第六十五話 マリメルの暴走
そんなはずない、私はクロエから婚約者を奪い取ってゴーズフォード公爵家の人間になった。
私はクロエに勝ったんだ、私の方が幸せに決まっている。
マリメルは二人の後を追って怒鳴りつけてやりたかったが、公衆の面前ということもあり、どうにか怒りをおさめた。
侍従が何とも言えない表情をしているのを視界に捉えながら、マリメルは何でもないように顔を取り繕ってから近くに停めている馬車に向かった。
「このまま家に帰られますか?」
御者からの声掛けにマリメルはすぐに答えなかった。
マリメルの頭の中にはクロエに対しての怒りが占めていて、普段の彼女であれば実行に移すこともしないような考えが巡っていた。
クロエが幸せそうにしているなんてありえない、自分よりも不幸でなければならない。
そんな決めつけが今のマリメルの中では正しく、そのためにクロエを貶めることすらも何ら悪いことだと感じることすらなくなっていた。
「いいえ、向かって欲しいところがあるの」
やっと言葉を発したマリメルは意地悪にニヤリと笑っていた。
「やっぱり、ここにいると思ったわ」
マリメルがたどり着いたのは魔道所の前だった。
目当てとしていた人物は魔道所から少し離れた建物の陰でウロウロとしていて、彼女の予想は見事的中した。
マリメルの声に反応したその人は、パッと振り返る。
「びっくりしたじゃないですかぁ!」
声の主は、ネイア・ハルバーナ男爵令嬢であった。
甘ったるい声に嫌気がさしながらも、どうにか堪えてマリメルは笑みを張り付ける。
「ファルネーゼ大公令息を待っているの?」
「はい! きっとお仕事疲れているだろうと思って、温かい飲み物をお菓子を用意して待っているんです。でも、最近はなぜだかお会い出来なくて……」
得体の知れない女から貰った飲食物なんて絶対に口にはしないだろうし、そもそも受け取られることすらないだろう、とマリメルは断言出来るがその言葉は飲み込んだ。
表情は笑みを保ったままだったが、どうしても訝し気な視線だけはお菓子と飲み物が入ったバスケットに向いてしまう。
「誰かが、あなたたちの恋路を邪魔しているのかもしれないわね」
「……! やっぱり、あのいつも横にいる女がネイアたちの邪魔をしているのですね!」
マリメルは敢えて『誰か』と言い、特定の人物を明言しなかった。
以前は会話のなかでネイアが先にクロエと断定できる人物像を話したので彼女の名前を出したが、出来る限りは自分が扇動したことにはならないようにしたかった。その方が、何となく自分の中で良心の呵責に苛まれることはないだろうと思った。
「それで?」
「……それで、とは……?」
「このあと、一体あなたはどうするのかと思って」
明確な道筋は教えない。
彼女が行うのは、ただ少しだけ背中を押してあげることだけ。
「このあと……ルーカス様とお会い出来るように色々なところに顔を出して、それからネイアが運命の相手なんだって気づいて貰うんです! それから……それから……」
「だけれど、邪魔をする人がいて会うことも出来ないのよね?」
マリメルの言葉に、ネイアは目をカッと広げる。
視線は合っているが、彼女が捉えているのは目の前のマリメルではなくここにいない『誰か』だ。
瞳に宿されているそれが嫉妬の炎であることを瞬時に察知して、自分越しに見えているのは嫉妬の対象であるクロエなのだと理解する。
「邪魔者は、いなくなればいい……」
ネイアの呟きに、マリメルは自然と口角が上がった。
ダメ押しで更にネイアの両手を包み込んで、しっかりと視線を合わせて一言告げた。
「私は、本当にあなたと大公令息はとってもお似合いだと思っているのよ。応援しているわね」
マリメルは、にこりと柔らかく微笑んでからその場を後にした。
堕ちていく人間の行動は計り知れない。きっと、ネイア・ハルバーナも面白い働きをしてくれることだろう。
これからの展開を想像して、胸を弾ませながら彼女は馬車に乗り込んだ。




