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赤い花、青い花  作者: 河辺 螢
第五章 北邱の領、あの日から
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5-9

 ルパートの心配をよそに、ダレンは卒業するとすぐに領に戻って来た。

 学友三人を連れ帰り、うちの二人は役人に、一人は執事候補としてクリフォードの下についた。ダレンが自身の目で見極めた人材は優秀で、勧誘を兼ねて時々領に連れて来ていたようで、領に馴染むのも早かった。


 四年間王都にいたが、ダレンには領内に知り合いが多くいた。学校が休みになると家に戻っていない時でも領内のどこかにいることが多く、農家や酪農家のところで過ごし、ドーン達薬師と共に薬草の勉強会をしたり、野菜や果実など領特有の食材を調査し、加工品の製品化を試みたりと、ルパートの知らないところで領のために活動していた。


 今王都で売れているハンドクリームや化粧品を取り扱っているのはダレンの友人の家が営む商会だった。香料になる花についてはルパートよりよほど詳しく、人気の高いマルカスの花だけでなく、領内の花や木から香料に適した素材を見つけ出し、商品化を進めるプロジェクトにも参加していた。


 領にいた頃は無口で控えめだった甥がずいぶん行動的になっていたのに驚いたが、最も驚いたのは結婚相手を連れてきたことだ。

 ルパートの用意した縁談はすべて相手から断られていたが、代わりに平民の女を王都から連れ帰っていた。しかも年上で学歴もない女だという。たぶらかされている可能性が濃厚だが、クリフォードの報告が遅く、ダレンは王都を出る時に既に王に結婚の許可を申請しており、もはやどうしようもなかった。

 夕食会を開き、その場で相手を紹介すると伝えられたルパートは屋敷に行き、執務室にいるダレンの元に直行した。


 突然現れた叔父にダレンは仕事の手を止め、部屋にいた役人達に部屋を出るよう指示した。

 二人だけになると、ルパートはいきなりダレンを叱りつけた。

「平民の女を妻に迎えるなど…。おまえは何もわかってない。この家を継ぐ者なら家同士のつながりを考え、それなりの家格の家から令嬢を娶るものだ。それを…」

 せめて事前に相談くらいしてほしかった。その思いが強く、既に結婚許可を申請した後だと言うのについ愚痴が出た。それを待ち構えていたかのようにダレンは即座に反論した。

「平民ですがアッシャー男爵家の縁者です。問題はないはずです。彼女は薬草研究所でオーウェン所長の助手をし、論文にも名を連ねている優秀な人ですよ。薬草の知識を持ち、この領に力を貸してくれる。名前だけのつながりよりよほど有益でしょう。第一、領主である僕の決めたことに誰の許可が必要だと言うんですか?」

 冷たい笑顔だった。穏やかさを装いながら、その目は敵意を見せ、これまで自分を叔父として敬ってきたダレンとは思えなかった。


「ホーソン氏にはずいぶん儲けさせたようですね。ご自身の財産だけでなく、領の金も費やして粗悪な薬を掴まされたと聞きました。担当していた役人の不正にも気付かなかったようですね。…不正を指摘したのは僕です。収支と納品数、在庫を見ればさほど難しいことではなかったはずですが」

 報告された収支決算は数字を追うことなくサインをした。それは役人を信用していたからだ。この領に勤める役人はみんなしっかりと役割を果たしていて、不正をするとは思わなかったのだ。


「ホーソン氏が安値で買い叩いていた手荒れクリームは別の商会に託しました。大変好評で領の収益が上がったでしょう? 叔父上は過労気味だったようですので、無料診療所の医師の手当てを上げ、新たに人を募集しました。それなりに金額をはずめばちゃんと人は集まりましたよ。領内の仕事を見直し、領主を経由する必要のない仕事は書類の決裁権限を変えました。以前より仕事が減っていると思いますが、…気がついていましたか? ああ、そうそう、ノートン製薬とホーソン商会には損害賠償を請求し、ようやく和解金を支払う気になってくれました。あれだけのことをした業者に取引停止程度で許すなんて、叔父上は寛大だ」


 学校で首席も取れなかった甥。家で家庭教師をつけていた時も大人しく聞いているだけで、理解力はあるが積極性がないと評されていた。

 目の前にいる若者は自分の知らないところで動き、これまで手伝ってきた自分に感謝するどころか不満を見せている。仕事に追われ、フラフラになりながらも代理を務めてきた叔父に感謝するどころか責め立てる甥に、ルパートは怒りが込み上げてきた。


