075 『世界は緩やかに死につつある』
ロベールの壮大な野望が、その初動段階で頓挫を余儀なくされてから一週間(十日)。
計画の全体像は判明しないまま、騒乱の事実だけが『クリョノ暴動』として歴史上に記録されることになったようだ。
しかし、抗訝協会第三管区長の重職にあり、継承権を有する王族でもあるロベールが事件の主犯として収監されるような流れにはならず、身代わりとして討訝志士団の団長の地位にあったブリエ子爵という人物と、幹部の数人が逮捕されていた。
真に主導的な役割を果たしていたであろう求綻者、アレクシア・メルヴィルは今に至るも消息不明で、透徹視の異名を持つ求綻者フェリア・ブニュエルも姿を消したまま。
一方の私たちはあの後、クリョノで事態収拾に奔走させられることに。
抵抗を続ける志士団の鎮圧、逃亡や潜伏を図る団員の捕縛、消火活動と救助活動の陣頭指揮、負傷者の治療と死体回収の指示――何もかもが混乱した中での作業は困難を極めていたが、それでも五日ほどで小康状態へと持って行くことができた。
そんな中、拘束したロベールの身柄は警邏兵に預けることになり、武装解除した志士団員らと共に、密かに王都リュタシアへと移送された。
暗殺の標的であった抗訝協会副総帥のアレクサンデル・オーゼロフは、どういう理由があってかクリョノに滞在などしていなかった設定になったようで、事情を聴きたいこちらからの面談の申し入れを徹底して無視し、やはり秘密裏に慌しく街から去った。
で、諸々の状況が落ち着いてみると、どうにも風向きがおかしい。
探りを入れてみると案の定というか何というか、こちらで調査していた第三管区にまつわる疑惑の数々は、大部分を隠蔽する方向で話が進められている様子。
このままでは、何もかもを有耶無耶にされてフェードアウト、となりかねない。
イヤな予感が拭えなかった私は、王女の身分を利用することにした。
求綻者の立場からロベールを糾弾するのではなく、親族として個人的に面会するという体裁で、話を訊き出せる機会を無理矢理に作ったのだ。
そして今は、王城の地下牢に幽閉されたロベールを訊ねようと、ディスターと共に城内を移動している最中だった。
「志士団の下っ端どもは哀れだな。死罪は免れても、王家と協会が証拠隠滅を徹底するだろうから、二度と一般社会には戻れまい」
「自ら選んだ道ならば、同情するにも値しないのですが」
「どうも、全部が全部そういうわけでもないようだからな……とは言え、当人に利用された意識がないせいで、情状酌量していいのかどうかもわからん」
討訝志士団で下士官や兵に相当する立場にあった連中は、その殆どが募集広告に応じた中流階級出身の若者や仕事にあぶれた傭兵だ。
団の俸給はそこまで高くなかったものの、雇用主が協会幹部を務めている王族というのが、将来性の面で魅力的だったのだろう。
金で集めただけの兵隊が、どうしてああも高い戦意と忠誠を維持できたのか。
それに関しては、アレクシアが傀儡貓の能力を利用し、団員の意思をコントロールしていたことを疑っている。
消えた求綻者、リシャール・バスティロのレゾナが、催眠を得意とする昏睡羔だったのも、私の疑念を強化する一因だ。
「催眠状態での暗示によって対象の意識に変化を起こせる、との研究書を以前に城の図書館で目にしたが」
「断言はできませんが、その方向性で考えるのは正解でしょう」
「ロベール自身も、操られていたのだろうか……」
質問と独白の中間のように口にしてみるが、言葉でも思念でもディスターからの返事はなかった。
階段を何度か上り下りし、警備の兵士から十回に近い挨拶をされた後、ようやく目的の場所へと辿り着いた。
牢獄といっても、古くから王族や貴族を送り込む目的で使われている場所なので、一般の犯罪者が送り込まれるものとはまるで別物だ。
複数の監視はついているが、居室は広く明るく清潔に整えられている。
自由に出入りできないのと、空気が若干湿っぽいのを除けば、快適と称してもそれほど大袈裟ではない。
「……私を笑いに来たのか、エリザベート」
「そこまでヒマでも悪趣味でもありませんよ。あなたが何をしたのか、そして何をしようとしていたのか。この二つを訊きに来ただけ」
「全ては最早、終わったことだ……今となっては、どうでもいい」
「こちらとしては、そうも言ってられないので。話していただければ、悪いようにはしませんが?」
別に良いようにする気もないが、そこは伏せて柔和な表情を浮かべる。
澱んだ瞳でこちらを斜めに見返してくるロベールは、心労のためか相当にやつれて目の周りを濃いめの隈で黒々と縁取っていた。
無言の状態を三分ほど続けた後、ゆっくりと頭を振ったロベールは、椅子に座り直して視線を正面から私に向ける。
「私はな……幼い頃から王になるべき人間として育てられたのだ」
「王家に生まれた人間ならば、ある程度はそんな教育も受けるでしょう」
「そうではない……私は長い間、不測の事態が起きた時に備えて、王太子としての生き方を学ばされていた」
