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王都の商会から手荒れクリームの取引の打診があった。クリームの生産地を突き止め、ぜひ取り扱わせてほしいと先方から申し出があったのだ。
先行して販売していたN&H社からもかつて雇っていた薬師達にクリーム納品の依頼があったが、買い取ってやるという横柄な態度に加えその金額は雲泥の差で、応じる者はいなかった。
販売契約をしたアボット商会は、ただクリームを取引するだけでなく、販売方法や商品の開発にもアドバイスをくれた。素材を選りすぐって作ったクリームを蓋が花の形になった容器に入れて売り出すと、高級志向の貴婦人から注文が殺到した。品薄になっても生産を急がず、質の良さを売りにすることで購買意欲が掻き立てられたのか、常に入荷待ちの人気ぶりだった。高級品、従来品の他、大容量で低価格なものも用意して商品ごとに購買層を絞った。
さらにマルカスの花の香りをこの領のイメージとして定着させようと、花農家も交えて洗髪剤や香水などの商品開発が進められた。
花が咲く前に、ルビアは裏庭のレイベ草の半分を刈り取り、束にした。
乾燥させる前のレイベ草を数束ドーンに渡すと、銀貨二枚をもらった。一気に金額が上がったが、どこかでレイベ草の相場を聞いたらしい。
「来年の予約も兼ねてだ。残りもよろしく頼むな」
実現することのない来年の口約束に、消えそうな笑みを保つのがやっとだった。
レイベ草につぼみがつき、開花の時期を迎える頃。
ルビアはレイベ草の育成を引き受けてくれた農家に赤レイベ草と青レイベ草の話をした。
「この地域では今のところ青い花しか咲かないようですが、他では赤い花が混じることがよくあります。もし赤いレイベ草の花が咲いたらどの程度混ざっているか薬師さんに伝えて、赤い花の株は抜いてください。赤レイベ草自体には害はありませんが、青レイベ草の割合が少なくなれば効き目に影響します」
害がある訳じゃない。役に立つ草と見た目が同じなだけ。それだけで邪魔だと抜かれ、捨てられる赤い花。そこにあることが許されない。
私と同じ。
ルビアは青い花に混じって咲く赤い花を思い出し、苦しくなる胸に手を当てて深く息を吐き出し、そっと目を閉じた。
秋が近づき、間もなく約束の二年目が来る。
次の働き口として、クリフォードから隣の領にある商人の家のメイドを紹介された。住み込みではなく、給料も今より安いが、身寄りのない身で雇ってもらえるだけでもありがたいと思わなければいけない。
ドーンにはここを去ることを事前に伝えておくことにした。
「離婚が決まったので、街を出ることになりました」
ドーンは無理に引き留めることもなく、
「まあ、よかったというべきなのか? 俺は残念だがなあ」
と言って、餞別だと新作のクリームを差し出した。ルビアも香りの調合に参加させてもらったが、甘すぎない香りがほのかに残り、いい仕上がりだった。
「次の仕事は決まっているのか?」
「今働いているところで紹介状をいただけることになっています。お屋敷のメイドで…」
「ちょっとここから距離はあるが、王都にいい話があるんだがな。俺の知り合いの薬草の研究者がレイベ草に詳しい人を探しているんだ。職員用の寮もあって無料で住めるぞ」
レイベ草の仕事と聞くと警戒してしまうが、花を見分ける力だけでなく育て方も詳しいつもりだ。住む所もあり、しかも無料と聞き、メイドの仕事よりよほど興味が沸いた。
「強制はしないが、おまえに向いてる仕事だと思う」
「…やってみたい、です」
ルビアが乗り気なのを見て、ドーンはその場で紹介状を書いた。
ドーンはここから王都に移動する経路や、途中の街や宿について詳しく教えてくれ、隣にいた新人の薬師見習いのジョンが略地図を書いて今聞いた情報を書き込んでくれた。一人旅は初めてだが、これがあれば何とか王都までたどり着けそうだ。
どうしてもレイベ草からは離れられない運命のようだ。
あと何年「見える」だろう。ルビアはもう二十歳を過ぎている。見えるピークは過ぎ、これから徐々に葉の違いはわからなくなる。残りの数年間、自分はどれくらい役に立てるだろうか。
「ありがとうございます」
ルビアは紹介状と地図を受け取った。
結婚記念日はこの契約の終了日だ。
その四日前に、クリフォードにこの家を出ることを伝えた。紹介状は他でもらったからと断り、尋ねられた行先は答えなかった。クリフォードは深く問い直すことはしなかったが、ルビアの今後に関心がないわけではないことは察せられた。
二年分の給金は受け取ったが、この結婚の契約で受け取る約束の金貨五十枚は、約束を守れなかったことを理由に辞退した。そんな大金を持ち歩けないし、ここに来る前にもらった金貨もまだ使いきれていない。契約書の下に「受取辞退します」と書き加え、日付と署名を添えた。
約束を破り、メイドになって本館で過ごした。使用人達ともこの家の嫡子であるダレンとも仲良くなった。それは自分が選んだことであり、少しも後悔していない。約束を守って金貨を手に入れたとしても、日々を無駄に過ごし、虚しく寂しいだけだったに違いない。
まだ契約の期日前だったが、少し早めにここを離れることを希望すると、許可が下りた。
メイド仲間や屋敷の使用人達にも挨拶し、お別れパーティーをしようと言われたが、もう出発するからと見送りさえも断った。
今まで円満に別れたことがなく、親しい人と別れる覚悟を持つのが怖かった。
抜かれた赤い花は捨てられるものだ。
挨拶をした翌日、期限三日を残し、ルビアは屋敷を出た。
別館も、寒い季節に使っていた屋根裏部屋もどちらもきれいに整えられ、何も残されていなかった。