「今まで領のことをお手伝いいただいていましたが、ようやく卒業できましたのでご安心ください。ここに戻る前に、結婚の許可と領主代理の解除を申請してきました。近々受理されると思います」

 領主代理の解除は引継ぎが終わり次第申請するつもりだった。それなのに先んじて手続きを済まされ、当事者でありながら自分には何一つ相談されなかった。そのことがルパートには許せなかった。

「おまえは何を勝手にっ」

「勝手ではありません。僕は領主なんです」

 怒号にも怯むことなく、ダレンはルパート以上に強い怒りを向けてきた。

「僕はまだまだ未熟で、いろんな人に助けられています。全てを自分の手柄にするつもりはありません。ですが領の仕事をする時、手伝っていると思ったことはありません。あなたは確認もしないことを承認し、会いもしない人を評価できるようですが、僕はそれを信じない。あなたが僕の結婚相手に勧めた人にも会いましたが、実に見事な人選で、遠慮なく断ってもらえました。おかげで僕は自分の選んだ人をこの領に連れてくることができた。ある意味、感謝しています」


 ダレンはそれまでの敵対するような表情から一転し、朗らかな笑顔を浮かべていた。

「あなたは医者としては優れた人です。僕を、領のみんなを助けてくださってありがとうございました。これからは医師の仕事に専念なさってください。…この領に良家のつながりが必要だと本気で思っているなら、ご自身の妻に選ばれてはいかがですか? 僕は強制しませんが」


 会話を一方的に打ち切り、部屋を出て行ったダレンは、ルパートからの助言を必要としていなかった。引き継ぐこともごくわずかで、このままルパートがいなくなっても困ることはなさそうだ。

 自分がしてきたことは何だったのだろう。

 ルパートは天井を見上げ、組んだ両手で目を覆った。



 その日の夕食会でダレンの妻に会うことになっていた。ダレンとの口論もあり気乗りしなかったが、参加しない訳にはいかなかった。


 ダレンが妻に選んだ女は平凡だった。飛びぬけた美人という訳でもなく、華もない。目立たず大人しそうな女性。しかし、どこかで会ったことがあるような気がしないでもなかった。

「初めまして。ダレンの叔父、ルパート・バスティアンです」

 ルパートの挨拶に少し困ったような顔を見せながらも、相手も名を名乗った。

「…ルビア、……アッシャー、です」

 覚えのある「ルビア」の名。何よりその声に心臓が締め付けられた。


 「口を開けて、はい」

 「食べないともちませんよ」


 あの病が流行った時、食事をおろそかにする自分を叱り、食べ物を口に放り込んだ手伝いの誰か。そっけないが下心のない、純粋な善意だった。

 あれから仕事の時は昼食に一口大の食べ物が出されるようになり、気になって目を向けるようになった。フォークで刺せば手軽に口に放り込め、スープはコップだけで飲み干せるようにしてあり、少しづつ口にするうちに徐々に食欲が戻ってきた。時折誰かが真似て口を開けるように言ってきたが、甘ったるく作られた声はあの声とは違った。


 仮眠室を片付けたのも同じ人物だったと聞いた。どこで寝ても同じだと思っていたが、長椅子での仮眠をやめ、ベッドで寝るようにすると、しっかりと睡眠がとれるようになった。

 だがその人はいなくなった。見向きもしなかった妻と同じ時期に。


 ルビア。

 この領でレイベ草を見つけ、育て、薬師につなげてくれた人。あの青い花だけが咲く奇跡の庭を作った、かつて妻だった人。


「ルビア、『アッシャー』じゃなくて『バスティアン』でいいよ?」

「え、で、でも、…」

 新しい名にはにかむ姿は初々しかった。


 ルビア・バスティアン

 その名は自分の妻のものだった。だが最後の手紙にさえ、彼女はその名を残さなかった。

 これからはダレンのためにその名を名乗るのだ。

 心が痛むのは何故だ。


 横取りしたいとは思わない。そもそも自分の好みではない。見た目は普通で色気も感じない。王立学校どころか初等学校さえ出ていないなど論外だ。アッシャー男爵家と縁があるといっても結局は平民に過ぎない。庭を耕し、土に触れるなど貴族がすることじゃない。何一つ自分には相応しくない。契約結婚だけで終わらせたのは間違っていなかった。

 そう思うのに、あの声が忘れられない。


 風に揺れる裏庭の青い花が心によみがえった。

「レイベ草を、…見つけてくれて、ありがとう」

 ルパートの言葉に、ルビアは黙って頷いただけだった。


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