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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第7章 (ライザ 鐘後216年2月)

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073 蹤跡

 クリョノの地下道は元々、地下水道の管理用に作られたものだった、と聞いている。

 それを先々代の領主が様々な場所に通じる通路に拡張し、領主の許可を得た貴族や商人が勝手に延長したり独自に新道を作って接続した結果、迷宮めいた様相を呈することになったらしい。


 拡張工事の理由としては、愛人の館に地下から向かうのが目的、禁制品を扱う闇取引を行うため、ヴァルク帝国のニーダースにあるという地下迷宮の模倣、など様々な説があったが、私も正確な事情は知らない。

 ただ、下手をすると街全体よりも広い範囲に地下道が張り巡らされている、ということは知っている。


「街の外に通じる道もある、って話だが」

「一箇所あるにはあった。でも、数年前に兄上が塞いだはず」


 アレクシアたちとの遭遇を警戒し、ささやき声で会話しつつ歩を進める。

 籠城ろうじょうするような状況があるなら秘密の通路にも意味があるが、現状では警備の手間が増えるだけだから、ベルナールの判断は正しい。

 しかし、オーゼロフが古い情報を頼りに街の外に出ようと地下に潜ったとすると、特に身を隠さずに急いで行動した挙句に袋の鼠になっている可能性がある。


「待て……血のニオイだ」

「む、確かに」


 セルジュの言葉に足を止め、意識を鼻に集中させると、微かに生臭さが混ざっている。

 発生源は、手前に見える曲がり角の先のようだ。

 人の気配はないので、そのまま進んで何があるのかを視認する。

 ランタンの明かりに浮かび上がったのは、身形みなりのいい中年女性と十代前半と思しき少年の斬殺死体だった。


「血の流れ方からして、半時間も経ってない……上の騒ぎから逃げてきた親子ってとこかね。なまじ、こんな場所に避難できる立場だったのが災いしたか」

「やったのはアレクシアの部下かな。口封じにしても事故だったにしても、荒っぽいにも限度がある」


 オーゼロフを発見できず、ロベール派の焦りが募っている結果なのだろう。

 もしこのまま逃げ切られることになれば、この騒乱を引き起こした首謀者らは勿論のこと、加担した志士団の連中も破滅するしかない。

 何はともあれ、今は一刻も早くアレクシアに追いつかねば。

 先導してくれるセルジュに従い、速度を速めながら入り組んだ地下道を進んでいく。


「何人か来る。ランタンを消して壁に」


 狭い通路から比較的大きな道に出ようとしたところで、早口の小声で告げられた。

 セルジュに問い返すことはせず、言われた通りの行動を素早くこなす。

 壁に身を寄せて息を潜めながら、通り過ぎる集団を確認しようと目を凝らした。

 人影は六つで、その挙動はあわただしい。

 しばらくしてから、女の声で「奥にある」「そこが開く」というような言葉が聞こえ、すぐに静かになった。


「……アレクシア、か?」

「恐らくは。それより、大きな袋を二人がかりで担いでたのが気になる。中身が副総統の可能性が高い」

「殺されてるのも最悪だが、生きて人質にされるのも厄介だな」

「ああ。どうするよ」

「追うしかなかろう」


 この事態が放置することで好転する、というのはまずあり得ない。

 となれば、やれることは何でもやってロベールの暴挙を止めるしかなさそうだ。

 私たちは細い道を出て、アレクシア一行の追跡を開始した。

 だが、ものの数分でセルジュの足が止まり、奥行きのない脇道を調べ始めた。


「ここで痕跡が消えてる」

「隠し扉とか、そういう類か」

「だろうな……ん、これか」


 石積みの壁を調べていたセルジュは、どこからか鉄の輪を引っ張り出した。

 それをグッと引くと、行き止まりの壁全体がドアとなってゆっくりと開く。

 セルジュがカンテラで照らすと、斜めに架けられた金属製の梯子はしごが見えた。

 とりあえず見張りの姿はなく、物音や話し声も聞こえてこない。

 先に進むしかないのはわかっているが、計画の立てようがない不安は否めずについ愚痴になってしまう。


「状況がまったくわからん……罠だったりしないか」

「何にせよ、踏み込んでみるしかない」

「それは、そうなんだが」

「とにかく時間が惜しい。急ぐぞ姫様」


