第19話 お引越し
第03節 ステップアップ〔5/5〕
◇◆◇ 美奈 ◆◇◆
平成30年5月26日土曜日。
美奈は、久しぶりに自宅に戻ったんだよ?
でも、目的は家族団欒じゃない。お引越しの為。
自宅にある、美奈の私物。洋服やら本やら、捨てられないものをまとめて。
「美奈。帰ったのか。うん? 何をしている?」
「あ、お祖父さま。ただいま帰りました。
美奈は、今日で髙月家のお部屋を、引き払いたいと思います」
美奈は、お祖父さまの事が、大好きでした。
政治家として、戦後の日本を立て直したと、誇りを持って語っていらした、お祖父さま。
髙月家は政治家として、明治政府で伊藤公とともに国を造ったんだ、と自慢げに語っていました。憲政時代に入ってからの四代目であるお祖父さまも、敗戦で国が焦土となった後、そこからまた一から立て直す為に、自分の人生を捧げたんだ、とおっしゃっておりました。
けれど、時の与党がどんどん傲慢に振る舞うようになり、国の為どころか国を滅ぼしてでも私腹を肥やさんとする連中の仲間と称されるのを忌避し、支援者の意に背いてまで野党に鞍替えしたのだそうです。
ところが野党の政治家は。与党の政治家以上に国益や国民の生活のことなど考えておらず。本気で政権を取ることなど望まず、ただ権益を確保する為だけに選挙に勝つことを求めるといった彼らにも失望し。息子である美奈の父が政治の舞台に上がったのを見て、自分は引退することを決意したんだそうです。
若い頃から政治に熱中していたから、恋愛もせず、結婚もかなり歳をとってから、見合いでお祖母さまを選ばれたといいます。熱烈に愛し合った関係ではなかったけれど、熾火のように暖かな夫婦関係だったようです。美奈が物心つく前にお祖母さまは亡くなっていますから、伝聞ですが。
御自分が見合い結婚だったから、息子(美奈の父)が恋愛で相手(美奈の母)を選んだことを、全面的に祝福し。けれどその結果、破綻した夫婦関係、崩壊した家族関係に、最も心を痛めておいででした。
「美奈。お前はこれから、どこへ行く?」
「飯塚家に、居候することになります。琴絵お義母さんが、その技術の全てを美奈に伝承してくださる、とおっしゃってくださいましたので。
事実上の丁稚奉公、することになりました」
「そう、か。では、飯塚家に月謝を振り込まなければならないな。それに、美奈の小遣いも。月に30万もあれば、足りるか?」
「……そういう、おカネで全てを解決しようって気持ちが、うちの両親の関係が破綻した理由の一つだと思いますよ?
月謝は、いらないって言っていました。その分、美奈が働きます。
お小遣いは、正直嬉しいです。今ちょっと理由があって、切実におカネを欲しています。けど、身体を売るような真似はするつもりはなく、当然犯罪行為に手を染めるつもりもありません。とはいえ、やっぱり高校生のお小遣いに、月30万円は多過ぎます」
「わかった。では、どの程度あればいい?」
「高校生の小遣いですよ? 月一万円でも多いくらいです。あとは、バイトしてでも稼ぎます」
「そう、か」
お祖父さまは、善い人ですけれど。結局マクロ経済で世間を見ていて、ミクロ経済を理解出来ていないのかもしれません。国家予算の、何億何兆って単位のお金のことは実感出来ても、一般家庭の十万円、学生の小遣いの数万円・数千円は、理解出来ないのかもしれません。
それはそうと、このベッド、どうしよう? 結構良いものだから『倉庫』に持って行けば寝心地もいいだろうけれど、その一方であまりこのベッドで寝たという記憶もないし。
うん、いいか。わざわざ持っていく必要は、無いね。
「お祖父さま。母は、今は?」
「例によって、離れでサークルの仲間とやらと趣味に没頭しているそうだ」
「そうですか。では、お祖父さまに、ひとつお願いがあります」
「……なに、かね?」
「美奈が出て行ったこと。それを、お祖父さまの口からは、言わないでほしいんです。というか、二人が気付くまで、その事を話題にしてほしくはありません。
美奈は、でもやっぱり両親の愛情ってものに、縋りたい気持ちがあります。
普通の家庭なら、娘が家出したら、その日のうちに親が気付いて騒ぎを起こすでしょう。三日も戻らなければ、捜索願を出すかもしれません。
でも、髙月の家では、美奈がいなくなった後、アクションを起こすのは何日後でしょうか。現に、昨日・一昨日と外泊したのに、何ら騒ぎにもなっていませんから」
「美奈の外泊に関しては、あまり気にしていなかったよ。飯塚の家以外に行くような、ふしだらな娘ではないはずだからな。だが、美奈の言いたいこともわかった。
なら、こうしよう。一週間。一週間だけ、待とう。
一週間以内に、息子や嫁がその事に気付き、何らかのアクションを起こしたら。
美奈、お前は髙月の家に戻りなさい。
けれど、一週間経っても気付きもしないようであれば。
美奈の戸籍を、髙月家から外す。その手続きを、飯塚家と協議しよう」
「有り難うございます」
一般論で考えて。娘が一週間外泊して、それに気付きもしないような親は、親の資格がないと思う。……やっぱり、最後の一線で。両親が、美奈の〝本当の親〟であってほしい、って、心のどこかで思っているんだと思う。
「美奈。これを持って行きなさい」
と、少しの間席を外していたお祖父さまが、封筒を。結構、厚みがあります。
「お祖父さま?」
さっき言った言葉の意味も、もう分からなくなったの?
