「普通」の違い
必死に追いすがってくるモブローを無事に撒き、俺とロネットは何とか無事に……無事に? とにかく俺の部屋の前まで辿り着いたわけだが……
「ここがシュヤクのハウスね!」
「いやそれ二回目だから……」
何故か俺の横には、リナもいた。いや、何故かって言うかロネットが入寮する手続きをしてたら、普通に追いついてきて一緒に手続きをしたのだけれども。
「てか、何でお前がいるんだよ? 普通あの流れなら追いつかない感じじゃね?」
「むぅ、モブリナさんは空気を読んでくれるとばかり思っていたのですが……」
「それはそれ、これはこれよ! それにアタシは空気を読んだから来たの。でしょ?」
「あー……まあ、そうか」
パチリとウィンクするリナに、俺は仏頂面で頷く。確かに俺は何となくロネットと二人きりにはなりたくなかったし、リナはリナで俺達を二人きりにはしたくなかったんだろうから、俺達的にはWin-Winではあるな。
「まあいいや。相変わらず片付けてはいねーけど、適当に入ってくれ」
リナが一緒なので大分気が楽になり、俺は無造作に二人を部屋に招き入れる。すると二人は物珍しそうに室内を見回し始めた。
「この前来た時より、順当に散らかってきてるわね」
「うっせーな、いいだろ? 生活してりゃこんなもんだって」
確かに前回リナを招き入れた時より、幾分か物が増えて散らかっている。だが俺的にはこのくらいは全然許容範囲内であり、今のところ片付ける必要性を感じていない。
「あの、よかったら私が片付けましょうか?」
「お? ロネットは俺の部屋の散らかり具合が気になるか?」
が、ロネットは違うらしい。世間一般の青少年なら……特にモブロー辺りなら無条件で喜ぶような申し出に、しかし俺はニヤリと笑って言う。
「なるほどなるほど……ちなみにこれは俺の持論というか経験則だが、異性の部屋に行ったとき、その散らかり具合が気になるようだったら、そいつとの相性はもの凄く悪いらしいぞ?」
「えー、何それ?」
「そんな話初めて聞きました!」
「何? 興味ある?」
俺の言葉にリナが胡散臭げな、ロネットは……何だろう? 好奇心? それだけじゃないような……とにかく二人が注目してくる。ふふふ、ならばここは語ってやらねばならんだろう。俺は二人をベッドの上に座らせると、自分は一脚しかない椅子に腰を下ろし、背もたれを前にする行儀の悪いスタイルで二人に向き合う。
「では説明してやろう。まず前提として、部屋ってのはその家主……この場合は俺だな。俺が暮らしてる場所なわけだ。つまり他人から見てどんな状態であろうと、俺にとってはそれが普通になる。たとえ俺自身が『散らかってるなぁ』と自覚していても、だ」
「ん? 何で? 散らかってるって思ってるなら、普通片付けるでしょ?」
「お、いいところに気づいたな? だからだ」
首を傾げるリナに、俺はビシッと指を突きつけて言う。
「本当に暮らせないと思えば、片付けて掃除するんだよ。でも散らかってると思いつつもそうしないなら、それが家主にとって許容出来る範囲の散らかり方……つまり『普通』であるってことだ。
ほら、リナならわかるだろ? 到底人が住めるとは思えないような汚部屋に暮らしてる奴とか」
「あー……」
「? 人が住めないって、どんなお部屋なんですか?」
「すまん、それは話の本筋とズレるから、あとでリナにでも聞いといてくれ。で、そんな俺の部屋にロネットが入って、散らかってるな、片付けたいなと思ったわけだが、それってつまり、片付いてる状態……つまり『普通』の基準が違うってことなんだよ。それが致命的なんだ」
「致命的!? え、部屋を片付ければいいだけの話ですよね? 許可がもらえれば、私が勝手に片付けますよ?」
「チッチッチ、甘いなロネット。激甘だ」
今度は眉根を寄せて首を傾げるロネットの方にビシッと指を突きつけ、俺は更に言葉を続ける。
「確かに恋人……今回は違うが、そういう関係性があるなら、部屋を片付けるのも苦にならんだろう。純粋な労働作業ではあるが、恋愛ブーストがあれば『恋人の部屋を片付けることすら楽しい』なんて心境になるからな。
だがそんなのは永続しない。付き合い始めの頃はいいが、二年三年と長く付き合ったり、ましてや結婚すればそれが一生続くんだ。早々にブーストが切れると、今度はこう思うようになる。『何で相手が散らかした部屋を、私ばっかりが片付けてるんだろう?』ってな。
そうなったらもう終わりまで一直線だ。散らかすだけ散らかして片付けない相手に対する不満が募り、自分だけ片付けている不公平感が膨らみ、ちょっとしたきっかけで『何で私にばっかり部屋を片付けさせるの! 貴方が散らかしてるんだから、貴方が片付けてよ!』と爆発することになる」
