認識阻害阻害装置
師走の秋葉原はいつの時代でも賑やかだ。
買い物客を鼓舞するクリスマスソング、あちこちのスピーカーから聞こえてくる女性声優の声、そこに合成音声の歌などが混じり、街は雑多な音の洪水に沈んでいる。
「今年はちょっと隣国からの観光客が減りましたけど、相変わらずな賑わいですね」
「いやあ……この時期になっても結構観光客はいるもんだね。みんながみんな敬虔なクリスチャンてわけでもないのか」
「日本に来ている間は神様はお目溢しをしてくれる、って言ってる宗教関係者もいるくらいですから……」
「不信心な人が増えに増えたら宗務二課のお先は真っ暗なんだがねえ……」
「……そうですね。実際、京都の神社仏閣の中にはただの観光地になってしまったところもありますし」
タクシーの窓から見える風景に適当な感想を言う常住と、適当な相槌を打つ宮塚。
タクシーがジャンク通りに近づくにつれ彼らの口数は減っていく。
真田無線ビルに近づき、進入禁止の標識の前で下車した頃には二人は完全に沈黙し、その目は宮塚の持つタブレットの画面に釘付けになっていた。
しかしタクシーを降りて程なく、二人は自分に起きた異変を感じ取る。
「何なんですかね。これ……かなり脳味噌をいじられてる感じがします」
「そうね。真田無線はすぐそこにあるのに石ころほどにも関心が持てない……。宮塚さんのタブレットがなければ何でここにいるのかすら忘れてしまいそう」
「はは……またオーバーな……」
「宮塚さんはその重そうなジュラルミンケースを持ってる分、体がここにいる理由を思い出させてくれるんだと思う」
重そうなケースを青息吐息で運ぶ宮塚。それを見ても手伝おうともしない常住。
わずか20mほどの距離だが、常住の細腕では手伝うどころか足を引っ張ることが分かりきっている。
なので宮塚も手伝ってくれとは言わない。ケースにキャスターをつけておけば良かったと後悔するだけだ。
「あー……指がちぎれそう。腰痛ぁ……」
ガチャン!
たまらず大きな音をたててケースを地面に置き、腰をトントンと叩く宮塚の姿。それは確かに道行く観光客の目をいくらか引いたことは間違いない。ところが、だ。二人が真田無線の入口にたどり着いた途端、それまでチラチラと二人を見ていた観光客が、急に興味を失ったように目を逸らしていくではないか。
真田無線の店舗の周辺に、人の関心を失わせるような何かが展開されているのは明白だ。
「……凄いね。私がここで裸踊りをしても人目を引くのは難しそう。一体どういう理屈なんだろう?」
常住が目を丸くする。絶世というほどではないがそこそこ人目を引くくらいの美貌はある彼女にとって道行く男性たちの視線を一切浴びないというのはあまりない経験でもあった。
「電磁場を利用して人の意識を操作してるんだとしたら凄いですよね……さて、計測はもう十分ということで、これからは介入を試みましょう」
「ドーパミンを弄ってんのかな……と、それより真田さんたちは今、過去にいるんだろうに、介入なんかして大丈夫かしら?」
「真田さんたちが向こうに居ないとこの磁場異常は発生しないんですけど……」
「そうだった。まあ時間漂流の一端で良いから調べてこいってのは至上命令だからね……しくじったら今後の査定にも響きそうだし、割り切ってやってみましょう。大丈夫。人死はでないよ。」
「……開けますね」
「OK」
宮塚がジュラルミンケースを開けると中には銀色に光る金属球、そしてバッテリーと大きなトランスが入っている。
明らかに手作りなスイッチボックスの無骨なスイッチをONにすると金属球は唸るような音を立て、トランスの鉄芯に叩きつけられた。
「なるほど、これが1.5テスラのネオジム磁石か」
「それとランダム高速可変コイル。これでA6とやらが対抗してきてもここのおかしな電磁場を十分乱せますよ」
「そうであって欲しいな」
傍から見ればジャンク屋の入口で怪しげな装置を操作しながら意味ありげな会話を繰り広げる怪しい男女なのだが本人たちはかなり真剣だ。なにせ未来から来たどこぞの国の威信がかかった超AIによる過去干渉に立ち向かっているのだから。
宮塚がスイッチを入れて30秒もしないうちに、道行く観光客が常住と宮塚の姿をちらちらと見出した。
「常住さん、とりあえず『無関心フィールド』は乱せたようです」
「では、気が進まないけど行きますか」
指を胸の前で組んで腕を伸ばし、腰を捻って軽くストレッチをする常住。
宮塚は軽くあくびをしながらもタブレットと常住を代わる代わる見ながら軽く頷いた。
「シールドメットとか持ってきたほうが良かったですかね」
「次があったらそうしましょ。磁力か何かでで弾き飛ばされるのかと思ってたのに、まさかやる気を削ぎに来るなんて思いもしなかったもの。磁石持ってきてあっちの電磁場をかき乱せたのはポイント高いわよ」
「まあ、当てずっぽうでとりあえずこの場を乱すことを考えてただけですけどね……」
無気力と無関心に意識の半分以上を支配されながらも常住は真田無線の自動ドアの前へと進む。店は彼女の眼の前にあるのだ。であれば、鍵がかかっていなければ入れない道理はない。だが入ったが最後、これまでとは違う何かしらのイレギュラーが発生しないはずもまた、ないのだ。
「……開かないね」
相当な覚悟と精神力を要した最初のトライアルは失敗。自動ドアはいつもの軽快なチャイムを鳴らさず、開くことはなかった。
「自動ドアだし、A6が何かしら対策したんでしょうかね。流石というべきか」
「じゃあ、こっちかな」
常住は車庫の方に周ると灰緑色のドアに駆け寄って行く。
勝手知ったる他人の家。以前経験した3週間近い過去での滞在で、彼女は真田無線の店舗の構造を熟知しているのだ。
「こっちはただのドアだからね、いけるかも」
宮塚は首を伸ばして車庫の方を見ようとするが、常住の姿は見えない。
常住はドアノブに手を伸ばし、固唾を飲みつつ手首をひねる。
カチャッとラッチの音がすると同時に常住はドアを引き寄せた。
「さあて、シュレーディンガーの猫ちゃんは生きてるかなあ……?」
人のやる気や興味、集中力、注意力に深く関わる脳内ホルモンにドーパミンがあります。ドーパミンは、隣接した2つの水酸基(–OH ×2)を持つカテコール構造と、エチルアミン側鎖(–NH₂)を備えており、明確な電気双極子、水素結合方向性、水との強い相互作用を持つため、理論上は周囲の電場が強ければその影響を受けます。
A6は店舗に近づく人間のドーパミン分子と、その受容体近傍の分子環境を、強い電磁場によって操作しているという設定です。と言ってもA6は自由拡散するドーパミン分子を直接操作しているのではなく、膜近傍、シナプス間隙、受容体周辺といった制約空間において、分子配向や結合確率の統計分布を偏らせることで、店舗周辺の人間の集中力や注意力を静かに削ぎ、やる気を霧散させているのです。
これに対し、常住と宮塚はA6の操る電磁場を自前のネオジム磁石とコイルで乱すことで、A6による認識阻害から逃れようとしたのです。




