、それこそリリスの勝手。その事実を知っていれば、心配する必要はありません。もっともそれ以前に、「老いた親を案ずる」のであればともかく、「子供が親の心配をする」こと自体、増長これに極まれり。烏滸がましいと言うべきです。「親の立場が足枷になって子供の道を阻む」なんて、真っ当な親なら自害することを選ぶ状況ですから。
・ 「リリスを排除したいなら、まずは水邪神を召喚しろ」。これは、一種の格言ですね。「馬鹿の考え休むに似たり」と同様な意味を持つ。或いは、「不可能を可能にする為には、まず絶望を覆せ」という意味かな?
・ 「虎の威を借る」と言いますが。『みなミナ工房』が、威を貸してくれる〝虎〟たちに保護されているという事実を知らなかったのが、沢渡組合長の敗因。もっとも、その〝虎〟たちは、上手に自分たちの気配を隠していましたけれど。
・ 招待客が会食の代金を支払う。招待主(亭主)である組合長にとってこれ以上の屈辱はないでしょう。店の方も、美奈と組合長の会話が聞こえていただけに、快諾しました。
・ 沢渡組合長「オイ! 何故あの二人を行かせた?」
SP隊長(傭兵上がり)「ってか、依頼主殿。アンタ一体、〝ナニ〟に喧嘩を売ったんです?」
組合長「……どういうことだ?」
SP「あの、男ガキ。纏っている雰囲気が、尋常じゃねぇ。修羅場を潜ったのは、二度や三度じゃねぇだろう。『ただの高校生』? 一体いつから日本の高校生は、職場体験で戦場巡りするようになったんだ?
それ以上に異常なのは、あの嬢ちゃんだ。鉄火場で、無邪気に微笑むなんて、あり得るのか? ありゃぁ、目の前で惨劇が起きても変わらず笑い続ける狂人タイプだ。クライアント殿。アンタの覚悟じゃ、あの二人の表情を崩すことさえ出来ねぇだろうよ」