遠くを見るようなその目は、相変わらずの昏さだ。
ともあれ、黙ったままで面会時間が尽きるよりはマシな展開だろう。
しかし、ロベールの話にはやや腑に落ちない点がある。
「いや、ちょっと待ってくれ。御祖父様――先代の王アンリの弟の息子である貴方は、現王の従兄弟でしかない。父にはシャルル叔父様の他にも数人の兄弟がいるし、立太子はまず無理なのではないか」
「ああ、お前は知らされておらぬか……私の系図上の父母は、実の親ではない。私の父はアンリ・ド・レウスティ、母は王妃ではない……どこぞの下級貴族の娘、だそうな」
つまり、ロベールは本当の母親を知らずに生きてきたのか。
そう思うと、僅かばかりだが同情心めいたものが生じてこなくもない。
従叔父ではなく叔父となった相手を見返していると、溜息の後で話を続ける。
「兄は……フィリップは、幼少期はひどく体が弱くてな。年齢を重ねるごとに衰えは悪化し、十歳になる頃には年の半分以上を病臥して過ごしていた。その当時、王家直系の男子は兄上一人だけ。そこで、私の存在の重要性が増してきた」
言いながらロベールは目を細めるが、記憶の眩しさを感じているというより、未だに直視しがたいとかそんな印象を与えてくる。
「自分の出生について知らされたのは五歳の時だ。それから十年、私は王に相応しい人物となるべく、研鑽を重ねた。軍事、政治、外交、経済、歴史、教養、儀礼……あらゆる分野で、深い造詣を身に着けるべく学習漬けとなる日々だった。それでも、いずれ自分が国を預かることになるとの想いが、重圧と苦難に押し潰されそうな私の心を支えていた……なのに! それなのに、だっ!」
不意に激昂したロベールは、拳を固めて目の前のテーブルに何度も振り下ろす。
分厚く頑丈な天板は、唐突な暴力を受け止めて衝撃音だけを周囲に散らした。
何を言っても火に油な雰囲気があったので、私は何も言わずにただその姿を眺める。
荒い呼吸を落ち着かせてから、ロベールは乱れた髪を撫でつけて口を開く。
「私も、事情を知る重臣達も、父も、そして兄ですら……私が王位に就くと、そう考えていたのだ。しかし、王家の医師団が開発したという新薬が、フィリップを瞬く間に健康体へと変えた……私の存在意義は揺らいだが、まだ兄の代用品としての役割はあった。それすらも剥奪したのは、シャルルを初めとする弟達の誕生だ……私の座るべき玉座は、レウスティからもバレガタンからも失われた……全ては無意味になったのだ」
「そんなことは――」
「私は存在を否定された! それも二度も、だ! それからは兄の死を願い、弟の死を願い、父の死を願い、戦乱を望むだけの人生だった! こんな誤りは、壊されなければならんのだ……そうでないと世界は正道に戻らず、私の居場所はどこにもない」
反論の言葉はいくつも浮かんだが、何を言っても届きはしないだろう。
既に、妄執と現実はロベールの中で綯い交ぜになっている。
王になって何かを成したいのではなく、ただ王という特別な存在になりたいだけ。
歪んでしまった願望が、ロベールの原動力となっていた気配がある。
「協会の幹部の椅子で、満足できませんでしたか」
「管区長などといっても、ただのお飾りの名誉職だ……権威はあっても権限はない。私の仕事といえば、時々届けられる書類に決裁印を捺すか、何らかのパーティに出席するか、そんなことぐらいのものだった。アレクシアが現れるまでは、な……」
やはりあいつが黒幕との連絡役か――と口にしかけたが寸前で踏み止まる。
自分が操られていたのだと、ロベールが認識しているかどうかは怪しい。
「以前より頭の中にはあったが、実行するのは躊躇われた計画の数々……それを片端から形にすることができたのは、あれの助力があってこそだ。私の手足となって働く討訝志士団という組織を作り、透徹視のフェリアら有能な求綻者を同志として引き入れ、協会を新たに生まれ変わらせる……あと一歩、だったのだが」
「どうですかね……その、生まれ変わった協会というのは、以前に言っていた『求綻を唯一の目的として動く組織』とかそういう話、ですか」
私が問うと、ロベールは痛みを堪えているのか苦笑いをしているのか、判別のつかない表情をこちらに向けてくる。
「そうだ。抗訝協会にあらゆる存在を超越した権力を持たせ、各国の内部事情や国家間の利害関係に行動を左右されることのない、求綻を最優先とする組織へと変えるのが目的、だった。世界は滅びかけているのだ……手段を選んでいる余裕はない」
「危機感自体は、わからんでもないのですが、ね……求綻者の相次ぐ失踪や事故死、大々的な集金とその金の不可解な消失も、その変革とやらと関係があったので?」
「雑務はアレクシアに任せていたので、詳しくは知らぬ。あの者のやることだ、何か確たる理由があったのだろう」
計画は無残な失敗に終わったというのに、未だロベールの信頼は揺らいでいない。
或いは、アレクシアから受けた暗示や催眠が解けていないのか。
もしくは、半ば全体像を理解していながら、無意識下で騙されたままでいることを選択した、という線もありそうだ。
