第七十二話 「視点」
クロエはここ数日、ファルネーゼ大公への説得材料を考え続けたが全く案が出て来ず頭を悩ませる日々だった。
早く何か案を出さなければいけないのに、焦れば焦るほどに思考が働かなくなる。
クロエと反対にルーカスは自身の役割を着実に果たしていて、思惑通りに可能な限り婚姻日を遅らせることが出来そうだった。
ルーカスが上手くいっていることがクロエをより一層追い詰めていて、全てにおいて悪循環だった。
「なーんか、浮かない顔ね」
横からひょっこりと顔を出したのはリーゼルだった。
クロエはすぐに「近いです」と彼女の顔を手でぐいっと押しのける。
「今度は何に悩んでるのかしら?」
リーゼルは雑な扱われ方に慣れているためか、特に気にもせずに問いかけを続けた。
クロエはすぐには返事をしなかった。この問題を人に相談しても良いのかという葛藤があった。自分自身で解決しなければいけないのではないか、という考えがまず始めに浮かんできたのだ。
だが、クロエはすぐにその考えを捨てた。勿論、出来ることは自分ひとりで解決したいし、自分で成し遂げていきたいという気持ちも持っているが、時には誰かの助けを借りることも決して悪いことではないのだと今は思っているから。
「……もう休憩には行きましたか?」
「ううん、これから!」
クロエの質問に、リーゼルは満面の笑みを浮かべた。
二人は、互いの仕事が落ち着いたタイミングで席を立ち、魔道所から近いカフェに入った。
そこは仕事に行き詰った所員たちが良く息抜きに使う場所で、二人とも常連と言っても過言ではない。
「それで、一体何に悩んでいるってわけ?」
二人はそれぞれドリンクを片手に席に着いて、それからすぐにリーゼルが本題を切り出した。
「先日、魔道所で起きた騒動を受けて、ファルネーゼ大公より婚姻を急ぐ事態になってしまいました。大公は私が働くことを快く思っていないので、このままだと魔道所を辞することは確実です」
「そうね、大公は貴族女性……ましてや大公妃が働くことを是とする人ではないでしょうから」
リーゼルも貴族の出自であることもあって、話の飲み込みはかなり早かった。
「多分、直接的な解決策は私も考えが浮かばないと思う。だけど……ふたりで考えたら何か糸口は見つかるかも」
「一緒に考えてくれるだけで、本当に嬉しいです」
クロエがお礼を述べると、リーゼルはしっかりと頷いて返事をした。
リーゼルにとって、クロエが自身を頼ってくれるという事実はかなり喜びを感じることだった。彼女が魔道所で声をあげて泣いていたあの日から、良き同僚として過ごしてきたと思っている。だけれど、どこか一枚壁があったような気がしていた。
それが、いつの間にか相談事をしてくれるようになって、真に友人関係を築けたのではないかと実感がわいてくる。
「単純な疑問だけれど、ファルネーゼ大公は何を重視しているのかしら」
「え? どういう意味ですか?」
「例えば、大公妃になる上で威厳や体裁を重視するのであれば、確かに仕事をしているという点は今の貴族社会では当然良しとはされていないから、どれだけ解決策を考えても答えを出すことは難しいと思う」
なるほど、とクロエは納得をしながらも自身と異なる視点に感心した。
これは完全に自分ひとりで考えていたら気づくことの出来なかった視点だ、とクロエは心の中で他者の助けを借りることの重要性をより理解する。
「私が大公と接した限りでは、あまり体裁を気にする人だとは感じませんでした」
クロエは、初めてファルネーゼ大公がエシャロット邸を訪れた時のことを思い返す。
大公は自身が持つ不名誉なレッテルについて、全く気にする素振りがなかった。もしも、大公が母親のような体裁を気にする模範的な貴族の人間であれば、少なくともクロエを大公妃に据えようとするはずがない。
「それであれば、大公妃に求めるものはその役割をしっかりと果たせるか否か。それであれば、まだ希望は見えるかもね」
少し希望が見えるような気がしてきたが、それでも役割を果たすための解決策は浮かんでこない。
クロエは「中々の難題です」とため息をついた。
「私も何かいいアイデアはないか考えてみる。もしも思い浮かんだらすぐに共有するから!」
「ありがとうございます」
休憩の時間も差し迫っていたため、二人は席を立ちカフェを出て魔道所に戻った。
その帰路でクロエは、ふと一つの疑問が頭に思い浮かぶ。
大前提として、ファルネーゼ大公はルーカスに求めていることは何だろうか、と。
ルーカスは自身が大公になることについて今でも納得感を持っていない。大公から一方的に告げられた逆らうことの出来ない命令に従っているだけだ。それは、ルーカスにとって果たして本当に良い道だと言えるのだろうか。
大公にとって、譲れないことは何なのだろうか。