 セルジュは生産性に乏しい会話を打ち切ると、素早い動きで梯子を上っていく。

 私は未解決の不安を抱え込んだまま、その後ろについていった。

 梯子を上りきると、どこかの建物内らしき場所に出た。

 そう広くない部屋は地下道と同じ石造りで、木製のドアがあるのが見える。

 室内に積んである木箱や布袋からして、どうやら物置らしい。


 耳を澄ましても、人の気配はない。

 セルジュは静かにドアを開け、様子を窺った後でこちらを振り向いて頷き、それから部屋を出る。

 続いてドアを抜けると幅が一ジョウ(三メートル)ほどの通路になっていた。

 向かいの壁には何もなく、こちら側には大体同じ間隔でドアが並んでいる。

 その数は、私達が出てきたのを含めて五つ。

 通路には階段も梯子も見えないが、どこかの部屋の中にあるのだろうか。


「あった。階段だ」


 三つ目のドアを開けたセルジュが報告してくる。

 念のため残る一つも確認するが、まきに使うらしい束ねた木材があるだけだった。

 音を立てないように注意を払いつつ、木製の階段を上がっていく。

 出た先は、ガランとした広い部屋だった。

 いくつか窓はあるが、小さくて室内は暗い。


「む? 猫、かな」


 薄暗い中に光る何かを見つけて呟くと、セルジュがランタンを掲げた。

 体長は二シャク(六十センチ)ないくらい、黒か暗灰色あんかいしょくの闇に馴染なじむ毛色をしている。

 毛足は長く、耳は垂れていて、顔つきはまるで笑っているかのようだ。

 こいつ、もしかして――と思った瞬間、三尺(九十センチ)近くありそうな二本の太い尻尾が、ゆらりと床から持ち上げられ、セルジュが押し殺した声で言う。


傀儡貓あやつりねこだ。目を見るな」

「やはりそうか。これが……」


 傀儡貓は名前の通りネコに似た新生物ヴィズで、これまた名前の通りに他の生物の心身を操作する能力を持っている。

 視線は思考を濁らせ、鳴き声は動作を鈍らせ、咆哮ほうこうで感情を乱す。

 姿を見たら逃げた方がいい、と養成所センターの授業で習った記憶があるが、個体数も少ないようで遭遇するのはこれが初めてだ。

 そんな新生物ヴィズが、騒動真っ最中の街中にいるってことは――


「流石に見抜かれますか」


 いつの間にか現れた女が、どこか楽しげな調子で言う。

 傀儡貓は音を立てずに女に駆け寄り、足元にちょこんと座る。

 アレクシア・メルヴィル――どうやらこの黒い毛玉は、彼女のレゾナらしい。


「随分と余裕だな。オーゼロフを殺して、全てが終わった気になってるのか」

「ふふ、まさか……今回のことは始まりでしかありませんよ」


 牽制けんせいのつもりでカマをかけたら、不可解な答えが返ってきた。

 オーゼロフは無事なのか、終わりではなく始まりとはどういう意味か。

 色々と訊きたいことはあるが、普通の会話で出てきた言葉を信じられるような、友好的な関係でもない。

 私が長剣を抜き放つと、セルジュも刃先が扇状に広がった特徴的なフォルムの剣を構えていて、アレクシアはレイピアを手にしていた。


「ネコの相手を頼む。アレに何もさせるな」

心得こころえた」


 ディスターほどではないが、セルジュも意思の疎通がとりやすくて気楽だ。

 アレクシアとの距離は、およそ五ケン(十メートル)――どういう戦闘スタイルか未知数だが、荒事を前にした気魄がまるで感じられず困惑させられる。

 とはいえ相手は達士、尋常ならざる実力者と考えた方がいいだろう。

 

『ギョォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』


 傀儡貓が、その体躯たいくからは想像もできない轟音を長々と発する。

 これが混乱を招くという咆哮か――全身の毛穴が開き、柄を握る手の力が抜けていく。

 心構えができていてもこれでは、不意を討たれたらたまったものではないな。

 そんなことを考えつつ、呼吸を整えて心を静める。

 セルジュは私より早く立ち直ったようで、床を蹴ってネコへと突進していった。


「んんなっ」

「待ちやがれコラァ!」


 焦った鳴き声と、わざとらしい怒鳴り声と、ドタバタ走り回る音。

 この調子だったら、二回目の叫びを発するひまはないだろう。

 改めて長剣を構え直し、小刻みな足取りでアレクシアとの距離を詰める。

 あと数歩で間合いに入る、というところでアレクシアの上体がフッと沈んだ。

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