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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第7章 (ライザ 鐘後216年2月)

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072 隧路

 壁の向こうのクリョノ市街は、想像を軽々と超える滅茶苦茶な混乱に陥っていた。

 必死の形相で駆けていくチェインメイルを着込んだ傭兵、建物内に戻れと怒鳴り続けている志士団員、そんな勧告を無視して家財を担いで逃げようとしている人々。

 女性の悲鳴、子供の泣き声、金属同士のぶつかる音、せわしなく吠え続ける犬。

 煙に乗って流れてくる、様々なものが焼け焦げるニオイ。


「まるで戦場だね」

「ここまでやるか……どう幕引きをするつもりだ、あの男は」


 シングの溜息交じり呟きに頷き返しつつ、この惨状を引き起こした張本人であろう、ロベールへの呆れと怒りを口にする。

 門の周辺には、矢を受けて倒れたりうずくまったりしている人間が多数。

 カカンッ、と乾いた音が頭上で鳴った。

 こちらに向けて放たれた複数の矢が、ディスターのハルバードでまとめて弾かれた音だ。


「高所から狙撃しているようです」

「止まっていると危ないな。手分けしてオーゼロフを捜そ――」


 指示を出そうとしていると、予期せぬ闖入ちんにゅうによって中断される。

 追い立てられたか傷つけられたか、正気ではない様子の驀地駿いっさんうまが六本足をバタつかせながら突っ込んできた。

 驀地駿がいていた荷車が外れ、不運な老人を巻き込んでどこかの店先へと衝突する。


 意味の読み取れない怒号が飛び交い、無秩序に矢が降ってくる状況から逃れるため、とりあえず煙が出ていない方向目指して駆けた。

 自分のものではない足音が複数、後ろをついてきているようだ。

 袋小路ではない裏道に滑り込み、軽く呼吸を整えながら同行者を確認する。


「ディスターにセルジュか……上手く二手に分かれたかな」

「恐らくは。レモーラ様が、他の二人を逆方向へと誘導しておられました」

「そうか、なら問題ない」


 性格的には問題がありすぎるレモーラだが、戦闘能力は突き抜けているし指揮能力は堅実、状況判断もおおむね的確だ。

 デタラメな動きをしているようでいて、実際には計算の上での芝居がかった行動だったり、無理なようでも力押しでどうにかなる選択をしていたりする。


「騒動が拡大傾向にある、ということはロベール側はまだオーゼロフを捕らえるなり殺すなりできていない、ということか」

「その可能性が高いかと」


 私の推測に、ディスターが同意を返してくる。

 そこに、セルジュが緊張気味に付け足す。


「とは言え、あまり広くもない街だし、壁に囲まれていて脱出は難しい。事態が悪い方に動くのも時間の問題だ」

「今でも十分悪いがな……」


 取り返しのつかない事態にはなっていないが、その何歩か手前だ。

 焦燥が思考を鈍らせ、口の中を無闇むやみに乾燥させる。

 だがここで立ち止まっていても、状況は最悪に向かって歩を進めてくるだろう。

 破局を回避しようと、移動中の志士団員や負傷して運ばれる警邏兵、それに走り回っている伝令などから情報を得ようとするが、僅かな情報ですら信憑性しんぴょうせいが果てしなく低い。

 

