第21話 みなミナ工房
第04節 アルバイト〔2/5〕
◇◆◇ 美奈 ◆◇◆
美奈の、織物職人としての修業は。想像を絶するものだったんだよ?
うん、『倉庫』で経過する時間は、外界の時間に反映されないってことで、本気で絶望したくらい。
琴絵お義母さんは、全く手加減をしてくれなかった。なんせ文字通り無限の時間があるんだから、一定の技能習得が確認出来るまで、『倉庫』から出ることを許してくれなかったの。
『倉庫』内でも、お腹は空くし、眠くもなる。気分転換もしたくなる。
そんなときには、『倉庫』内の厨房でお義母さんが料理を作ってくれ、眠くなったら内部時間で8時間の睡眠を許可してくれ、気分転換したくなったら仔魔豹たちと戯れたり〝森〟の一角獣たちの背に乗って遠乗りしたりして、リフレッシュしたりしたんだよ。また、時には。お義母さんの指導で、味噌や醤油作りも『倉庫』内で試したの。これも結構気分転換になったし、その上「時間加速室」を使った熟成期間の短縮で、色々な種類の味噌・醤油作りに挑戦出来た。うん、やっぱり料理は気分転換に最適。
だけど幸か不幸か、練習の為に使う材料には限りがあり。向こうの世界で最高級の繊維である、スパイダーシルクさえも惜しげもなく使い、〝失敗作〟(美奈にとっては過去最高の出来の物)を量産したの。
そして、遂に材料が尽きたと思ったら。お義母さんは、昔の伝手を使って生糸や反物、染料を買い求め、また(『倉庫』で使うことを考慮して)機械式じゃない、手動の繰糸機や染色用の機材を入手してきたの。
ちなみにこれは、美奈の借金、だと言っていた。
「でも、これだけのものを支払うおカネ、持ってないよ?」
「大丈夫。振袖一着売れれば、元なんか取れるから」
実際、織物というのは、現在斜陽産業なんだって。
平成の初め頃は、「高価な着物」が一種のステータスになり、またバブルの余韻もあったから、数十万円~百万円代中盤の商品が、よく売れたの。
だけど、東南アジア系の人件費を抑えた商品や、化学繊維を使った安価な商品が市場を席巻し、更に着付けを知らなくても着れる「ファスナー止めの着物」なども登場し、一気に織物商の業績が傾いていったんだって。
水無月呉服店も、その流れに逆らえず。規模を縮小してでも昔ながらの着物を売るか、それとも企業業績のV字回復を求めてそういった廉価商品に手を出すかで、当時の社長と専務で意見対立もあったんだとか。
だから、うちのような零細は、廉価路線でははじめから勝負にならないの。なので『みなミナ工房』が売り出す商品は、高級路線に絞ることにしたの。身も蓋もない言い方をすれば、「家系図を持たないような歴史のない庶民は相手にしない」という、それこそ貴族商売。
普通に考えたら、女子高生が立ち上げた工房でそんな売り方が出来るはずがない。
けど。「水無月」の銘が、それを覆すの。水無月呉服店が解散してから、まだ十年ほどしか経っていないから、業界ではその名前の価値は衰えていないから。
そして、騙りでない証人として、後見人である(旧姓)水無月琴絵お義母さん。
結果、サンプルとして問屋に持ち込んだ着物は、85万円という強気な値段設定だったのに、130万円クラスの仕立ての注文が入ったんだよ。
◇◆◇ ◆◇◆
琴絵お義母さんの指導は、蚕の繭の選別から始められた。選別した繭から糸を繰り出し、それで反物を織り、染め、そして縫う。
「通常は、信頼出来る業者から生糸或いは反物を仕入れてくればいいけれど、一通りのことが出来るようになっていれば、目利きも違うから」とは、琴絵お義母さんの弁。
その他、簪や扇子などの小物の作り方も指導してもらえた。
「こういうのは麻美の方が得意だったんだけどね」。その言葉を聞いて、向こうの世界でサリア妃殿下に頂戴した木細工の小物を見せたら、「麻美の、癖がある」って言って笑いながら涙を零していた。うん、向こうの世界に行ったら、サリア妃殿下からその辺りの技術を学ぶことにしよう。
『みなミナ工房』の営業は。主に琴絵お義母さんと一緒の飛び込み営業(つまり縁ある問屋に直接商品を持ち込んで商談する方法)と、インターネットを介しての宣伝、その二通りを選んだ。
ホームページの作成は、業者に依頼して。武田くんは作れるって言ってくれたけど、今物凄く多忙な武田くんに、これ以上の仕事を振る度胸は無かったの。
ホームページで使う写真のモデルは、柏木くんと、おシズさん。そして外人さんでも和服が映える着熟しがあるってことを見せたくってソニアと、子供用の和服のモデルはエリス。
ちなみに、写真撮影はショウくんで、〝森〟で撮影することに。このカメラマンの料金と、モデル代は、ちゃんと『みなミナ工房』から支払ったんだよ?
