4-12
翌日の午前中は農園にある南部の薬草から作る薬の説明を受け、昨日収穫した果物を土産にもらい、昼には農園を離れた。来た道とは違う西まわりのルートで王都に向かい、予定より早くその日の宿に着いた。
行きと同じく学生の世話は侯爵家が仕切っていたので、ルビアはのんびり宿の周辺を散歩した。
知らない花、知らない草が多い。薬草事典に載っていたような草もある。今手元に事典がないのが残念だ。
各地域に伝わる薬草を再調査し、前所長が編纂した薬草事典を改訂したい。それが所長の夢だった。その思いはルビアも同じだった。かつてルビアがバスティアン家の蔵書にメモを挟んだように、薬草だと知らない地域の人にも役立てることができるなら…。
道が開け、夕日のまぶしさに顔をあげると、そこは夕日よりも赤い世界が広がっていた。
目の前にはレイベ草の花畑。一度も見たことのない赤一色だった。
あんなに毎日抜いてきた花がここでは自由に咲いている。花として愛され、時には食べられ、お湯を注ぐとガラスポットの中でくるくる回っていた赤い花。
無用なものだと抜かれ、ただ捨てられることはない。赤い花だからといって…
目に映る赤い花をにじませ、涙があふれてきた。
赤い花。私は赤い花だった。
青い花が尊ばれ、薬効を下げる邪魔な花。抜かれるのが当たり前。なくさなければいけないもの。ずっとそう教えられ、そうしてきた。
なのに目の前にはあの赤い花が咲いている。咲くことが許されている。南の人に愛される、夕日のように赤い花…
こんなに涙が出たことはなかった。悲しい時もつらい時も仕方がないと飲み込めば、すぐに涙は枯れていた。それなのに、何もつらいことなどないのに、ただ花を見ているだけなのにこんなに涙が止まらないなんて。
そっと肩に手を置かれ、驚いて振り返ると、その人も驚いていた。差し出されたハンカチを受け取りながらも、涙をふくよりも声にならない声があふれてきて、自分でもどうしたらいいかわからなかった。
「きれいだね」
ルビアの背後に広がる赤い花畑を見たダレンの言葉に、ルビアはただ頷いた。
止まることなくあふれる涙を見て、ダレンはルビアを引き寄せ、泣き顔を自分の胸に当てた。小さな震えが伝わってきて抱き寄せる手に力がこもったが、傷つけることのないように慎重に胸の中の宝物を守った。
「…僕に、もう少し力があれば…」
「ダレン、様?」
「僕がもう少し早く大人になっていれば、君を泣かせることはなかったんだろうか」
いつになく弱気なダレンの言葉に、ルビアは驚いて顔をあげた。ダレンの頬にも涙が流れた跡があった。ダレンは目をそらせ、手の甲で自分の頬を拭った。何故ダレンが泣いたのか、ルビアにはわからなかったが、自分の涙のせいなのは間違いない。
「ダレン様のせいじゃありません! 全然、全く! 赤い花がきれいで、それで何だか泣けてきちゃっただけなんです。故郷では敵のように抜いていたのに、こうして見るととてもきれいで…」
ルビアはいつも以上に明るく笑って見せ、ダレンの頬に手を当て、指で涙をぬぐった。
「つらかったんじゃないんです。…ダレン様が気に病むようなことなんて、何もないですよ」
そのしぐさはダレンを子供扱いしていた。悔しいのに掌から頬に伝わるぬくもりにダレンは何も言えなくなった。自分に笑いかけてくるルビアに胸がいっぱいになり、次の言葉を口にしそうになった時、何気なく花畑に目をやったルビアが声をあげた。
「あっ、あれ!」
ルビアは赤い花をかき分け、赤に埋もれてひっそりと咲く青い花をダレンに見せた。どうしてルビアがその花を見つけることができたのか、ダレンが不思議に思っていると、
「こんなに青いなんて。だから毒扱いされてるのかな…」
レイベ草に向けられた真剣なまなざし。ルビアが手の上に載せて観察していたのは花ではなく、葉だった。
「抜いたら怒られるでしょうか」
「いいんじゃない? この辺りじゃ青い花は抜け、らしいし。僕には青い花があるなんてわからなかった。きっと誰にもわかってないよ」
ルビアは青い花の咲く株を慎重に抜き、土をつけたまま根を丸くまとめてハンカチで縛った。縛ってから気がついた。
「あ、ご、ごめんなさい、ダレン様のハンカチなのに」
「いいよ。それ、持って帰りたいんだろ?」
ずいぶん失礼なうっかりに恐縮しまくるルビアだったが、
「ルビアが自分で刺繍したハンカチをくれるなら許してあげるよ」
許しの約束はもらったが、「刺繍」の言葉にルビアは顔をこわばらせた。絵同様、刺繍もあまり得意でないことはダレンも知っているはずだが。
それでもいつものダレンに戻っていて、ルビアは安心した。
畑の所有者を探し、これから花をつける畑から二株ほど買い取りたいと交渉した。畑の持ち主はその奇妙な申し出を怪しんでいたが、薬物研究所の者だと話し、ダレンが銀貨を1枚渡すと
「どうぞどうぞ、十株でも二十株でも」
ところりと態度を軟化させた。
翌朝、ルビアは広い畑に入り、葉の色の違う株を二つ、土がついたまま掘り起こした。麻布をくれたので、根をまとめ、さらに二重に布を巻いて馬車を汚さないよう気を配りながら積み込んだ。
集合に遅れたせいでルビアとダレンは二人だけで同じ馬車になった。
所長が喜びそうな土産が手に入り、ルビアは満足していた。
「いいものが手に入ったみたいだね」
「こんな青いレイベ草、初めて見ました」
嬉しさのあまり、蕾もまだついていないレイベ草のことを自覚なくダレンに話していた。
「君にはこれから咲く花の色が見えてるんだね」
その言葉にしまった、と焦るルビアに、ダレンは変わることなく微笑みかけた。
その笑みは、ルビアの秘密などずっと前から知っているように見えた。




