第六十七話 「救出」
心の中でルーカスに助けを求めたその時、目の前で「ぎゃッ!」という鈍い音が聞こえた。
数秒経っても自分自身に痛みを感じず、恐る恐る瞼を開くと、目の前には地面に転がるネイアが見えた。
「クロエさん! 怪我はありませんか!?」
駆け寄ってきたルーカスに支えられてクロエは身体を起こす。
心配そうにのぞき込む彼の顔を見て、心の底からクロエは安堵した。
「ええ、大丈夫……来てくれてありがとう」
クロエに優しい笑顔を向けた後、すぐにルーカスはネイアの方に今にも殴りかかりそうなほど殺気を含んだ視線を向けた。
「僕にだけ迷惑が被るのであれば別に良いと思っていたし、下手に刺激すると周りを巻き込みそうだと思っていたから放っておいたけど、クロエさんを傷つけようとするのであれば話は別だ」
ルーカスの怒りの表情を見たネイアは怯えながらも言い訳を述べ続けた。
「違う、だってこの女がネイアの邪魔ばっかりするから」
「邪魔はお前の方だよ!」
「ひいッ!」
ネイアの戯言にルーカスが青筋を浮かべて攻撃魔法を放った。
それは、ネイアの横をギリギリ通りすぎて背後にぶつかって弾ける。
命中はしなかったものの、ネイアの頬を掠ったようで切り傷が出来たところからツーっと血が滴る。
「頭がイカれていると思っていたが、思い込みも甚だしいな。平民だった君の両親が、爵位を与えられて貴族になり、蝶よ花よと愛でられてきたせいで、どうにも勘違いしたらしい。所詮、成り上がりの男爵令嬢である君が大公家と釣り合いが取れるとでも? 僕に魔法の才能があったとして、君には何がある? 容姿だとか馬鹿らしいことは言わないでくれよ」
自分には可愛らしい容姿があるのだと主張しようとしたネイアは、ルーカスの最後の一言でぎゅっと口を噤んだ。
「人の命を狙ったんだ、それなりの報復を受けても文句は言えないよな」
ルーカスは再び攻撃魔法を発動しようとする。今度は外すつもりは少しも無いようだ。
ネイアはここで初めて「ごめんなさい」と言葉を発して、それを呪文のように何度も繰り返した。泣き顔はお世辞にも可愛らしいとは言えないものであった。
「やめて、ルーク! そこまでしなくていいわ!」
クロエは、ルーカスの腕を掴んで彼の行為を制止した。
ルーカスは彼女の行為が理解できずに、どうしてと問いかけるような表情を浮かべた。
「……あなたがそこまでする価値なんて無いもの」
クロエはネイアに恩情をかけたわけではない。わざわざ、ルーカスの手を汚させる必要すらないと感じていた。クロエはゴミを見るかのような目でネイアに視線を向ける。
「な、何があったんだい!?」
背後からバタバタといくつかの足音が聞こえた。
そこには所長のジョゼをはじめ、カシュやリーゼルなど魔道所に勤める魔導師たちが臨戦態勢をとりながら駆け付けた。ルーカスの攻撃の音を聞いて、何者かが攻め入ってきたのだと思ったのだろう。
だが、クロエとルーカスの先で泣いているネイアを見て、全員が肩の力を抜いた。
「お騒がせしてすみません。僕もクロエさんも怪我をしておらず、事態は収束済みです。この不審者は殺人未遂として警務隊に引き渡しますので、先方に急ぎ連絡をお願いします」
国の治安部隊である警務隊に引き渡すという判断は妥当だった。
彼女は司法の基で裁かれるか、もしくはハルバーナ家が直接こちらに交渉をしてくることだろう。
なんにせよ、ここで大人しく開放することは選択肢として持ち合わせていない。
リーゼルやカシュがネイアを拘束している様子を眺めながら、クロエはルーカスに声をかけた。
「来てくれなかったら、きっと私は彼女に刺されていたと思う。本当にありがとう」
「何となく表を確認したら、いつもは張り付いているネイア・ハルバーナがいなかったので何だか悪い予感がして……本当に偶然でしたが、間に合って良かったです」
ふたりは顔を合わせて、にこりと微笑み合う。
ルーカスに助けられてばかりだと思う一方、先ほど咄嗟に助けを求めた際、無意識にルーカスの顔が浮かんだことに気が付く。いつの間にか、自分の中でルーカスがかなり大きな存在になっていたのだと実感した。
「なんで、なんでネイアが……」
ぼそぼそと呟きながら連行されていくネイア。
彼女は自分がヒロインなのだと自負していたが、ボサボサの髪の毛に泣きはらし顔、転んだために泥のついた洋服と、今は全くその片鱗すらも見えないほどに先ほどの可愛らしい姿とは打って変わって醜くなってしまった。