◇◆◇ ◆◇◆
さて。女子高生織物職人が主宰する、『みなミナ工房』。話題にならない訳がないの。
手芸部に所属するJKがインターネットでハンクラの通販をする、って言うのとは次元が違う。商品のラインナップは、小物(ネクタイやスカーフ)でも数千円から、着物は一番廉いモノでも60万円(税別・仕立て直し代別)。最上級の物は(色々オプションが付いているけど全部盛りにすると)500万円を超える価格帯になる。
更に詳しい人にとっては、ホームページに列記された「取引先一覧」が、一流処だらけだということに気付くはず。つまり、「女子高生の手習い」レベルじゃないことが、それで知れる。
おまけに。業界人や富裕層には、『水無月』の銘はまだ記憶に残っている。そうなると。
マスコミの、取材もあった。ただそれは、美奈が高校生ってことで、琴絵お義母さんが代わりに引き受けてくれたけど。
おシズさんとソニアとエリスに関しては、芸能界からのオファーも来た。こちらはお断りさせていただいたけど。
おシズさんのお父様からも、電話を受けた。これは友人関係ということで、無理を言ったことをお詫びして、夏休み中に一度は直接ご挨拶に伺うことをお約束した。
学校の新聞部からの取材もあった。うちの学校の在校生が始めた商売としては、過去最高の価格帯だから、記録に残したいんだって。ちなみに、期末試験の前日に、その取材記事の掲載された号が頒布されることになった。
髙月の家は、反応がなかった。母の「趣味のサークル」のメンバーはそういったことに敏そうだけど、『水無月ミナ』と『髙月美奈』の関係に気付くとは思えない。案の定、実はこの時期になってもなお、美奈が髙月の戸籍から外れたことを、両親は気付いていないんだってお祖父さまが教えてくれた。紋付羽織袴を注文しに来て、その雑談ついでに。
そして。京都呉服商組合からも、使者が来たんだよ。
(2,686文字:2019/08/29初稿 2020/04/30投稿予約 2020/06/16 03:00掲載予定)
・ 江戸時代の呉服商は、近代に入ってからその殆どが百貨店に業態を変えていきました(三越も伊勢丹も、元は呉服商。三越の元祖は「三井」と「越後屋」の合弁会社。そごうは絹物問屋)。けれどバブルが弾けたのとネット通販の台頭で百貨店部門は伸び悩み、呉服(織物)部門は作中で語られるような状況で先細って行ったそうです。
・ 飯塚琴絵さんによる、水無月美奈さんの修業。『亜空間倉庫』をまんま「精●と■の間」として使っています。
・ 味噌はそもそも手作りするモノ。だからこそ、皆「自分が作った味噌は世界で一番美味しい」と自慢しました。これを〝手前味噌〟と言います。
・ カメラマンの料金やモデル料を、『みなミナ工房』から支払う。結局内輪でおカネを遣り取りしているだけじゃん、って話ではあるんですが、ちゃんとやっておくことで、確定申告で計算される税金の額が大きく変わります。但し、この時用意した着物は、そのままモデルさんたちにプレゼント(製造原価は宣伝広告費)しています。飯塚翔くんと武田雄二くんの着物は、あとで口実を作って別に作る予定。なお、飯塚琴絵さんは技術指導料も顧客紹介料も受け取ってくれませんでした。
・ 『みなミナ工房』の、7月上旬ごろまでの収支は、約200万円の黒字です。売上げは既に、900万円超。飯塚家への借金の返済を繰り延べれば、キャッシュフローベースで600万円以上のプラスになっています。つまり、美奈さんだけで金策ノルマを達成しています。ってか、和服を仕立てて採寸から納品まで(外界時間で)三日、ってどんな特急業者なんだか。
・ 美奈さんの習作は。後に「習作処分大特価!」と称して放出されました。一番廉い着物が20万円(仕入反物:税別・仕立て直し代別)、一番高い値が付いた手織り作品は、800万円を超えたそうです。……800万円を超える習作。800万円超の値が付いてもなお習作。その意味に、業界が騒然としました。同業者が競合相手の技術分析目的で購入したのもあります。
・ 『みなミナ工房』の商品の利益率はかなり大きい(人件費ゼロ)のですが、この時期は設備投資と試験研究費・教育費(美奈の練習用素材の購入費)及び先行仕入れで利益を圧迫しています。それでも期間利益率2割超。確定申告が恐ろしいレベルです。
・ ▲木谷さんやホリ■モンのような、「カネは持っているけど家格(歴史)はない」富豪は、『みなミナ工房』では相手にされません。というか、紹介状なしでの高額商品の販売はしませんので、ハンカチやネクタイ程度しか買えません。
・ みなミナ工房の、一番のお得意さまは、必然ながら髙月翁で、且つ政財界の顧客も紹介してくれています。翁がこの時注文された「染抜五紋付羽織袴」のお値段は、400万円を超えました。孫煩悩な翁は倍額支払おうとして、笑って拒絶されています。もっとも実際は糸を繰るところからはじめた手織りのオールシルクですので、1,200万円の値を付けても妥当なんですが。
・ 髙月翁「いいじゃろう。うちの孫娘が縫ったんじゃ」
政治仲間「へぇ。よく出来てますね。素人の手慰みとは思えない」
髙月翁「素人とは言ってくれる。最近〝水無月〟の暖簾を継ぐことが決まってな。今は〝水無月ミナ〟を名乗っておる」
政治仲間「それは、噂の『みなミナ工房』ですか!」
髙月翁「そうじゃ。だがそんなことはどうでもいい。儂の、生涯最後のハレ衣装を孫が縫ってくれたんじゃ。これ以上の宝物は他にはないわい!」




