第29話 会席膳
第05節 そして、また旅に〔5/8〕
◇◆◇ 美奈 ◆◇◆
初めて会う人の下に、女子供がひとりで赴く。
これは、失礼なことだしはしたない行為でもあるんだよ。
だから、引率してくれる大人の保護者か、エスコートする男性が必要になるの。
美奈の場合。保護者として、琴絵お義母さんとともに来る、という選択肢が、実はあったんだよ。だけど、敢えてお断りさせてもらったの。
理由は三つあるの。
ひとつ。これから会う、京都呉服商組合の現組合長さん、沢渡さん。水無月呉服店の、元専務で、会社解散時の社長さん。会社解散時、かなりの財産を着服していることを、琴絵お義母さんも麻美小母さんも、知っていた。しかも、それを合法に処理する為に、水無月のお祖父さまがそれをやったように偽装して。だけど、二人はそれに対して、何らアクションを起こさなかったの。だから、「所詮、女子供」と侮る気配もあったんだって。
ところが、ここに来て。『みなミナ工房』の仕入れ先、卸し先。それはどちらも、水無月呉服店のネットワークでありながら、京都呉服商組合の影響力の少ない(或いは全くない)事業者ばかりだったの。それが、琴絵お義母さんからの、明確な意思表示だと、沢渡組合長には伝わったはずなの。
「水無月家は、沢渡〝専務〟のしたことを敢えて糾弾しない。その代わり、二度と水無月家に関わることを許さない」、と。
その事実があるから。琴絵お義母さんが今この場にいると、組合長は言いたいことが言えなくなるから。それが、第一の理由。
ひとつ。エスコート役を、ショウくんに任せる。旧姓水無月琴絵の息子、という事で、ショウくんはそれをする資格がある。そして組合長にとっては、「所詮高校生カップル」と侮る隙になる。さすがに、異世界で爵位を得て、万の軍を指揮し、複数国家の王族と対等に渡り合った経験がある、なんて想像も出来ないだろうから。
油断を誘う。それが、第二の理由。
ひとつ、万一のことを考えて。
単純暴力や、権力を背景にした脅迫。それを前提とした、戦力の用意。
刃物は持参していないけど、ショウくんなら拳銃を隠し持ったSPの10人や20人、敵じゃない。けど、美奈と琴絵お義母さんの二人だけだと、逃げ回ることも出来ない(『倉庫』に逃げても外界では時間が経過しないから、何の解決にもならないし、〔転移〕は可能な限り使いたくない)。
一応、武田くんから〔球雷〕と〔クローリン・バブル〕を教えてもらっているけど、〔球雷〕だと美奈は加減が出来ないので殺戮レベルの電力になっちゃうし、〔クローリン・バブル〕を室内で使ったら自爆魔法。特に琴絵お義母さんを守れない。
そう言う訳で、荒事になったら美奈は、ショウくんに守られるのがお仕事の〝お姫様〟役をする。それが、第三の理由。
◇◆◇ ◆◇◆
「本日は、お招きに与り光栄に御座います。
わたくし、『みなミナ工房』を主宰しております、水無月ミナと申します。
また、この者はわたくしの連れ、水無月琴絵の息子、飯塚翔と申します。
ずうずうしくもこの場に同席させていただきますこと、お許し願います」
「かまわんかまわん。キミたちのような若者に、細かい礼儀を講釈するつもりはないからね。遠慮なく座に着きなさい」
「有り難う御座います」
さて、戦闘開始です。
「キミたちはまだ高校生、だったね。ならお酒、という訳にもいかないな。
ではジュースか何かを」
「宜しければお茶を戴けますでしょうか?」
ジュースでも構わないけど。でもお茶であれば、お店に対しても招待者側にとっても、メンツが立つ。
この場合のお茶(煎茶)は、茶会の御抹茶とは違うけど。それでも一通りの作法はあるから。そしてその作法も、おシズさんから叩き込まれているから。
「御馳走様です」
「ほう。ちゃんと躾が行き届いているんだね。関心関心」
美奈たちのことを子供扱いしていますけど、こっちにとっては有り難いんです。その方が、対処も簡単ですから。
