第六十九話 「ルーカスの憂鬱」
大公からの呼び出し。
それだけでルーカスは一日中憂鬱だった。
扉の前で深く深呼吸をしてから、コンコンと扉を叩き「失礼します」と一声かけて入室する。
大公は入室してきた人物が誰かとちらりと視線だけを向けてから、それがルーカスだとわかると手に持っていた書類を机に置いて顔をあげた。
「魔道所の仕事は慣れたか」
「そうですね、僕もそれなりに仕事が任されるようになって忙しくしています。他愛のない会話をするつもりでしたら、早々に戻らせていただきます」
ふたりは近況を報告する仲でも、くだらない雑談を繰り広げる仲でもない。
もし大公が歩み寄ろうとした末の問いかけなのだとしても、ルーカスは何を今更とそれを一蹴することだろう。
「では、早々に本題に入るとしよう」
ルーカスの冷たい言葉にも、顔色ひとつ変えずに大公は淡々と話しを続ける。
「先日、クロエ嬢が魔道所内で襲われたと聞いた。それは事実に違い無いな?」
「はい、事実です。ネイア・ハルバーナという男爵令嬢の犯行であり、この件は既に男爵家と伯爵家で話し合いも行われて解決に向かっています。令嬢も男爵領に送られて、しばらくは王都に近づくことはないでしょう」
既に解決していることを報告したことで、ルーカスはこの話が終わるだろうと思っていた。
だが、返ってきた言葉は予測に反してかなり厳しいものだった。
「婚約者が襲われたのは、君の責任ではないのか?」
「……え?」
大公の鋭い視線が注がれる。
ルーカスは瞬発的に言葉を返すことが出来ず、数秒沈黙が流れた。
「吾輩の耳にまでは届かないとでも思ったか?」
ルーカスはゴクリと唾を飲む。
故意に黙っていたわけではなかったが、ネイア・ハルバーナがルーカスに執着していたということは特に話さないでいた。大公にちくちくと言われることは避けたかったという気持ちもあり、それで言うと故意ではあったのかもしれない。
「いえ……確かに僕が不甲斐ないばかりに起きてしまったことではあります」
「そうだ、君にも責がある。そもそも、君の問題だったはずなのにクロエ嬢に被害が及んだのは、君の責任として言いようがないだろう。魔導師団から魔道所へ異動して、随分と腑抜けたのではないか?」
異動を命じたのは誰でもない大公であるのに、とルーカスは怒りを抱きながらも、大公の言っていることは尤もであるため反論が出来なかった。
確かに、魔導師団に所属していた頃であれば、もっとバッサリと切り捨てていたかもしれない。だけれど、それは逆上されたとしても自分以外に迷惑がかかることはないと思っていたからだ。自分の身の回りには魔導師団に所属している団員たちしかいなかったから、たとえ周囲に被害が及んだとしても自身で対処をすることが出来る。
だが、今はどうだろうか? クロエをはじめ、魔道所の所員全員が魔法を使えるわけでも戦闘経験があるわけでもない。ただ、周りを危険に晒さないためだという想いも言い訳にしかならないのだろうとルーカスは内心で結論づけた。
「このようなことが続いた場合、大公家の威信にも関わる。我がファルネーゼ家の名を貶めるのであれば、たとえ後継であろうとも許さない。吾輩の言っていることがわかるな?」
「今後は、このようなことが無いよう気を付けます」
大公は鋭い眼光をルーカスに向けて厳しく叱責する。当初に比べて、幾らか大公に慣れたルーカスは、大公の睨みにも怯まずに終話させるように返答をした。
もう話は終わりだろうと一礼して去ろうとしたところで「待て」と声がかかる。
「話はまだ終わっていない。吾輩が最も伝えたいことは、クロエ嬢が外で仕事をしていることも他者が付け入る隙になっているということだ」
「いいえ、僕のフォローが不足しているだけですので、クロエさんが仕事をしていることは関係ありません」
「あからさまに慌てるではないか」
ルーカスの様子を見て、大公はフッと鼻で笑った。
クロエが仕事を続けたがっていることをルーカスは知っている。どうにかファルネーゼ大公に納得してもらえる手段はないかと画策をしている中で、いま大公に事を急かされるわけにはいかない。それはクロエにとってもルーカスにとっても不本意であった。
もしもクロエが仕事を辞めるときは、自分自身の決断によってそれを選択して欲しい。自分と同じ道を歩ませたくはないという強い気持ちをルーカスは持っている。
「お前たちが何を考えているか、よくわかっているぞ。吾輩が易々とそれを許すとでも思っているのか? 年齢を考えても婚姻の時期を伸ばす必要も理由もない」
大公はクロエとルーカスの思惑に気づいていたのだ。
嘲笑うかのような表情がより一層ルーカスを苛立たせる。
「早急に先方と日取りを相談したまえ。決まり次第、吾輩にも報告するように。以上だ、下がっていいぞ」
「あなたはまた、そうやって勝手に!」
「勝手を許されるのが吾輩であり、それが許されるような働きをしてきた」
ルーカスは、それ以上何も言い出せず、代わりにぐっと力強く手のひらを握った。
今にも殴りかかりたい気持ちだったが、それが現実になる前にルーカスは踵を返して足を踏み鳴らしながら部屋を出た。




