第二十三話 「訪問」
「ほら、背筋をぴんと伸ばしなさい」
母親の言葉にクロエとロージーは背筋を伸ばす。
今日は、ルーカスとファルネーゼ大公がエシャロット家へ訪問する日であった。
訪問時間が近くなり、家族総出で玄関の前で訪問者を待つ。
大公が来るということで、珍しく父親のエシャロット伯爵も三人と肩を並べていた。
仕事で殆ど家にはいないため、父親の姿を見ることがクロエにとって久しぶりであった。
だからといって、父親は特にクロエに声をかけるわけでもなかった。
程なくして屋敷の扉が開き、招待客が姿を現した。
その存在を捉えたエシャロット伯爵と伯爵夫人は見てわかるくらいに緊張が表面に出ていた。
対してロージーは自身の婚約話に乗り気ではないため全くと言っていいほど様子が変わらず、クロエも自身はどうせ蚊帳の外であり、招待についての話をルーカスに持ち出したことで課されたミッションは成功したと思っているため特段気負っていなかった。
「ようこそお越しくださいました」
エシャロット伯爵の歓迎にファルネーゼ大公は「うむ」と一言相槌を打つ。
「こちらこそ招待に感謝を述べよう。伯爵とは何度も仕事で顔を合わせているが、夫人とご息女とは顔を合わせるのは初めてであっただろうか」
ファルネーゼ大公が伯爵夫人とその子供たちに目を向ける。
それに対して母親はずいと一歩前に出て挨拶をした。
「お初にお目にかかります。ワタクシはメルロ・エシャロットと申します。こちらは娘のクロエとロージーです」
母親に紹介された二人も大公に小さく挨拶をする。
クロエが挨拶をして顔を上げたところで大公の奥にいるルーカスと目があった。
ルーカスはクロエに小さく手を振り、それに対してクロエは小さく口角を上げることで返す。
「大公、ご案内いたします。」
エシャロット伯爵が声をかけたことで大公とルーカスが歩みを始める。
クロエ、ロージー、そして母親のメルロの三人はそのあとに続いた。
「二人とも、下手な口出しは結構よ。ワタクシがどうにかやりますからね」
メルロがちくりと娘たちに釘をさす。
もともと自分たちが何か口を挟もうなどとは思っていなかったが、二人は大人しく頷いた。
広間で各々席に着き卓を囲む。
昔のルーカスのことや、現在のクロエとルーカスの職場のこと。それから大公と伯爵の仕事の話など、会話は多岐にわたっていた。
「ふむ、そろそろ本題に入ろうではないか」
このまま、婚約について話は触れずに終わるのではないか。
クロエがそう思っていた矢先に大公が話題を切り出した。
「伯爵家が我々を招待した理由はよく理解している。ルーカスとの婚約のことだろう」
「ええ、そうですわ」
大公の少しも濁さない直球の言葉に、少し意表を突かれながらもメルロは同意した。
「ご存じかとは思いますが、ルーカスとロージーには幼いころに婚約の話があがっておりました。まあ、その、色々な理由でなくなってしまいましたけれど。ほほほ」
メルロは最後、笑って婚約話がなくなってしまった様々な理由について濁した。
ロージーは、結局婚約のことが話題にあがって、うんざりしたような顔をする。
「でも、ロージーもルーカスもまだ未婚で婚約者もおりませんし、それで「伯爵夫人、僕が婚約を申し込みたいのはロージーではありません」
メルロの言葉を遮って、発されたルーカスの言葉にエシャロット家の全員が「え?」と声を上げた。特にメルロは口の端をひくりと釣り上げて、自身の思っている方向に進まなかったことに一瞬苛立ちの表情さえも露わにした。
「僕は、クロエさんに婚約を申し込みたいと思い、ここに来ました」
「え、わ、私……?」
クロエが驚きの声をあげると、ルーカスはニコリと笑って頷き肯定の意を示した。
「で、でも、クロエは一度婚約破棄をされています。実際、ルーカスも大公もクロエがどのように言われているかはご存知でいらっしゃるでしょう? ロージーは結婚適齢期ですし、特段大きな問題も抱えておりませんわ。」
メルロがルーカスと大公に進言した内容に、クロエは何でもないような顔を繕っていたが内心では少し傷ついていた。
どうしてお母さまはそこまでして私を冷遇するのだろう。
実際に婚約の話を引き受けるとか、その話に対して喜んでほしいとか、そういうことではなかった。それに対しての返答で自身のことを卑下されたことが悲しかった。
血の繋がった娘を貶めるようなことをどうして言えるのだろう。
どこまでも、母親とクロエの溝は埋まらない。
「大公家にそのような不名誉な評判を持って嫁がせるわけにはいきませんわ。大公もそのように思っていらっしゃるのでは?」
「結婚相手についてはルーカスに任せている。吾輩が口を出すことではないのでね」
メルロが大公を味方につけようとしたが、それが裏目に出てしまった。
どうやらファルネーゼ大公もルーカスを支持している……というよりは、特段その問題については興味がないように見えた。
「それに、クロエ・エシャロットに貼られているレッテルが我が大公家に及ぼす影響などたかが知れているだろう。それとも、伯爵夫人殿はそのつまらん事象で大公家が脅かされるとでも?」
氷のように冷たく鋭い視線がメルロに突き刺さる。
普段は自身が相手を服従させる立場にいるのに、今回に関しては全くの真逆だった。
メルロは、ひゅっと息を吸い込み、視線を避けるのと同時に頭を下げる。
「……出過ぎた真似をいたしました、申し訳ございません」
相手はこの国の王族であり、最高権力者である国王の弟。
一貴族である伯爵家の夫人に過ぎない彼女が、普段の調子で進言できる相手ではなかった。
彼女はそれを理解していたはずなのに、判断を見誤ったのだ。
普段、クロエにとって畏怖の対象である母親が、そのときはいつもより小さく見えた。