今回の、京都呉服商組合との〝合戦〟は。「ア=エト式戦争概論」を流用させてもらっているの。つまり、この会合。組合長は、ここで美奈を屈服させようと思っているんでしょうけれど、『みなミナ工房』にとっては、既に終わっている戦争。包囲も済んでいるし、いつでも屈服させられるし。そして暴力沙汰のステージに移行するのなら、負けないだけの戦力を。
「話は、食事をしながらにしよう」
そして、会席膳が供された。
組合長は、親戚の小父さんが法事で同席した子供をあやすように世間話をするけれど、美奈はそれに当たり障りのない言葉で返し。ちなみにショウくんは、話を振られない限り、無言。ショウくんはこの席では、『美奈のエスコート』以上の立場ではないから。
会席膳。実は、美奈たちにとっては初めての実戦。知識はおシズさんに叩き込まれている。ショウくんはご両親に連れられてこういう席に来たことはあるけれど、それはそれこそ「子供だから、多少の失敗は許される」立場。今みたいな、真剣勝負で臨む会席膳は、初めて。
だけど。美奈たちは、おシズさんから。会席膳の作法の究極の極意を学んできているの。それは、
料理を味わうこと。そして、その味を楽しむこと。
作法を間違えちゃいけないなんて緊張して、料理の味がわからなくなった。なんていう話をよく聞くけど、それはその会席に招待してくれた亭主と、その膳を用意してくれた料理人さんに対する、最大の不作法。だって客に味わってもらう為に、趣向を凝らした膳を用意してくださっているんだから。
今回の膳も。美奈たちを子供と侮り、子供が口にしたことがないであろう高級料理を、というのがその趣向みたいだけど。それさえその意図を受け止め、歓びに変えることだって出来るんだから。
膳に供された食材のほとんどは。実は美奈は直接包丁を当てたことがあるの。だから「高級食材」「希少食材」というのは、驚くに値しない。その一方で、そのままでも美味しい食材を、ここまで工夫して供してくださる、その料理長さんのお気持ちの方が有り難い。組合長の思惑はどうあれ、料理長さんにとって美奈たちは「味の良し悪しもわからない子供」でしかないはずなんだから。手抜きをしたって気付かないはずなんだから。
思わず、料理長さんに感謝の言葉を告げたくなるほどだけど、美奈たちのような子供がそれをやったら、逆に失礼。美味しい料理は、美味しく食べれば、それだけでちゃんと伝わるはずだから。
そして、味を楽しむ余裕があれば。盛り付けや器の粋を楽しむ余裕も出来る。そして作法や、会話に意識を向ける余裕も生まれるの。
◇◆◇ ◆◇◆
やがて、蒸し物が終わり、ご飯と止め椀(汁物)が出る頃に。
ついに、組合長は本題を切り出した。
「水無月ミナくん。キミは、うちの店でその腕を振るう気はないかな?」
「有り難い申し出ですが、ご遠慮申し上げます」
ノータイムで。考える必要さえない、それは申し出だったんだよ?
(2,783文字:2019/09/03初稿 2020/05/31投稿予約 2020/07/02 03:00掲載予定)
・ 「ちゃんと躾が行き届いているんだね」。「ちゃんと」「行き届く」。重複表現です。沢渡組合長、子供に礼儀云々を語るなら、自分が使う言葉にも気を使いましょう。
・ 会席膳の作法は、結局のところ「料理人の食材や味、盛り付けの趣向を受け止め、もてなしてくれる亭主の趣向を受け止め、そして同席する者たちがその時間を楽しめる」為のモノです。箸を伸ばす順番は、盛り付けの妙を楽しむ為、或いはそれぞれの味を堪能する為。蓋をひっくり返して置くという作法だって、蓋の裏側の絵柄を楽しむのが目的だ、って考えれば、難しい事じゃなくなるんです。
・ 「亭主」と「料理人」そして「同席する人たち」。学生なら、「(担任)教師」と「学校(校長)」と「学友」。こういう三者の関係を、禅宗では「仏法僧」と呼び習わします。
・ 御抹茶の作法で。茶を喫した後、茶道具を見せてもらい、褒める(お道具拝見)なんていう作法がありますけど。作法で褒められて、亭主は何が嬉しいのでしょうか? 本当に素晴らしいモノであれば自然と言葉が溢れるはず。その「言葉」こそ本来の礼法です。




