第七十三話 「拘事」
「ごめんなさい、仕事が忙しい中で呼び出してしまって」
「いえ、ひと段落着いたところだったので全然大丈夫です」
ルーカスはここ数日舞い込んできた仕事をひたすらに片付けていて、魔道所にすら顔を出すことが出来ていない状況だった。
そのおかげで婚姻を遅らせる理由としてもかなり説得力がある。だが、その代償にルーカスの顔には疲れの色が浮かんでいる。
ルーカスが手すきになった瞬間を狙ってクロエが声をかけることによって、やっと二人で会うことが出来た。
「最近、ちゃんと寝ているの?」
隣同士で外のベンチに腰を掛けている中で、珍しくルーカスの目の下にクマがあることを確認したクロエは心配そうに彼の顔を覗き込みながら尋ねた。
「徹夜になってしまう日もありますが、必要最低限の睡眠は取れていると思います……たぶん」
そう言ってルーカスは笑って見せた。
魔導師団に所属していた時は、今よりも過酷な環境下に置かれていたため、異動してからあまりにも正常な感覚に触れてしまって、身体が鈍ってしまったのかもしれないとルーカスは過去と現在を比較する。
「あまり無理はしないでね。用が済んだら、すぐに解散しましょう」
「いいえ、久しぶりに会えたのですから、時間の許す限り話せたら嬉しいです」
相変わらずの直球さにクロエは面食らってしまう。
相手を気遣っての発言だったのだが、そこからまさかドキリとさせてくるとは思わなかった。
「まあ、私は、時間あるから……ルーカスが大丈夫なら……」
「やった」
クロエの言葉に、すぐルーカスは歓喜の声をあげてニッと歯を見せて無邪気な子どもように笑って見せた。
「そうだ、僕もクロエさんに話したいなと思っていたことがあったんです。先日のネイア・ハルバーナの件です」
唐突に始まった真面目な話に、クロエは緩んだ気持ちを正すように背筋を伸ばした。
「まだ確実な情報ではありませんが、マリメル・ゴーズフォードの関与を怪しんでいた件について、不審な動きがあったという噂を耳にしました。もしかしたら……本当にクロエさんの考えているとおりに、彼女がネイア・ハルバーナを唆したかもしれませんね」
「それが真実だったとして、そこまでして私を徹底的に追い詰めたい理由を知りたいわ。私が不幸になったところで、彼女には何の得もないでしょうに」
ただ、クロエの中にはロージーの時のように自分が無意識に彼女を傷つけている可能性は否定できなかった。恨まれるべくして恨まれているのであれば、まだ自分の中で彼女の行動原理を理解することが出来る。
「それにしても、一体どこからその話を聞いたの?」
「ファルネーゼ家の使用人と父さ……アデレイン子爵に頼んで子爵家の使用人にゴーズフォード家からの情報収集をお願いしています。勿論、信用できる者の一部ではありますが。どうやら使用人の間では独自のコミュニケーションがあるようで、家のことを面白おかしく話すようですよ」
「守秘義務も何も無いわね……」
とはいえ、人間は噂話というものが好きな生き物だ。
それが下世話なスキャンダルであればあるほど面白がる、悪趣味極まりない。
「噂話の域を出ないものから、根も葉もない嘘など、大抵の場合において信憑性が無いので、それが司法や政治で利用されることもなく、単に使用人の娯楽でしかないのでしょうけどね」
「私もあなたも、日ごろの振る舞いには気を付けないとね」
クロエは、そう言った後にすぐ心の中で『もう私は手遅れでしょうけど』と付け加えた。
「この件は、また進捗があったらお伝えしますね。それで、クロエさんも僕に話があったのでは?」
「あ、えっと、私も大公にどう太刀打ちすべきか考えていて、まだ直接的なアイディアではないけれど……」
上手く切り出せずに、クロエは長々と前置きをする。
それに対して、ルーカスは急かすわけではなく、うんうんと頷きながらクロエの言葉を待っていた。
その様子を見て、クロエは下手に誤魔化さずにしっかりと考えを伝えるべきだと決心した。
「そもそも、あなたが大公家を継ぐという根底から覆せば良いのではないかと思っているわ」
「……え? 何を、言って……?」
流石のルーカスもクロエの言葉に面を食らったようで、目を泳がせながらあからさまに動揺を見せてクロエにたどたどしく聞き返した。
「本当にこれでいいのかって以前に尋ねたとき、あなたは何も答えなかった。ルークが私を鼓舞してくれたように、私もあなたの力になりたいと思っているの。大公家を継ぐことも魔導師団を辞めなければいけなかったことも、納得していないなら抗う権利があるはず」
先ほどのにこやかな表情と打って変わって、どんどんルーカスの表情が曇っていく。
「そんなこと、出来るわけないじゃないですか」
「やる前から出来ないと言うなんて……あなたらしくないわ」
この件についてルーカスは全く前向きではなく、クロエが言葉を発するたびに機嫌を損ねていった。
議論をするつもりも無いようで、ルーカスは顰め面で立ち上がった。
「仕事が忙しいので、僕はこれで失礼します」
全く詳細を話すことが出来ないまま、ルーカスはそそくさと立ち去ってしまい、一人残されたクロエは俯いて大きくため息を吐いた。
大変私事で恐縮ですが、現在海外にて暮らしているため投稿が滞る場合がありますことご了承ください(元々投稿頻度はあまり多くないですけれども……)
時間を見つけて完結まで鋭意執筆いたしますので引き続きよろしくお願いいたします!