そこで一端言葉を切ると、俺は大きく息を吸って力を溜める。
「だが! だがしかし、だ! さっきも言った通り、散らかしている側からすると、部屋は散らかってないんだ。別にそのままでもいいのに相手が勝手に片付けて、勝手に不満を溜めてるようにしか見えない。
だからそんな事言われても『お前が勝手に片付けてるのに、何で文句言うんだよ! なら片付けなきゃいいだろ?』となり、相手は『こんなに散らかってるのに片付けないなんてあり得ない!』と返すことになる。
これが最初に言った『普通』の基準の違いだ。どうだ、致命的だろ?」
「それは…………」
「普通に男、っていうかアンタが……散らかしてる方が部屋を片付けるんじゃ駄目なの?」
「駄目ではない。駄目ではないが、それは俺にとって大きな負担だ。何度も言ってるが、俺にとっては散らかってないのに、それを相手に合わせて片付けることになるわけだからな。
つまり、やる必要のない仕事が増える。そしてそれは当然俺自身の不満になり、『何で俺は相手のために必要以上に部屋を片付けさせられているんだ?』と感じるようになるわけだ。
しかも相手の側からすると、片付いている状態がゼロ……つまり『普通』なので、それは努力と考えない。やって当たり前の事をやってるだけで不満を募らせる俺に対し、『散らかしてるのは貴方なんだから片付けて当然でしょ? それとも私は貴方が息をする度に褒めなきゃいけないの?』と返してくる。俺が努力して維持している俺の『普通』以上の整理整頓された空間は、相手にとって当然の『普通』だからだ。
ああ、ちなみに双方がちょっとずつ妥協して我慢するのも駄目だ。それをやると『いっつもちょっと散らかってるけど、文句を言うと怒るから我慢しよう』『いつもちょっと面倒な片付けをやらされてるけど、不満を言うと怒るから我慢しよう』と、お互いが不満を溜める形になる。ある意味これが一番駄目な形だ。
ということで、とにかくこれが『普通』の違いが致命的という理由だ。自分にとってのゼロが相手にとってマイナスだったり、自分にとってのプラスが相手にとってゼロだと、長く一緒に過ごせば過ごすほどそのズレが不満を生み、不幸しか呼ばないっていう、まあそんな話だな」
「はぁ……」
「シュヤク……アンタ相当こじらせてるわね」
力説を終えた俺に、ロネットがキョトンとした顔をし、リナが呆れたような目を向けてくる。だがそんな視線に今更怯むつもりはない。
「言ってろ。でも人と人の仲が上手くいかないなんてのは、大抵こういう、一見すればどうでもいい些細な問題の積み重ねなんだよ。暴力だとか浪費癖だとかのでかい問題は、最初の段階で選別されるからな」
「それはそうかも知れないけど……」
「あの、シュヤクさん? 一ついいですか?」
「ん? 何だ?」
俺の予想ではドン引きしているはずだったロネットが、何故か平然とした様子で問うてくる。ふむ?
「感覚の違いが問題だというのはわかったんですけど……そういうのって、使用人を雇えばそれだけで終わる話ですよね?」
「…………へ?」
その言葉に、俺は思わず間抜けな声をあげる。使用人……使用人!?
「使用人を雇ってそういう雑事を任せてしまえば、私が直接働くわけではないので不満を感じたりしないですし、シュヤクさんだって自分が合わせるのが辛いというだけで、片付けられること自体が嫌なわけではないですよね? いえ、仮に嫌だったとしたら、シュヤクさんの部屋だけ片付けないという選択肢もありますし」
「そう……だな?」
俺の頭の中にあった日本の兎小屋のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく。
あー、そうか。そうだよな。ロネットお金持ちだもんな。そりゃ部屋が沢山あるでかい家に住んでれば一部屋くらい散らかってても気にしねーし、そもそも使用人が仕事するなら家事そのものがなくなるんだから、よっぽど大きくズレてなきゃ、基準の違いによる不満、すれ違いなんてそもそも発生すらしない。
「じゃあ問題は解決ですね! 私もいずれは父の仕事を引き継ぐか、あるいは自分で商会を立ち上げるつもりですから、部下や使用人はそれなりに雇うつもりなので、何の問題もありません!
もっとどうしようもないことなら困っていたところですけど、簡単に解決できる問題でよかったです! えへへ……」
「アッハイ、ソウッスネ」
「金持ち喧嘩せずって、こういうことなのね……」
マネーイズパワー。世の中の問題の九割は、金があればなんとかなる。嬉しそうに笑うロネットに対し、俺はもう何一つ言うことができなかった。





