第六十三話 「引受」
「副所長、今少しお話よろしいでしょうか?」
クロエは、副所長室の前でひょこりと顔を出して声をかける。
カシュは椅子に座ったまま、書類を見るために落としていた顔をあげてクロエの方を見た。
「ええ、勿論です」
了承を得たクロエは部屋の中へ入って行き、机越しにカシュの前に立った。
「先日ご提案いただいていた副補佐官の役職について、検討してみました」
「頃合いを見て僕からお声かけが出来ればと考えていましたが、想定していたよりも随分と早く決断できたのですね。少なくともひと月以上はかかるだろうと僕は思っていました」
カシュは、それで? と続きを促すようにクロエに目線を送る。
クロエはピシッと背筋を正して、凛とした声で彼女の決断を口にした。
「結論からお伝えいたしますと、私で良ければ是非挑戦させてください!」
クロエの進言にカシュは目を見開いた。
あまり感情を表に出さない彼をクロエはまたもや驚かせることに成功したらしい。
「正直、断られるのではないかと思っていました。ファルネーゼ大公とは幾度かお会いしたことがありますが、あの方の考え方からしてクロエさんがルーカスさんと結婚した後に仕事を続けていくことは良しとしないでしょう」
カシュは自分から提案したことではあるが、良い返事を貰えるとは全く期待をしていなかったようだ。
クロエ自身も副補佐官の役職を引き受けたいという意向が強かったが、今日こうしてカシュに伝えるギリギリまでやっぱりやめておいた方がいいのではないかという気持ちのせめぎ合いがあった。
自分が挑戦をすることによって、結果的にルーカスや魔道所の人たちに迷惑をかけてしまうのではないかという懸念があったからだ。
「どうやってファルネーゼ大公を説き伏せたのですか?」
「いえ、実はまだ仕事を続けていけるかという点については議論が出来ていなくて……ルーカスは副補佐官の役職にも結婚後も仕事を続けていくことにも賛成はしてくれています」
「なるほど、それでは今後については要相談ということですね」
カシュは自分自身で納得したようでコクコクと頷いて見せた。
「詳細についてはまた後日相談しましょう。ルーカスさんと実際にいつ結婚をするのかなど、もう少しおふたりの状況が整ってからお話した方が良さそうですね」
「そうですよね……私としては、実際に話が進んでしまった方が交渉の余地がないと思っているんです」
「その結果、話が違うとまた婚約破棄をされてしまう方がクロエさんにとっては不都合ではないのですか?」
クロエはハッとして、返す言葉がなくなってしまった。
確かに、大公妃としての務めを果たせない者は大公家には不必要だとファルネーゼ大公であれば判断を下しそうだということは想像が出来た。
もし、もう一度婚約破棄された日には、二度と誰かと結婚をする機会など得られないだろう。もしくは、死にかけた老人の後妻として嫁ぐことになるかもしれない。
「副補佐官としての仕事は来月のはじめから加わっていただこうと思っていますので、また近日中にあらためて詳しい内容はお伝えいたします。今後については、まずルーカスさんと相談していただいて、また相談の機会を設けましょう」
そこで一旦話は終わって、クロエは副所長室を出て自席に戻った。
どうしたら全員にとっていい未来を迎えられるのだろうか、と考えながら取り組む仕事は全くもって手に着かなかった。




