第五十八話 「味方」
母親に反抗の意を示してから、納屋への生活には戻っていないが彼女の命令で使用人はクロエの部屋の手入れを一切行わなくなった。
これでまた、彼女は食以外の部分では大方自分で自分の世話をしなければならなくなった。
だが、一度納屋での暮らしを行ってきたクロエにとってはそれほど苦ではなかった。
かつては、何もかも一から始めなければならなかったため、失敗も多かったし心が折れそうになる瞬間もあったけれど、今は経験値が自分自身を助けてくれる。
正直、もし納屋に戻されたとしても、母親が想像するほどのダメージをクロエが負うことはないのだろう。
「とはいえ、備品の場所がわからないのは困るな……」
勿論、何もかもが問題なく過ごせているわけではない。
屋敷内での雑用仕事を行うことがなかったおかげで、掃除道具など細かな備品の場所がわからない。
使用人に聞こうにも、クロエと口を利くと母親に罰せられるので使用人は徹底して彼女を避け続ける。おかげで、クロエは屋敷中の扉という扉を開けなければいけなかった。
今は、掃除をするための布巾を探しているのだが、どれがそのために使っていいものなのかわかりかねている。
「お姉さま、どうしたの?」
廊下で仁王立ちしているクロエに声をかけたのはロージーだった。
今回、母親に反抗した後で以前と決定的に違う点は妹の存在だった。
ロージーは全く何も態度を変えずにクロエに接するので、自分はこの屋敷の中で孤独ではないのだと強く実感することが出来る。
母親はロージーがクロエと話している姿を見ると、あからさまに嫌そうな顔をして会話をするなと強く言うが、姉妹共に全く聞く耳を持たなかった。ロージーは成長するにつれて、母親に対して耐性がついたのかあまり言うことをきかなくなったが、クロエと仲直りしたあとはそれがより顕著になったように思える。
「掃除で使うための布巾が見当たらなくって……」
「え、そんなことまでしなければいけないの!?」
ロージーは信じられないというように目を見張った。
身の回りのお世話は他者にやってもらうことが当たり前、という生活を送ってきたロージーにとっては、今のクロエの生活は信じられないものだった。
元の納屋の中での生活なんて到底想像できないことだろう。
「当たり前よ、全部自分でやらないといけないんだもの。ロージーも手伝ってくれる?」
さすがに姉のことが好きなロージーでも、その誘いにはかなり嫌そうな顔をした。
人生の中で一度も掃除なんて雑事をしたことがなければ、勿論積極的にやろうという気など起きないだろうという予測はクロエの中で出来ていたので、顰め面に全く驚きはしない。
「わかった、もう言わない」
「きっとお手伝いできることは何もないと思う、ごめんね」
クロエは引き続き備品捜索のために移動を始める。
特に手伝う予定のないロージーだが、捜索には同行して後ろをパタパタとついていく。
「そういえば、この前言っていたお茶会ってもうすぐよね」
ロージーの声掛けにぴたりと歩みを止めて、そのあとすぐに頭を抱える。
いま言われるまで、クロエはお茶会のことをすっかり忘れていた。今回は『ファルネーゼ大公令息の婚約者』として呼ばれるので、失態は許されない。それはエシャロット家だけでなく、ファルネーゼ家の名前も貶めることになる。強いプレッシャーが急に降りかかってきた。
こんなタイミングに限って母親と不仲になってしまったことが恨まれる。
「下手なことをしなければきっと大丈夫だよ!」
ロージーが精一杯励ましの言葉を送るが、クロエの不安は拭えない。
引き攣った笑みを浮かべながら「どうにか頑張る……」と答えたが、上手くやれているビジョンは全く浮かんでこなかった。




