昭和41年の逃亡劇(前編)
真田充は呆けていた。34年の人生の中で一番呆けていたと言っても良い。
未来が自分を憎からず想っているという、そのことを何度も確認し、きちんと肯定されたのである。
中高と男子校、大学は工学部という重い十字架を背負い気がつけば30を超え、かろうじて魔法は使えないものの危ない橋は何度も渡った充がついに得た心の安息であった。
まあ、ぱっと見て20代で十分通用する美人が秋葉原の端のジャンク屋に定時後しょっちゅう通ってくるなんてそれなりの理由がなければあり得ない筈なのだが、充はその理由をタイムスリップ先での競馬の利益欲しさだと思いこむことで自分が壮大な勘違いをしていた時の心の防波堤を営々と構築していたのである。
その防波堤が必要のないものだと知った時の充の喜びようはとても小説に書けるようなものではなかった。
真田充34歳、青春、してます!
ただ、その緩んだ顔面の筋肉群を冷ややかな目で見ている人物がいる。他ならぬ沢村未来その人であった。
「あのねぇっ!あたしはサナっさんのそんな顔を見たくてあんな小っ恥ずかしい話したんじゃないのよ?」
「んーふふふ。ごめんよぅ未来ちゅわーん。どーぅおしてもさーあ、こーなっちゃうんだよー」
仕事は真面目にしているようだが、umma4やA6の話もとんと出てこない。決定的に足りていないのだ、緊張感が。
(これは流石に言うタイミングか、伝えた言葉の温度感か、とにかく何かを間違ったわねえ……何より私がなんだか全然楽しくないのはおかしくない?それに、この状態のサナっさんと過去に行くのは危険じゃないかしら……?)
流石に未来は大人の女性だけあって、脳が恋愛に占拠されて機能不全を起こすには至っていない。
むしろ自分たちの状況を冷静に見つめ、そして判断している。現状はヤバいと。
「サナっさん」
「んー?何?未来ちゃん」
「私、会社の下期の目標設定でちょっと仕事忙しくなるからしばらく来れないと思う。ごめんね」
「えっ?」
閉店間際、二人きりの店内でのいきなりの未来の「しばらく来ない」発言がどういうものか充は計りかねた。普通に仕事が忙しいなら他の客がいる前でも言えるはずだ。わざわざ二人きりになってから言う話ではない。
経験値の少ない充には対処が難しい局面だった。
「……判った。こちらからもできるだけ連絡はするから、お仕事頑張って」
「うん。じゃあね……きゃっ!?」
ドスンという鈍い音。未来が店から出ようとした時、未来を突き飛ばして男が店に入ってきたのだ。
未来に危害を加えられたことで充の精神は一気に戦闘態勢に入ったがそこは店主。極力平静を保ちながらまずは未来を起こす。
「大丈夫?」
「いたた……ありがと。大丈夫よ」
「歩くのキツかったら奥で休んでいって?」
「いや、今日はもう帰るわ。ありがとね……あたた」
尻を痛そうにさすりながら、それでも未来は末広町の駅の方に歩いていく。まるでここには居たくないと言わんばかりだ。
「……気ぃつけてな」
未来を見送ると、充は未来を突き転ばした男の方に向き直った。
「お客さん、ご来店は歓迎しますが他の方を突き飛ばしてってのは困りますよ」
いつもの充らしからぬドスの効いた低い声。その気迫のこもった態度のせいか、それとも別の要因か、男は怯えきっていた。
「すいません!すいません!危害を加えるつもりはありませんでした。後日あの女性の方にお会いできるようでしたらきちんと謝罪をします」
想定外の素直な謝罪。そして男性の怯えきった、そして疲れ切った表情。
こうなると充が取る行動はいつも同じだ。
「なるほど、ではあのお客さんが再び当店にいらっしゃることがあれば場を設けましょう。ところで当店そろそろ閉店です。何か、よほどお急ぎな探しものがおありですか?」
いつもならタイムスリップ後に使うセリフだ。充の顔に苦笑いが浮かぶ。
「いや、それもすいません。俺、金持ってません。というか俺、湯島の方から逃げてきたんです」
「逃げてきた……?って、それで何だってウチに……?」
「あ……店の中なら追ってきた奴も暴れられないと思って……」