どれが正答だったとしても、その佇まいには痛々しさしか感じられなかった。
「結局……あなたはどうしたかったんです? 王になれなかったから、王を超える存在になろうとした?」
「そこまで単純な話では……いや、突き詰めればそういうことになるのか。人というのは所詮、己の環境に合わせた生き方しか選べぬ。百姓の子は百姓に、商人の子は商人に、王の子は王になるように器が用意されるのだ。私は……空の器を眺める人生に耐えられなくなっただけ、なのかも知れぬ」
「――っ!」
お前の諦めの悪さが原因で、一体どれだけの人が無駄に命を落としたのか。
そう怒鳴りつけたい激情に駆られたが、何を言ってもロベールが理解することはないだろうと寸前で気付いたので、特大の溜息に紛れさせて勘気を散らす。
一分ほど無言が続いた後で、ロベールは疲れ果てた様子で訥々(とつとつ)と語る。
「私も終わるが、この国の……この世界の未来の終焉も、そう遠くはない。抗訝協会の腐敗は、改革の口実ではなく事実だ。連中に、現状維持以上のことができるとは思えん」
「腐敗の一端を担っていた方が言うと、重みが違いますね」
苛立って雑に切り捨てると、ロベールは項垂れて何も喋らなくなってしまった。
何にせよ、ロベールから今回の件を探ったとしても、アレクシアのところで遮断され、その先にいる個人なり組織なりには辿り着かないだろう。
当然ながら、彼女の経歴や周辺を探っても、有益な情報が出てくる可能性は低い。
ここらが潮時か――そう判断した私は、ディスターを促して地下牢を後にした。
「結局のところ、一連の事件を起こした真の目的は、見えず終いになりそうだな」
「事件を起こすことが目的だった、という可能性もありそうです」
「ふむ……狙いは協会への不信と王族への反感の増大、といったところか」
「はい。他に考えられるものとしては、私設武装集団の運用実験、巨額の軍資金の調達、同志となる求綻者の登用、等でしょうか」
かなり大規模な組織だろうに、輪郭すら把握させない得体の知れなさ。
自分達が相手取ろうとしている『何か』の厄介さが、軽めの頭痛を生じさせる。
微細裂のバーブが言い残した協会の腐敗というのも、ロベールとその周辺に関してだけの問題ではないだろう。
考えれば考えるほどに、暗澹たる気分はその色合いを濃くしていく。
「フェリアから情報を引き出せれば、多少はマシになっていたかもな」
「申し訳ありません。ただ、あの者の能力については見当がつきました」
「千里眼めいた感覚の鋭さと、異様なまでの戦闘力か……何なのだ、あれは」
「かつて旧セリューカ領域の各勢力を統一し、世界に戦いを挑もうとした僭君子ネクザリカ、彼のレゾナについては御存知ですか」
「ん、確か……姿を現さずにネクザリカを守り続けた、透明の体を持った不明新生物だったとか何とか」
記憶の底を浚いながら答えるが、ディスターは小さく頭を振る。
「そういうことになっていますが、実は宿主の身体能力を大幅に上昇させる性質を有する寄生生物です。分類上は不明新生物なのでしょうが、名称は未設定で生態なども謎が多い。これと同じものが、フェリアのレゾナではないかと」
「なるほど……何にせよ、彼女が敵に回るのは面倒だな……」
言いながら、本当に『敵』なのだろうか、との疑念が僅かながら湧き上がる。
アレクシアやフェリアの言葉の中には、私を仲間に誘おうとする気配が濃厚だった。
明らかに思想信条が違うのならば、最初から勧誘などしてこないだろう。
となると件の組織の理念や目的は、私が共感できる内容なのではないか。
そんな考えが伝わったようで、ディスターが無感情な調子で言う。
「善や悪には、確固とした基準がありません。決めるのは全て姫様自身です」
「古都の三割を焼失させ、無辜の市民を数百殺傷し、思慮の浅い若者を洗脳して使い捨てる……そこまでやる連中と手を組めるか、だな」
半ば独り言のように口にした後、実際どうだろうかと考えてみるが、十秒と悩むこともなく答えは出た。
心理的に多少の抵抗はあるにしても、必要とあれば組める。
これは私が冷酷なわけではなく、何事にも限界があってそれは大抵が頼りない水準にある、と知って諦めている故だ――と、思いたい。
「今回の件は、アレクシアらによって失敗を前提に計画されていたのだろうが……世界を変えるために力を求めた、ロベールの意志自体は間違いではないのかも知れん」
「どこまでが彼の意志だったのか、曖昧さは残りますが」
「それでも、だ。国家や協会のような、既得権を有する巨大な力に抑えつけられたまま、世界は緩やかに死につつある……私の身分やディスターの能力を、より効果的な形で求綻に利用することも考えねばな」
来た時とはまた別の順路で、私とディスターは地上を目指して石造りの薄暗い道を歩く。
本当に出口に続いているのか疑いたくなる、無駄に複雑で冗長な構造。
それは茫洋とした自分の未来を想起させ、形容し難い息苦しさを呼び込んできた。




