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婚約破棄された令嬢のそのあと 〜現実は物語のように甘くない〜  作者: みるくコーヒー


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第十五話 『批難』


「はあ、どうにかして貴方の汚名を返上しないと……」


 エシャロット伯爵夫人が額に手を当てて大きくため息をついた。


 クロエがフレデリックから婚約を破棄されたという事実はすぐに貴族間で広まった。

 それはというのも、公の場でフレデリックがマリメルをエスコートしたからだ。それから、二人のあまりにも親密な様子からも。


 ガタリゴトリと馬車に揺られて夜会に向かう。

 クロエはその道中、処刑される受刑者のような気持ちでいた。


 どう考えても良い方向には転ばない。

 白い目を向けられて辛い思いをするのだということは考えずとも理解できた。


 対面に座る母親の顔を見ることも出来ず、ひたすらに俯いて時間だけが過ぎていく。


「お、お母さま……私、行きたくない……」


 蚊の鳴くような声で、クロエは自分の思いを打ち明けた。

 母親に異議を唱えることはクロエの中で大変恐怖を感じることだったが、それを余儀なくするほどに追い込まれていた。


「何ですって!?」


 エシャロット伯爵夫人はギロリとクロエを睨む。

 クロエは変わらず俯いているが、母親の声にびくりと身体を震わせた。


「夜会に行きたくない? それなら貴方は一体どこで結婚相手を見つけるというの? ワタクシはねぇ、貴方がまともな相手と結婚出来るように尽力しているのよ。それとも、妻に先立たれた金をたんまり持っている偏屈な老人の元に嫁ぎたいとでも言うの?」


 クロエは言葉は発さずに首を横に振って母親の言葉を否定した。

 だからといって夜会に行きたいわけでもない。


 いっそのこと、結婚なんてしなくてもいいとまで思っている。


「つまらないことを言ってないで、どなたかに気に入られるように器量よくなさい」


 それからもエシャロット伯爵夫人はちくちくとクロエに小言を言って聞かせた。

 クロエは終始うつむいて、早くこの時間が終わって欲しいとひたすらに祈った。


 夜会の会場に着いたときには、もう何時間も経ったのではないかという気分だった。


 扉が開き、馬車から降りる。

 目の前には煌びやかな世界が広がり、普通であれば心躍るのであろうとクロエは心の中で感想を述べる。


 フレデリックとマリメルの様子を見るだけで吐いてしまうほどの精神状態だというのに、どう考えてもまともに夜会に参加できるとは思えなかった。

 だが、エシャロット伯爵夫人はそうではないらしい。

 未だ、クロエの婚約者を見つけることが出来るなどと考えている。おめでたい頭だとクロエは毒づいた。決してそれを口にすることなど出来ないけれど。


 会場に一歩足を踏み入れただけで空気感がわかった。

 クロエたちへの好奇の視線、一瞬だけ異様に静まり返った空間、ひそひそ声。


 クロエはその時点で完全に負けていた。これ以上は進みたくないという思いがこみ上げる。

 だが、エシャロット伯爵夫人は負けていなかった。ずんずんと会場の中へ進んでいく。


 クロエは狼狽えながらも遅れたらまた怒られてしまうという気持ちが勝って、どうにか母親のあとを追いかけた。


「ジョセフ子爵夫人、ご機嫌よう」


 声をかけられたジョセフ子爵夫人は、ぺこりと頭を下げるとすぐにどこかに歩いていってしまう。エシャロット伯爵夫人は特に気に留めることなく、別の人に視線を向けた。


「あら、ロベール伯爵夫人、お久しぶりね」


 ロベール伯爵夫人は、ふっと鼻で笑ってエシャロット伯爵夫人を素通りした。

 さすがにそれには彼女も応えたのか、少し顔を歪めた。


 やはり、もう帰ろう。

 そうクロエが促そうとしたところで、二人の目の前に人が現れた。


「あら、エシャロット伯爵夫人、ご機嫌よう」

「……ご機嫌よう、ケイル伯爵夫人」


 現れたのはマリメルの母親のケイル伯爵夫人だった、

 さすがに気持ちを抑え込めなかったのか、エシャロット伯爵夫人は苦虫を嚙み潰したような顔をする。だが、扇で口元を隠したため、どうにかその表情を表に出すことは留められた。


 どうやらフレデリックとマリメルは近くにはいないらしく、クロエはホッと胸を撫でおろす。


「わたし、謝らないといけないと思っていたのよ。ほら、フレデリックがわたしの娘を気に入ってしまったみたいでね。うふふ。」


 エシャロット伯爵夫人はケイル伯爵夫人のこういう意地の悪いところが嫌いだった。

 完全に悪気があって言ってるのだということが彼女にはよくわかっていた。


 そして、それはクロエにとっても苛立ちを感じる部分であった。

 マリメルとよく似ている、親子なのだということがまざまざと感じられた。


「別に謝ってくださらなくて結構ですわ。行くわよ、クロエ」

「あ……はい」


 母親に連れられてクロエもその場を離れようというところで、ケイル伯爵夫人はすれ違う瞬間にクロエに耳打ちした。


「婚約破棄された女を相手にする物好きなんていないわよ、残念ね」


 ケイル伯爵夫人は、くすくすと笑いながら歩いて行った。

『婚約破棄された女』という不名誉な肩書きがクロエの頭の中をぐるぐると回る。


 それから、周囲の視線がより一層厳しく思えてきた。


『婚約破棄されて捨てられた令嬢が結婚なんて出来るのかしら』

『何食わぬ顔で夜会に顔を出せるなんて、よっぽど結婚したいんだな』

『夜会を開いて下さった侯爵夫人の顔に泥を塗るつもり?』


 全て、本当に言われていたのかはわからない。幻聴もあるかもしれない。

 だが少なくとも、そのようなことをひそひそと言われていることは理解できた。


 手に脂汗がじっとりと滲んで気持ちが悪い。

 顔から血の気が引いて青白くなっていくのがわかる。


 私は来たくない、来たくなかった。

 だけどお母さまがそれを許してくれないから。


 私の意志ではないのに、なぜこんな目に合わなければならないのか。

 婚約破棄だって、私は何一つ悪いことをしていないのに。なぜ、私ばかりが非難されるのだ。理不尽だ、フレデリックとマリメルには何の罰もないのか。


 裏切ったのは向こうなのに!!!


「はッ、はッ、はッ」


 うまく息が出来ない。

 どうやって呼吸をすればいいんだっけ。


 次の瞬間、視界は真っ暗になってクロエは目を剥いて倒れた。



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