第六十四話 「順調」
副補佐官の役職を引き受けて、仕事内容も教わり徐々に慣れてきていた。
相変わらず母親との不和は解消されていないし、ルーカスも忙しそうにしているため今後の相談は出来ていないけれど、最近の中ではクロエの心持ちは一番穏やかだ。
「思い返すと、クロエと一緒に外での仕事って初めてだったかもしれないわね」
「確かに……魔道所内で話す機会が多いので、何だか勝手に外でも一緒に働いた気になっていました」
今日は、リーゼルの補佐として外出をしていた。
そこまで大変な任務ではなかったので、ふたりはすぐに仕事を片付けて魔道所へと帰っている最中だった。
「……クロエを見ていると人生どうなるかわからないなってつくづく思っちゃう……いや、悪い意味ではなくって!」
リーゼルは零れた本心にハッとして慌てながらすかさずクロエにフォローを入れた。
クロエはリーゼルの言いたいことをよく理解していたので、焦っている彼女の姿を見てくすりと笑いながら「わかってます」と返事をする。
「1年も経っていないのに私の生活は目まぐるしく変わりましたから……まだ寒い時期には今年も凍えずに冬を乗り越えられるのかって心配しながら過ごしていましたが、いつの間にか婚約者が出来て、屋敷に戻って、仕事でも役職が与えれて……私自身も驚いています」
婚約破棄をされて、屋敷を出されたときには自分の人生は完全に終わってしまったのだと諦めていた。
人生何が起きるかわからないと、まさにクロエもリーゼルが言っていたとおりに、ここ最近では特に実感していることだった。
「さて、そんな人生順調なクロエにリーゼルちゃんが一杯奢っちゃおうかな!」
ちょっとしんみりとした空気感になったところを、すかさずにリーゼルは明るい口調で吹き飛ばした。
「まだ仕事中ですし、お昼からお酒はダメですよ、リーゼルさん」
「ちょっと、わかってるわよ!」
クロエの冗談にリーゼルが笑いながら小突いた。
すぐにいつもの二人の空気感に戻れるところは自分たちの良いところだとクロエは自負している。
そのあと、どこのカフェに入ろうかと検討をして「ここにしよう」とリーゼルが決めたお店に入ろうとしたところで扉が開いた。
中から人が出てきたため二人が避けようとしたときに、ちらりと相手の顔を見たところでそれがマリメル・ゴーズフォードであることに気が付く。
「「あ」」
クロエとマリメルの声が重なった。
お茶会以来での対面だったので、正直喧嘩別れのような状態であったことから二人の間でかなり気まずい雰囲気があった。
「ごきげんよう」
クロエは何事もなかったように挨拶をするが、マリメルは二人のことを交互に見遣って挨拶を返さなかった。
リーゼルも一貴族なので、クロエとマリメルに因縁があることは知っている。リーゼルからのマリメルの心象は良くないこともあって、批判的な目を向けていた。
「お茶会では直接お伝えはしませんでしたけれど、私はお仕事をお辞めになった方がいいと思っているわ。今日まで時間があったのに、結局まだ続けていらっしゃるのね。あなたがそんなにも浅はかな人間だったなんて」
「将来のことは良く考えていますから、大公家とも相談して決めますのでご心配いただかなくても結構です」
クロエがぴしゃりと言い放つと、マリメルはあからさまに苛立ちを露わにした。
それから、これ以上の会話は無駄だというようにマリメルから視線を外して、クロエは彼女の横を通り抜けようとしたが、マリメルはそれを阻むようにして身体を動かした。
「私がわざわざ忠告してあげているのよ」
「それが余計なお世話だと言っているのです」
均衡状態のなかで、にらみ合いが続く。
見かねたリーゼルがふたりの間に割って入った。
「貴族令嬢や夫人が仕事をすべきではないという主張だったら、私やレッドエル家だってあなたにとって批難の対象ってことよね?」
「武功を立てるべき家柄とこの人とでは、立場が全く異なるでしょう」
「それって随分と都合のいい主張だと思うけれど。それに、私にはあなたがどうしてそんなにもクロエの前で偉そうにしていられるのかわからないわ。なぜかクロエばかりが批難を浴びていたけれど、あなたは婚約者のいる男性を奪ったのよ。モラルに欠けた行為だということが理解できているのなら、クロエに対してそんな態度は取れないはずよね」
クロエは、ずっとずっと抱えていた気持ちをリーゼルが代弁してくれたような気持ちになった。
対して、マリメルは納得できない表情をしていて、やはり彼女は反省などしていないし申し訳ないという気持ちを微塵も感じていないのだと裏付けていた。
彼女は否定も肯定もせず、ただ不服そうな顔をしたままだった。
「……結果的に、私は今幸せな日々を過ごせているから、あのときフレデリックと結婚しなくてよかったと思ってる。そうでなかったら、仕事も出来ていなかったし、魔道所のみんなと出会うこともなかった。何より……あなたが全く幸せそうじゃないから」
クロエは「行こう」とリーゼルに声をかけて、マリメルを押しのけて店の中に入っていった。
リーゼルは、マリメルの方を一瞥してからクロエのあとを追った。
「幸せじゃ、なさそうですって……?」
マリメルは悔しそうにギリッと奥歯を噛みしめて、拳を握り締めた。