「それならコンビニでいいじゃありませんか……わざわざウチに来なくても、あっちのほうが明るいし人目はあるし、防犯カメラだって何箇所も……」
借金漬けの男が生命保険をかけられて今から……というところだろうか。それとも遠洋漁業か、あるいはベーリング海でカニ漁か。まさか犯罪者で警察の追跡から……充の頭が久しぶりに目まぐるしく動く。
「悪さをして警察にでも追われてるんならウチは協力できませんよ。借金でも同じです。うちがあんたをかばう理由はありませんからね?」
「そんなんじゃない!俺は借金なんかしてない!み、店に借金してるのはあいつの方だ!」
男の必死の形相に急速に冷静になる充。よくよく見れば男の手首と足には爛れたような擦過傷。素っ頓狂な髪の色。そして頭の悪そうな物の言い方――――
「ああ、あんたはホストか何かで、破産した太客が今まで貢いだ金をお楽しみで取り戻すために監禁されてたのか?」
「ちょっ……言い方!」
その時、ぐにゃりと視界が歪んだ。店は激しい音を立てて揺れ、ジーという耳障りな低周波音が大音量で耳を責め立てる。
「うわっ!ちょ……なにコレなにコレ?」
喚く男。冷静な充。馴れとは恐ろしい。時空を超えるレベルの出来事さえ地震と大差ない程度には受け流すことが出来るようになる。
(ここんところ、こんな激しい揺れをするタイムスリップはなかったのに……いつもの、俺と未来ではないからか?)
揺れと音がやみ、視界がまともに戻ったところで充はため息をついた。
「真っ昼間かよ……いつだここは」
店においた電波時計を見るまでもない。そんなインフラが稼働するはるか前なのは簡単に判った。道にはオート三輪が走り、排気量の小さそうな車が渋滞を起こしてクラクションを鳴らしまくっているのだ。
冷静にバックヤードのアナログテレビとブースターの電源を入れ、ヒントを探る。
テレビではビートルズ来日のニュースが大々的に報じられていた。
「昭和41年か……こりゃまた」
昭和40年、41年はA6が話題にしていた事件に無関係ではいられない年だ。やはりumma4なりA6なりがなんらかの現象の一端を担っているのは間違いない。
「なあ、未来ちゃ……」
そう言いかけて充は口を閉じた。目の前にはタイムスリップの影響で気を失い、だらしない顔でひっくり返っているピンク髪のホストが転がっているだけだ。
とりあえずumma4が取材をしやすいようにチューナー付きPCの電源をいれ、ビデオデッキも何台か起動する。動画のキャプチャボードを複数枚入れたPCも起動してumma4と同じネットワークに繋いでやった。
(この時代は文字放送がないから、動画ストリームを解釈するしかないよなあ……480iだからなんとかなるか?)
タイムスリップ後の充は暇ではない。時代にそぐわないものをバックヤードに押し込め、来店する客にあまり未来製品を見せないようにしなくてはならないのだ。ダミーの電池やラジオ、無線機にカメラなどを棚に並べるのも一人でやるのはなかなかにきつい。
(未来ちゃんは何も言わなくても手伝ってくれてたなあ……)
未来と二人でないとタイムスリップしないという勝手に立てていた仮説はあっさり崩れ去ったが、そこはしょうがない。
「おい、起きろ」
「う……ううん?」
あと10分、とでも言いたそうなピンクのハリネズミの頬を軽く2,3回叩きながら、充は声を荒げた。
「追手が来たぞ!」
「え?うわわわあっ」
目を覚ました男は、外が昼間になっていること、明らかに外の景色がおかしくなっていることなどを感じ取り、うろたえ放題うろたえる。
「こっここここここ」
「鶏か?鶏にでもなったのか?確かに頭はそれっぽいが」
この、頭の弱そうな男に一から説明したとして理解できるかどうか、そこの一抹以上の不安を抱かずにはいられない充だった。
* 一つの出逢いが、幾多のタイムスリップを生み、充の心が優しい音色を重ねた……とか
* 電波時計の実験局設置は1988年です。
* 別に中高一貫の男子校に恨みはありません
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* TALESでも公開してます




