第11話 弓禅一如
第02節 帰還、翌日〔4/7〕
◇◆◇ 雫 ◆◇◆
お昼休みは、昼食の時間。そして余った時間は、自由時間だ。
友達と遊ぶ者、英気を養う者、午後の授業の予習をする者。
ただあたしの場合、昼食は外界時間の一瞬で終わってしまい、仲間たちと過ごす時間も充分に採れている。『倉庫』で昼寝したり入浴したりすることさえ出来るのだから(しないけど)。
だから、実は、時間を持て余していた。紗香たちは、雄二に遠慮して別行動を取ってくれたから余計に。
なら、余った時間は何に使おう? 向こうの世界では、『倉庫』内でしなければならない仕事と、外界でしなければならない仕事が両方あったから、あまりこういった〝持て余す時間〟はなかった。けど、こっちでは「外界で出来ること」の多くは「『倉庫』内で出来ること」だから。外界の一般人相手に、しなければならないことなんて――。
「あぁ、ここにいたのね、松村さん!」
どうやら、あったようだ。
◇◆◇ ◆◇◆
「部長、どうされました?」
「どうって、朝練休んだから、気になったのよ。
昨日、吉川先生に言われたことでも気にしているの?」
吉川先生。吉川四段。弓道部の顧問だ。
「否、そうではなく……。
違いますね。それも、理由でした。
放課後にでも改めてご挨拶に伺う予定でしたが、あたしは、弓道部を退部したいと思います」
「な!」
おどろいてる驚いてる。まぁそうだろう。
部活を辞める、なんていうのは、練習について行けなくなった落伍者だけ、というのが、運動系部活動の常識だ。勿論、家庭の事情などもあるだろうけれど、あたしのような寮生には、それは当て嵌まらない。
そして、あたしの場合。公式戦での成績はともかく、練習で披露される伎倆は、落伍するレベルとは対極にあるのだから。
「詳しく、事情を話しなさい」
弓道部部長、齋藤先輩は、そう言って。
あたしを吉川先生の下に連行した。
◇◆◇ ◆◇◆
「どういう事だ、松村? 何を考えて、部活を辞めるなんて言い出した?」
齋藤部長から話を聞いた吉川顧問は、そう言ってあたしに問いかけた。
「昨日の、吉川先生の言葉そのままです。
『あたしの弓の業は、技術があっても心は無い』。
その意味を、一晩あたしなりに考えてみました。
あたしには、弓を通じて、的と、すなわち己と向き合うことが、どうやら出来ないようです。
あたしの向かう先、歩む道は。弓の道とは違います。
だから、あたしが己と向き合う為には、弓道はまるで意味がない、と自覚しました」
これは正直、語弊がある。
弓道に意味がない、のではない。「誰かと共に励むこと」「誰かと競い合うこと」「誰かに評価してもらうこと」に、意味がない。つまり、「スポーツとしての弓道」に、意味がないというべきだ。
そもそも、「弓道」という武道の本質は、己と向き合うこと。その〝対象物〟として、〝的〟がある。だからこそ、「競い合う」こと自体が弓道の精神とは相容れない、という意見もあるくらいだ。極論、「百射百中出来る伎倆を得た時こそが、真の修行の始まり」とさえ謂われるほどに。
その意味での「弓道」の修行は。クラブ活動である必要性は、まるでない。むしろ、誰もいない静謐な的場で、競い合う相手も歓び合う仲間も応援してくれる観客も、評価する審判さえもいない場所で射ることこそが、本来必要なことだと謂えるのだ。
〝武〟としての弓術は、向こうの世界を訪れた時のことを考え、その伎倆を維持する必要があるかもしれない。けれど、武道としてのそれは、これ以上を考える必要はない。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。意味がないってどういう意味?
