第二十二話 「悲嘆」
「ファルネーゼ大公家から返事が来たわ」
クロエがロージーと母親と朝食をとっている時、母親が少し上機嫌でクロエに声をかけた。
クロエが数日前にルーカスに招待の件を話して了承を得た。
その報告を受けた母親はその日中に招待状を書いて送っていた。
ファルネーゼ大公は忙しくなく仕事をしていることで有名で、社交の場にもあまり姿を現さない。
以前のパーティーは国王主催であるために参加していたのだろう。
だから、クロエも母親も招待の返事は遅いものだろうと思っていたのだ。
それがこんなにも早く返事が来たので、母親の機嫌は朝から幾らかよかった。
「ファルネーゼ大公とルーカスは来週末にいらっしゃるそうよ。二人ともしっかりと準備をなさいよ。殆どのことはワタクシがしますからね。ご自身のことくらいやって貰わないと」
ぺらぺらと母親は話すが、対照的にロージーは一言も話すことをしなかった。
ただ、黙々と食事をしていて、ただ表情は納得していないように不満げだった、
毎日、顔を合わせて朝食をとることに慣れはしたクロエだが、朝から気が重くなることに変わりはなかった。
「クロエ、ロージー。返事をしてくれないと話を聞いているのかわからないでしょう」
「ごめんなさい、お母さま」
「……ごめんなさい」
母親の言葉にすぐさまクロエが返事をして、少し間を空けてからロージーも返事をした。
先ほどまで上機嫌だった母親が、もう不機嫌を露わにしている。
母親の感情の波の激しさに、クロエはより一層気分が落ち込んだ。
朝食をとり終えたあと、クロエはすぐに部屋に戻って身支度をした。
母親の言う準備には、おそらく自身のドレスについても含まれているであろうと感じたからだ。
いま身にまとっているものは、伯爵家で過ごすにはかなり質素なものだった。
クローゼットの中にあるものは、綺麗で華やかではあるが、クロエが納屋で過ごす以前のもので流行からはかなりかけ離れていた。
準備のための資金は既に渡されている。
クロエの頭には、以前ブティックで見たドレスが浮かんでいた。
「まだ、あるかな……」
少しの期待を胸にクロエはブティックに向かう。
侍女も送迎もつけず、今までと変わらず一人で店へと歩いていく。
クロエはエシャロット家の侍従の中に好き好んで自分に付きたい人間なんていないと思っていた。
しばらく納屋で質素に生活をしていたし、何より母親の性格もあって屋敷の侍従の顔触れは随分と変わっていた。
昔からエシャロット家に勤めている侍従は、クロエを腫物のように扱って、それが尚更彼女の屋敷での居心地を悪くさせる。それに、基本的に屋敷の頂点はエシャロット伯爵夫人であり、夫人よりもクロエやロージーを優先し、歯向かいでもする者がいれば即刻解雇されていた。
クロエやロージーもそれを目の当たりにしているので、侍従の振舞いに関して端から期待もしていなかった。
クロエはブティックまで向かう道のりを何故だか懐かしく感じる。
屋敷で暮らすようになってから、市場で買い物をすることもかなり少なくなった。
ブティックまでの通り道を辿ることは、実際のところ納屋を出て以来のことだった。
納屋で暮らしていた数年は、薪や食材、生活用品を買うために殆ど毎日市場に繰り出していたように思える。
だが、またいつ母親の気まぐれで納屋に逆戻りするかはわからない。
クロエはそういった危機感を常々忘れないようにしていた。
母親の機嫌は損ねず、屋敷にいる方が今は全てにおいて都合がよい。
自分の目的のために家柄を利用してやろうという気持ちは今も変わっていなかった。
「どうもありがとうございました」
ブティックの店員が外まで買い物客を見送っている声が聞こえた。
クロエは考え事をしていたためか、目的地までの道のりは随分と短く感じられた。
ブティックの扉の前で立ち止まると、店の客だと理解した店員はクロエへにこやかな笑みを浮かべて「いらっしゃいませ」と声をかけた。
扉まで支えて、クロエを中へ誘う。
「本日はどのようなものをお探しでいらっしゃいますでしょうか」
店員がにこにこと接客用の笑顔を張り付けてクロエに問いかける。
「あの、ちょっと見て回ってから決めます」
正直、クロエはぴたりと店員が張り付いて接客をされるスタイルは好きではなかった。
必要な時には声をかけるからそっとして置いて欲しいと常々思っており、今回も例外ではない。
クロエは、頭の中で鮮明に記憶している淡いブルーのドレスをさがす。
それが店内のどのあたりにあるのか、というのも何となく覚えていて、探しながらもその方面に足が動いていた。
遠目から、少しずつ期待していたものが見えてくる。
だけれど辿り着いたときに得られたものは喜びではなかった。
”売約済み”
立てられていた値札の上に被せるように貼られていたそれをクロエはボーっと見つめる。
「あの……これ……」
近くをウロウロと、声をかけられることを待っているような店員に声をかける。
店員はきゅっと口角をあげて、目をアーチ状に細めて「はい、いかがいたしましたでしょうか!」という言葉と共に瞬時に近づいてきた。
「これ、もう、ないんですね」
「あぁ、左様でございます。つい先日に他のお客様がご購入なさいまして……」
店員はクロエの言葉に対して、申し訳なさそうに眉を下げる。
「次は、いつ入りますか?」
「こちらの商品が数量限定の販売でして……申し訳ございません。よろしければ、同じような素材で作られたものや他にもおすすめの商品ございますので、ご案内させていただきますね」
店員にあれこれ紹介されたが、クロエは全くもって内容が頭に入ってこない。
ぴんときた、一目ぼれだった。
結局のところ手に入れることはできなかった。
だけれど、ここでドレスを手に入れたとして、それは自身で勝ち取ったことになるのだろうか。
エシャロット家の資金であり、自分自身の財産で購入したわけではないということが頭に浮かぶ。
ドレスが売約済になってしまったという事実よりも、結局自分がエシャロット家の権威や財産に縋ってしまっているという事実と、屋敷に戻れただけで未だ何も成しえることなど出来ていないという事実が浮き彫りになってショックを受ける。
言うまでもなく、ドレス選びに集中などできるわけもないのであった。