「そうじゃない。月謝でもなければ、美奈の小遣いでもない。
これから、美奈は髙月の家に頼らず生きていくことを選ぶのなら。おカネはいくらあっても足りないだろう。
美奈。一週間だ。
一週間以内に息子たちが動くのなら。そのおカネは、お前の小遣いにすると良い。何に使おうと構わん。
だが、一週間経っても息子たちが動かなければ、さっきも言ったが美奈の戸籍を、髙月の家から外す。そして、それ以降。お前の学費を含めて、一切の援助を、髙月からはしない。
その時、それは最後の餞別になる。
捨ててくれても構わんし、浪費してくれても構わん。勿論、飯塚家に預けても構わん。だがそれは、髙月の家から美奈の為に使う、最後のカネになる」
……お祖父さま。
「……有り難うございます。そういうことなら、謹んで頂戴します」
「ところで、さっき何を悩んでいたんだね?」
「はい、このベッドをどうしようか、と」
「持って行こう、と思っていたのか?」
「実は、少し。でも、このベッドに、特段思い入れはありませんから」
「だが、飯塚家に迷惑にならないのなら、持って行くと良い。
嫁入り道具のタンスの代わりに、夫婦で使うベッドというのも、また一興だろう」
「お、お祖父さま!」
うん、お祖父さまがそうおっしゃるのなら、持って行こう。髙月の家の、最後の思い出に。
◇◆◇ ◆◇◆
この一週間後。祖父から飯塚家に、正式に養子縁組の話が持ち込まれた。
けれど、どう書類を弄ったのか、美奈は〝水無月家の〟養子として、手続きされることになった。
学校では、卒業までは〝髙月〟姓を名乗り、けど戸籍上は〝水無月〟姓に。
また、祖父は遺言状を書き換え、「全財産を美奈に」とした、という話を知るのは。
祖父が旅立った後、四十九日を迎えてから、だった。
(2,908文字:2019/08/28初稿 2020/04/30投稿予約 2020/06/12 03:00掲載予定)
・ 髙月翁は、租税特別措置法第七十条の二の二第一項に規定されている、「教育資金贈与の特例」(子や孫の教育資金に限定し、贈与税の減免を受けられる制度)を利用して、水無月(髙月)美奈さんの教育資金口座を開設し、ここに1,500万円を振り込んで、飯塚家に管理を委託しています。結果、美奈さんの学費は、飯塚家では事実上負担していません。
・ 現在の『倉庫』内は。既に物理の法則が乱れているので、女の子が一人で天蓋付きキングサイズベッドを持ち運べます。
・ 髙月翁「美奈、運送のトラックを手配したぞ。すぐに来る――、美奈? (ベッドもなく、私物もない美奈の部屋を見て)そうか、もう出たのか。……達者でな」
・ (学校で)担任の田島教諭「髙月。苗字が変わるって聞いたが」
水無月(髙月)美奈「はい。これから水無月姓を名乗ることになります」
担任「だが、急な名前の変更は、クラスメイトに悪影響を及ぼすかもしれない。それにこの新住所。これは飯塚の家、か?」
美奈「一応、学籍上は『髙月』姓で通してもらうよう学務課にお願いしました。美奈としては、飯塚姓に変えないだけ良識があったつもりです。でもどうせあと一年半程度の問題ですから、飯塚姓、名乗って良いですか?」
担任「……頼む、止めてくれ」




