第六十八話 「示談」
ネイアに刺されそうになった例の事件の数日後、早急にハルバーナ家が謝罪のためにエシャロット家を訪れた。
事件から2,3日は牢に入れられていたネイアだったが、クロエも怪我をしていないということもあり、厳重注意のみとなった。
というのも、もしも裁判に発展した場合にはより一層この事件が周知されて多大なる労力をかけることにもなる。エシャロット家は、既に不名誉な称号を持っているクロエに対してこれ以上汚名を着せたくないという思いと、所詮は男爵家であるハルバーナ家に対して労力をかけたくないということから、明確な意図をもって裁判を避けたのである。
曲がりなりにも伯爵家であるエシャロット家は、裁判などせずともハルバーナ家に制裁を与える方法が幾らでも持ち合わせている。
「この度は、大変申し訳ございませんでした」
ハルバーナ男爵と男爵夫人、ネイアとその兄弟2人という家族総出で謝罪に訪れて全員が頭を下げる。
ネイアは未だ若干不服そうで、両側から父親と兄弟に頭を押さえつける形で下げさせられていた。
この様子をとっても、おそらくハルバーナ家の人々は全くのまともで、ネイアのみ頭がイカれてしまっているのだろうとクロエは結論づけた。
「今回は厳重注意という措置を取らせていただきましたが、また同じようなことが起きた場合には刑罰は免れませんよ」
「ええ、十分に理解をしております」
普段、エシャロット伯爵とはあまり顔を合わせない所為もあって、このような威厳ある姿をクロエやロージーが目にするのは久しぶりだった。
メルロの尻に敷かれてばかりではあるが、伯爵としての威厳は持ち合わせているのだと再確認する。
「そもそも、こんなじゃがいもが大公家に釣り合うと勘違いさせてしまうような環境が悪いのではないですか?」
「だ、誰がじゃがいもですって!?」
「ほら、この状況で言い返すこともあり得ないわ」
ロージーがかなり冷たい視線を送りながらネイアを『じゃがいも』と呼んだため、多少しおらしくしていたネイアもこれには怒りを炸裂させた。
挑発をした、というよりは完全に本心で言っているようだ。
クロエはロージーの急な『じゃがいも』呼びに噴き出してしまいそうになりながら、必死に笑いを堪えた。
「それくらいにしなさい、ロージー」
「……はい」
もっと色々と言ってやりたいという不完全燃焼な状態ではあったが、母親に諫められたこともあり、口を尖らせながらもロージーは大人しく引き下がった。
「それで、慰謝料という観点の賠償は先日夫と取り決めを行ったようですので、家同士のお話は済みましたけれど、勿論そちらのお嬢さんにも何かしらの制裁をご用意してくださったのでしょうね?」
メルロは余所行きの表情を取り繕いながらも、ハルバーナ家に圧をかけるような口調で進言する。
「ネイアは……男爵領に送ります」
「む、無理、無理無理無理! あんな田舎ッ!」
ハルバーナ男爵領は王都からかなり離れた国のかなり端に位置する。
所謂、僻地に送られることになるのだ。
ネイアは置かれた状況をまだ理解していないのか、口答えをしたことでハルバーナ家の全員からギロリと睨みつけられて、やっと口を一文字に結んだ。
「修道院にでも送るかと思いましたけれど、まあそれはお任せしましょう。大事な娘さんですからね」
修道女となった場合、生涯結婚することなく修道院に勤めることになる。
ここでいうメルロの言葉の真意としては、家の繁栄のための道具としての『娘』という意味だろう。
「ですが、ただ領地へ送るというだけでは軽いと思いません? 伯爵家の娘を傷つけようとしたのですから、二度とルーカスやクロエの前には現れないと誓うくらいはしていただかないと」
ルーカスは大公令息、クロエは伯爵令嬢。
この二人の前に二度と現れないということは、少なくとも貴族の集う場所には顔を出せない。必然的に二人の生活環境にも立ち入れないため、そもそも王都に足を踏み入れることすらも禁じられるようなものだ。
ネイアに与えられた選択肢はただ一つ、生涯田舎で生活をすることのみ。
「勿論です、寛大なお心に感謝いたします」
男爵が深々と頭を下げるが、隣のネイアは何も言わずとも表情から不服そうな様子が伺えた。
だが、どれだけネイアが不平不満を口にしてもこの結果は覆らない。彼女は田舎の領地に送られて、少なくとも数年は王都に来ることがないことは確実。
次に彼女が王都を訪れることがあるとするならば、彼女がハルバーナ家から離れた場合だ。どうにか上手くやって、どこか良い家柄の男性の元に嫁ぐのか、はたまた後妻として娶られるのか……それは今後の彼女の振る舞い次第だろう。
「今後については書面にてやり取りといたします。対面にて相談が必要な場合には、こちらから連絡します」
「本日は貴重なお時間をいただいてしまい申し訳ございませんでした。それでは、失礼いたします」
伯爵と男爵は形式的に締めくくりの言葉を交わして、ハルバーナ家は一斉に立ち上がり部屋をあとにする。
「お似合いだって言ったのに……邪魔してるかもって言ったのに……嘘つき、嘘つき……」
立ち去りながら、ネイアがぶつぶつと小声で呟いていたことをクロエは聞き逃さなかった。
誰かが、明確に自分陥れようとしたのではないか。
「誰が、お似合いだって言ったの?」
背後から声をかけると、ネイアはぴたりと立ち止まって、半分だけ振り返りクロエを見た。
「……知らない、黒髪の女」
それだけ言うと、またネイアは歩き出して行ってしまった。
この世界に黒髪の女はどれだけいると思っているんだ! とクロエは内心悪態をついたが、ネイアがその『誰か』を庇っているとは思っていない。彼女は本当にその女が誰か知らないのだろう。正確には、容姿のみを記憶し、名前や肩書きには何の興味も持ち合わせていないのだ。
だけれど、クロエにはその女はマリメルなのではないかと、何も証拠はないのに確信めいた勘を持っていた。
クロエを徹底的に排除したがるのは、専ら昔から彼女なのだから。




