第六十話 「茶会」
お茶会が始まってから、クロエは出来る限り影を薄くして殿下から意見を求められないように過ごしていた。
結局、クロエが予想していた通り、お茶会は王妃への賛辞と媚び売りで話しが繰り広げられた。まだ家督を継ぐ前の令息の妻となった若い女性ばかりではあるが、彼女たちの行動ひとつひとつがその家の代表として見られることを理解している彼女たちは下手に意見を言えない、ということも現状の理由のひとつだ。
王妃殿下もそれを理解しているはずだが、幾らか期待をしていたせいで少し寂しそうな表情を浮かべながら話を聞いて頷いていた。おそらく、この場で媚びを売ったところで何ら加点にはならないのだろう、と俯瞰的な視点でこのお茶会を見ているクロエは感じている。
「そういえば、クロエさんはどうしてそんなに端っこに座っているの?」
急に矢が飛んできたクロエは、びくりと肩を震わせてから、ぱちぱちと瞬きをしながら殿下に目をやった。
全員の視線がクロエに一点集中する。急なことで、すぐに言葉が出てこなかった。
「甥の婚約者ということは、今後はわたくしとも親戚関係になるわけでしょう。きちんとお話が出来ていなかったから、今日お会いすることを楽しみにしていたのよ」
「あの、えっと……私だけ結婚をまだしていないので場違いかなと思っていまして……」
「将来、ファルネーゼ大公妃になる女性を邪険に扱う人がいるはずがないわよ、ね?」
殿下の言葉に、夫人たちは「もちろんです!」とかりそめの笑顔で賛同の意を唱える。
心の中では全くそんなことを思っていないくせに、嘘を吐くのが上手だと心の中で毒づく。
殿下はクロエにちらりと視線を向けてから、パチリとウインクをしたことで、この人には全部お見通しなんだなとあらためて実感する。
当たり前だけれど、ファルネーゼ大公もルーカスの存在を王と王妃に秘密にしておけるはずがない。ルーカスは、以前クロエに親族と交流し始めたのは最近のことだと言っていたが、王妃殿下の様子だと彼女自身は彼に好意を持っているのだろうと察することが出来た。
「お隣、空けてくださる?」
殿下は隣に座っていた夫人に、にこやかに笑みを浮かべながら声をかけた。穏やかに見えるが、多少の威圧感は含まれていて夫人はすぐに席を立った。空席になった席をポンポンと叩いて「こちらへいらっしゃい」とクロエを招く。
全くもって乗り気ではなかったが、断れるわけもなくクロエは端の席から中央に向かって移動する。
その際、すれ違った夫人からキッと鋭く睨まれたが、これは全く本意ではないということがどうにか伝わって欲しいと願う外ない。クロエ自身も彼女に対して申し訳ないとすら感じていた。
「ルーカスと共に、しっかりとご挨拶をする機会を設けるべきところ、以前社交の場で挨拶をしたきりとなってしまい申し訳ございません」
「あら、気にしないで頂戴。あなたもルーカスも仕事をしていて忙しいことは理解しているわ」
仕事、というワードに眉を顰めた夫人たちがいることをクロエは見逃さなかった。
貴族令嬢や夫人が仕事をする、という考え方はまだまだ浸透しておらず、白い目を向けられることは何も珍しいことではなくクロエもすっかり慣れてしまった。とはいえ、その視線に嫌な気持ちにならないかと言われるとそういうわけではないのだが。
「お仕事はいつお辞めになる予定なの?」
殿下に問われて言葉が詰まる。辞める気がないなどと言ってしまったら怒りを買ってしまうだろうか。
だが、王妃がと視線が交わった時に、この人に嘘は通じないという気がした。何でも見透かしてしまいそうな眼差しに、いつの間にか口が開いていた。
「出来れば、仕事は続けていきたいと思っています」
クロエの発言に殿下の前だというのに夫人たちはざわつく。
彼女たちの中では、そもそも仕事しているということ自体印象が悪いのに、仕事を続けるなんて選択肢はなかったので、全く想定外の返答に驚きが隠せない様子だった。
王妃殿下は口元に弧を描いたまま一旦は何も言わずにいて、心のうちでは何を考えているのかわからない。
「お言葉ですが、全くもって現実的ではありませんね」
クロエの言葉に応じたのは、対面に座っていたマリメルだった。
凛とした声で否定的な意を唱える。それによって、会場内にはしんとした静寂が流れた。夫人たちは王妃の顔色を窺っており、肝心の王妃殿下は面白そうにマリメルの言葉の続きを待っている。
「女主人はそんな片手間で務まるほど容易いものではありませんし、大公家であれば尚更でしょう。あなたは長年貴族社会と距離を置いてきたせいで、すっかり考え方も変わってしまったようですね。それとも、仕事をしていない我々はお茶会を開いて家にいるときには何もせずにぐうたら過ごしているだけだと思っていらっしゃるのですか?」
「そんなことは思っていませんが……」
「いいえ、思っているからそんな中途半端なことが言えるのです」
クロエは何も言えなくなってしまった。図星だった。
心のどこかで仕事をしている方が大変だとか、女主人の仕事を大したものではないように思ってしまっていたように思える。それをマリメルに指摘されたという点がクロエにとってはかなり気に食わないけれど、指摘はごもっともだった。
「落ち着いてください、マリメルさん。どちらが正しいという話ではありませんから」
王妃殿下が宥めると、マリメルは「出過ぎた真似をいたしました」と頭を下げる。
特にそれが王妃からの助け舟だとは感じなかった。あくまで中立の立場で、一意見としてとらえているのだろうとクロエは推測する。
「マリメルさんの仰ることは確かです。女主人とは、仕事をしながら片手間にこなせるものではありません。ですが、クロエさんにもこれまで積み上げてきたものがある。仕事に対して責任や誇りを持っている。これから先、貴族女性だからと何かを諦める必要なく、それぞれがやりたいと思うことを自由に目指すことが出来る時代が来るかもしれない。わたくしたちがその第一歩を踏み出すには遥かに高い壁を越えなければいけないでしょうけれど」
結局、王妃殿下は是も否も明確にはしなかったけれど、クロエにとってはそれだけで十分だった。
仕事を続けるという道が完全に閉ざされてしまったわけではないか、方法を模索して壁を超えることが出来れば、諦めなくても良いということだ。
いつの間にか、否定的な考えばかりしていた自分がこんなにも前向きになれたことに胸を張る。
対して、確かに言い負かしたはずなのに満足げな表情をするクロエを見て、マリメルは表面上は何でもない様子を取り繕うが内心は腹が立って仕方がなかった。




