第四十五話 「想起」
「そうだ……私、あのとき本当に心が沈んでいて、自分でも暗い気持ちを抑えられなくて、それで……」
それで、ロージーにひどい言葉をかけた。
どうして忘れてしまっていたのだろうかと不思議に感じたけれど、あの苦しかったとき蓋をしてしまった記憶がたくさんあるように思える。
「ずっと勘違いしてた。私の婚約破棄が原因でたくさん迷惑をかけて、だからロージーも不甲斐ない姉だと嫌っているんだって」
「わたしは、そのことについては本当に何も思ってない。どう考えても、フレデリック・ゴーズフォードとマリメル・ケイルが非難を受けるべきことだし、お姉さまが後ろめたさを感じることも後ろ指をさされる必要もない」
クロエは、ロージーの言葉を受けてより心が沈んだ。
どうしてこんなにも彼女に嫌われるのか、自分が何をしたんだという気持ちが少なからずあったからだ。そんな気持ちを抱いていた事実が恥ずかしかった。
だって、ロージーとの関係性は全部自分が招いた結果だったから。
「ロージー、本当にごめんなさい。あなたのことを傷つけたって気づいてなかった、自分ばかり傷ついている顔をしていた」
自然と零れる涙。
クロエは頭を下げて、過去の出来事に対して、それから今までずっとそのことを忘れ去ってしまっていたことについて謝罪をした。
それから頭をあげて、ロージーの肩に手を置いて真剣な顔をする。
「でも、これだけはわかってほしい。私にとってもあなたは心の拠りどころだった。婚約破棄された一件の前も苦しいことがたくさんあったけれど、あなたの笑顔が支えになってた。あなたのお姉ちゃんだから、弱いところは見せられないって勝手に思っていて、それがロージーにとっては頼られていないって感じさせてしまったのかもしれない。でも、特別何かをしてくれなくたって良かったのよ」
ロージーは、ぱちぱちと二、三度瞬きしたあとにゆっくりと口角をあげた。
クロエはそのとき久しぶりに彼女の笑顔を目に写した。
ずっと顰め面ばっかり見てきて、ロージーがどうやって笑うのかやっと思い出せた気がする。
無邪気な明るい表情こそ彼女に良く似合う。
「知ってる、お姉さまがわたしのことをすっごく大事に思ってくれてるって」
クロエは反射的にぎゅっとロージーを抱きしめた。
ロージーも最初は少しだけ戸惑っていたけれど、すぐに手をクロエの背に回す。
実に九年ぶりにふたりは心を通わせることが出来た。
再びお互いの顔を見合わせたとき、次はロージーが頭をさげた。
それを見たクロエは「え!?」と驚いて目を丸くした。
「ごめんなさい。わたしも、お姉さまのことを沢山傷つけてしまった。屋敷での使用人の態度もお母さまの言葉にも口を出さずに関係ないって顔をし続けた」
「謝らないで、あなたには怒られても仕方がないってずっと思っていたから……これでおあいこね」
クロエがにこりと笑いかけると、ロージーは安心したようにかたくなっていた身体の力を抜いた。
「でも、怒っているからってあんなに沢山厳しく言わなくてもいいじゃない」
クロエがぷくりと頬を膨らませると、ロージーは軽く首を傾けた。
一体何のことを言っているのかわからないというような様子だ。
もしかして全く自覚がないのではないかとクロエは少し戸惑い始める。
「ほら、最近だと私の服がボロキレみたいでみっともないって吐き捨てたじゃない」
「あ、あれは! だって、本当にボロボロだったから! 使用人たちやお母さまもいっつもお姉さまを見て笑ったり酷く言っていたりして、それで……少しはお姉さまの状況が良くなるようにってアドバイスのつもりで……」
ロージーは途中から俯いてしまって、次第に声の大きさも小さくなっていった。
クロエは、全くもって悪意のある行動ではなかったのだと、今この瞬間に理解をした。
そうして彼女が不器用な人間だということを思い出した。
「わたし、無自覚にお姉さまを追い詰めてたのね……怒っていた手前優しくも言えなくて、はっきり伝えなくちゃって思い込んで……ごめんなさい……」
ロージーはどんどん小さくなって、罪悪感で押し潰されそうになっている。
「私たち、もっと早く話し合うべきだったわね。そうすれば、お互いにこんなにも傷ついて傷つけ合わなかったかもしれない」
「どうして、あんなにも意地を張っていたのか、少し歩み寄ればそれで良かったのに」
ロージーは心の内を明かした途端に、どうしてあんなにも怒っていたのだろうかと急に冷静になって、気持ちを沈ませた。
クロエも今まで歩み寄ろうとしなかったことを後悔する。
だが、クロエは今まで自分が後ろ向きだったことで最善の選択を逃していたことを理解していて、これからはそうならない努力をすべきだと前向きな思考に瞬時に切り替えた。
「でも、これからはお互いを傷つけないで生きていくことは出来る。今度こそ、助け合っていくことは出来る」
クロエがロージーの左手にそっと自分の右手を重ねる。
「……うん」
ロージーの返答は短かったけれど、クロエの手に自分の手を重ねてぎゅっと握り締めた。
まっすぐな視線が、彼女の気持ちを表しているように感じる。
クロエは、少しだけ未来に希望が差したようで、小さく笑ってみせた。