うちの部活でやっていることは、無駄だってこと?」
「失礼な言い方ですが、あたしにとっては、そうです。
あたしにとっての弓道は、的に何本矢を中てたかとか、どんな選手と競い合うかとか、団体戦で優勝トロフィーを手に出来るかとか、そういうところには無いんです。
極論、矢も的も、それどころか弓さえも必要ありません。今この場であっても、あたしは的場に立っているのですから」
後に、雄二が言った。
〝弓禅一如〟という言葉があるけど、「禅」には三種類あるのだ、と。
仏教で、禅宗と呼ばれるのは三宗派。曹洞宗と、臨済宗と、黄檗宗。
その〝禅〟の在り方も宗派によって違い、曹洞宗は「坐禅」を、臨済禅は「動中の禅」を、黄檗禅は「儀式化された動中の禅」を、それぞれ教えている。
これらを〝弓禅一如〟に当て嵌めて考えると。
曹洞禅の教えでは、「坐禅をし、心を鎮めてから的場に立て」。
臨済禅の教えでは、「的場に立ち、弓を引くという動作の中で、禅の境涯に立て」。
黄檗禅の教えでは、「射法八節。それ自体に坐禅と同じ意味を持て」。
どれが正しいという訳ではないけれど、「弓道」という武道が成立したのは江戸時代以降。そして江戸時代、臨済宗が事実上の国教となっていた(歴代将軍の師は臨済宗の高僧だった)ことを考えると、臨済禅の考え方が〝弓禅一如〟の精神なのでしょうね、と。
動中の禅。禅を「静かに坐って、心を鎮める」ことだと考えるのなら、坐らず、日常の行動の中で禅の境涯に立つことが出来れば。坐禅堂や的場のような、「特別な場」は、必要なくなる。それが、「今この場にあっても的場に立っている」という言葉の意味なのだから。
けど。それは残念ながら、齋藤部長はおろか、吉川顧問でさえ理解出来なかったようだ。
「なら! あたしと勝負しなさい。
もしあたしに勝ったら、貴女が退部するのを認めてあげる」
「お断りします。あたしが如何なる道を歩もうと、それを齋藤先輩に許可していただく必要はありません」
「冗談じゃないわ。貴女には、才能があるのよ。それを活かすのは、貴女の義務よ!」
「〝才能〟という言葉は、諦める言い訳に過ぎません。
誰にだって才能はあります。諦めず、一心不乱に努力すれば、それは成果となって顕れるでしょう。
諦めてしまったり、努力することを怠ってしまったり、或いは努力をしているつもりなのにその成果を実感出来なかったりした人が、そんな自分を正当化する言い訳に、〝才能〟という言葉は使われるのです。『自分には才能がないから』、或いは『あの人は才能があるから』、と。
あたしが。今のあたしになるまで、何ら努力をしていなかったと思いましたか?
あたしは、自分の弓道着を持っています。それも、絹製の。
あたしは、自分の弓を持っています。自宅には、真竹製のものもあります。
あたしの自宅には、我が家の専用の的場もあります。
そういったことで、妬まれたり揶揄されたりしたこともありました。
けれどそれは、あたしが幼少の頃から、弓を引いていたということでしかありません。
下手糞と父に竹刀で殴られたことは、もう数え切れません。父や道場の先達と比較され、才能が無いと悪罵されたことも、何度もあります。
あたしの、弓術の伎倆は、十数年間のそういった修業の果てに培われたものなのです。
そして、だからこそ。吉川先生の言葉で、あたしは次のステップに進むきっかけを得たんです。
今のあたしにとっては。的場で弓を引くよりも、禅寺で静かに坐る方が、余程得るものが多いでしょう」
(2,870文字:2019/08/23初稿 2020/03/31投稿予約 2020/05/27 03:00掲載予定)
【注:作中の、松村雫さんの「禅」の解釈は、まだ不十分。至っていません。けど、彼女は仏法に帰依している訳でもなければ仏教学者になりたい訳でもないのですから、そんな知識上の話は些末事です。必要なことは、ちゃんと理解しているのですから】
・ 「修業」と「修行」は、意味が違います。「修業」は技術の習得、「修行」は心の涵養。つまり日本武道では、「修業」が終わった時に「修行」が始まるのです。
・ 臨済禅と黄檗禅の違い。臨済禅は「禅に特別な場(坐禅堂)は必要ない」。黄檗禅は「日常それ即ちその全てが禅の為の特別な場」。実は同じことを言っています(黄檗宗は明治初期までは「臨済宗黄檗派」でした)。だから黄檗禅で〝弓禅一如〟を解釈するなら、「射法八節」も禅の作法のひとつに過ぎないでしょう。
・ 弓道とアーチェリーの、最大の違い。弓道は、競技相手や審判がいなくても、たった一人でそれを行えます。何故なら、向き合う相手とは自分なのだから。けどアーチェリーは、それらがいなければ弓引く意味さえなくなります。アーチェリーは『相手に勝つ』為のスポーツなのだから。
・ 吉川顧問は、松村雫さんの気持ちを曲げられないと理解した後、近くの弓道道場を紹介しようとしました。それこそ社会人から弓道部を持たない公立中学校の生徒までが参加する、道場。けれど雫さんにとって、ただ弓を引くだけなら、『倉庫』の的場で充分なのです。
・ 「弓禅一如」。「弓を引くことが、禅をすることと同じ」なら、逆に「禅をすることが、弓を引くことと同じ」になります。つまり、坐禅しながら、弓も矢もなく、的もなく、弓道をすることが出来るんです。それこそが、本来の(そして究極の)「弓禅一如」。




