第十八話 『追放』
「恥をかいたわ」
母親は大変ご立腹だった。
夜会でばたりと倒れ、ベットの上で目を覚ましたクロエに対しての第一声は心配の言葉ではなかった。
クロエは、夜会にいたはずの自分がエシャロット邸の自室のベットにいることが最初理解できなかった。それから次第に記憶が蘇ってきて、自分が公衆の面前で盛大に倒れたことを思い出した。
「ご、ごめんなさい、お母さま」
クロエが謝罪をすると、母親は大きくため息をついた。
「貴方がそんなだから、フレデリック・ゴーズフォードに婚約破棄なんかされるんじゃないの? マリメル・ケイルが付け入る隙を与えたのだって、貴方の失態よ」
母親の言葉に、クロエは納得いかずに口を尖らせる。
婚約破棄の件について自分の失態だなんて少しも思わないので、不服だった。
「わ、私はお母さまの言われた通りに振舞ってきました」
いつもは不平不満も言わず、口答えだってしないクロエ。
そんな彼女が、初めて母親に意見をする。
母親はひくりと口の片端をひきつらせた。
「じゃあ何かしら、ワタクシが悪いとでも?」
「そんなこと言ってません」
母親はあからさまに苛立ちを露わにしていた。
それに比べて意外にもクロエは冷静だった。
「でも……でも、フレデリックとの婚約を誰よりも望んでいたのは私ではなくお母さまです。ずっと、お母さまの言う通り器量よく振舞っていたではありませんか。我儘も言わず、勉強も何もかも頑張って、慎ましく淑女として努めてきました。幼い頃から、ずっと、ずっと……」
実際に、クロエは母親にとって手のかからない子であった。
言うことを聞いて、手際よく何でもやって見せた。子どもらしい我儘も言わない。それはというのも、母親が厳しく律してきた結果ではあるが。
「可愛げがあって、わがままで、計算高いマリメルが結局のところフレデリックの心を射止めました。私はお母さまの言いつけどおりに頑張ってきたんです。や、夜会だって行きたくないって言ったのに、無理に連れて行ったのはお母さまじゃない!」
ぱんっと部屋に音が響いた。
一瞬、クロエは何が起きたのか理解できなかったが、すぐに左頬が痛みだして、頬を打たれたのだと理解した。
それから、クロエが母親に視線を向けると顔を真っ赤にして怒りの表情を一直線に向けていた。
「ワタクシは精一杯に貴方のことを思っていたというのに! とんだ親不孝者だわ! ワタクシの言いつけどおりにと言っていたけれどねぇ、上手くやれなかったのは貴方でしょう! ワタクシに責任転嫁して恩を仇で返すだなんて、そんなにワタクシのことが嫌いならこの屋敷から出て行ったらいいわ!」
母親は、くるりとクロエに背を向けて勢いよく屋敷から出ていく。
打たれた頬がじんじんと痛む。それ以上に、心が荒んだ。
母親は母親であることに変わらない、実際に与えてくれた教育も何もかもクロエにとって無駄ではなく素晴らしいものだった。感謝はしている。嫌いではない。
だけど、苦手だった。
ヒステリックで自分の思い通りにならないと許せない。
幼い頃から、それを理解しているから、怒られたくないから彼女の顔色を伺ってきた。
うまく出来たら笑顔で褒めてくれたし、一杯甘やかしてくれた。そんな母親が昔は好きだった。
いつからか、いや、年を重ねるたびに、上手くやってもより上手くやることを望まれて、母親の笑顔なんて見ることがなくなった。
どこで私たちは道を違えてしまったのだろう。
母親と口論をしたその日の夜に、再び彼女が部屋を訪れた。
「クロエ、こちらに来なさい」
そう一言だけ告げて、母親は歩いていく。
クロエは薄着のまま後ろをついていった。
二人は無言のままで歩いた。
どこに連れていかれるのか、クロエにはわからなかったが、どんどんと屋敷のエントランスに向かっているのだと気が付いた。
エントランスの大きな扉を抜けて、屋敷の中庭に出る。
薄着をしていたクロエにとって夜風は冷たく、身体を小さく震わせる。
それからまた少し歩いて、屋敷の隅にある納屋の前にたどり着いた。
「今日からここで暮らしなさい」
「……え?」
「ワタクシは身一つでエシャロット家から貴方を追い出すほど冷たい人間ではないわ。だけれどね、ワタクシのことが嫌いで、ワタクシのやり方に反発するのであればご自分で暮らしたらいいのよ」
突然のことにクロエの頭は追いつかない。
そして、そこで確信をする。母親が自分のことが嫌いなのだと。
だから、こんなに酷いことをするのだ。婚約破棄をされて、周囲に嘲笑されて、傷つく娘をさらに地獄に落とすことが出来るのだ。
「良かったわね、これでワタクシとも顔を合わせずに済むわよ」
母親は最後にぼそりと呟いて、それからさっさと歩いて屋敷に戻っていった。
薄着のまま、寒さに震えたまま、クロエは小さな納屋を見つめて静かに涙を流した。