 抗訝協会の高官がリュタシアで暗殺され、クリョノに実行犯グループが逃げ込んだ。

 第三管区長のロベールが私兵を率いて反乱を起こし、王都への進軍を準備している。

 警邏兵の一部と盗賊団が組んで、街に滞在中の王族を誘拐しようと騒ぎを起こした。

 正体不明の不明新生物アンが出現し、討訝志士団とうげんししだんがその始末に奔走している――

 現状を説明する様々な理由が語られたが、真相に近いものすら見当たらない。


「オーゼロフの名前すら出てこないとは」

「高確率でこの場にいるであろうアレクシアかフェリアに訊く、ってのが実は一番の近道かもな」

「身も蓋もないが、それが正しいだろう」


 セルジュに苦笑混じりに答えつつ、わかっていてもどうしたものか、と首を捻る。

 フェリアはその辺の子供でも知っている有名人だし、アレクシアもそれなり以上に存在を知られている。

 そんな二人が、陣頭指揮を執っているとは考え難い。

 いっそ目立つように暴れて、出てこざるを得ないように仕向けるか。

 しかし、そんなことをしていたらオーゼロフが――


『何か来ます』


 ディスターから届いた念に、迷い道に入り込んだ思考を切り上げる。

 何か、って何が来るというのか。

 視線を巡らせつつ気配を感じ取ろうとするが、騒々しさと殺気立った空気に邪魔されて、それらしいものを掴めない。


 とんっ


 石畳の上に軽い何かを落としたような、そんな音がして振り返る。

 パーティの夜とよく似たローブだが、今日はフードを被っていない。

 フェリア・ブニュエルが、どこからともなく唐突に現れていた。


「どっ、どっ――」

「上からです」


 唐突にも限度がある出現に動揺する私に、ディスターは近くの建物を指差す。

 なるほど、屋根から飛び降りてきたのか――三ジョウ(九メートル)ほどの高さを気にしなければ、特に不自然な点はない。

 こちらの居場所を察知したのは、透徹視せんりがんの由来となった探査能力を駆使した結果だろうか。

 フェリアは滑らかな動作で、特注品と思しき奇抜なフォルムの刃を抜く。


「侵入者は排除しろ、と言われている」

「フェリア……異名持ちのあなたが、何故こんなっ」


 知らず知らず大きくなってしまう声で問うが、フェリアの返事はない。

 相手が何処の誰であろうと、淡々と任務をこなそうという態度に見える。

 私が王族であり、ディスターが竜であることも知っているだろうに、その辺りの事情を勘案している様子は皆無だ。

 そこまでロベールに忠誠を尽くしているとも思えないのだが、フェリアの無表情からは真意を窺うことはできない。


『こちらで相手をします。姫様は探索の続きを』


 私の前へと進み出たディスターから、そんな思念が届く。

 フェリアは個人の戦闘技能も桁外れだが、レゾナが詳細不明なのも気になるところだ。

 いくらディスターでも、一人で大丈夫だろうか――そんな不安も湧いてくる。

 迷いもあったが数瞬で強引に断ち切り、ディスターに同意の念を返すとセルジュに「この場を離れる」と目で合図を送る。

 すぐに伝わったようで、セルジュは微かな頷きを返してきた。


 服についた埃を払うような、フェリアの何気ない動きと同時に刃が走った。

 いくら何でも間合いが遠すぎる、と思ったが鋸状の剣は鱗に似た無数の刃へと転じ、鞭のしなりでディスターを急襲する。

 反応するのは不可能――そう思わせる速度とタイミング、だった。


 だがディスターは、僅かにハルバードを動かしただけで刃の群れを絡め取り、不可解な動きの後で弾き返す。

 不可解に思えたのは、恐らく早すぎて理解が追いついていないから、なのだろう。

 常識から大きく外れた、二人の戦闘を観ていたい。

 そんな気分に後ろ髪を引かれつつ、私とセルジュはオーゼロフの探索を再会すべく路地裏から駆け出した。


 誰何すいかしてくる志士団員を蹴散らし、無秩序な小競り合いを力ずくで鎮め、オーゼロフとその随員に繋がる情報を求めて回る。

 徒労を予感させる繰り返しの果てに、ようやく信憑性の高そうな証言が出てきた。

 三十分ほど前に、アレクシアが十名ほどを連れて地下道に入って行った、という若手志士団員が口にした話だ。


 彼女が色香で今の地位を得ていると思っているらしく、アレクシアに含むところがあっての暴露のようだが、理由はどうあれ無視できない情報だ。

 オーゼロフが街からの脱出を考えているにしても、騒ぎが収まるまで身を隠すにしても、地下道という選択肢は順当なように思えるし、そこを追跡者たちが探すのもまた定石だろう。

 おあつらえ向きに、地下道に続く入口の一つは、すぐ近くに存在している。


「……行くしかないか」

「ランタンを調達してこよう」


 そう言ってどこかに消えたセルジュは、数分と経たずに二つ入手してきた。

 この混乱の中で大したものだ、と改めて自分が雇っている男の有能さを思い知る。

 こちらも、見捨てられない程度にはいいところを見せねばな――

 そんなことを考えつつ、じめついた空気に満ちた地下への階段を足早に降りて行った。

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