068 匡救
「ケガはなくって? エリザベート」
「ああ……」
レモーラがレゾナである犬人のシングと共に駆け寄ってくる僅かな間に、アレクシアもローブの人物も手下と思しき連中も、闇に溶けるように姿を消した。
レモーラが殴り飛ばしたであろう何者かも回収され、既に誰一人として残っていない。
その見事すぎる引き際には、相手の危険性を改めて思い知らされた感がある。
「おぉ? どこ行った? 何だったんだ、あいつら」
手にしたカンテラを忙しく振り回し、辺りを照らしながら首を傾げるシング。
私としては「それを確かめようとしていたんだが」と抗議の一つもしておきたい気分だったが、レモーラ達を相手に何を言っても無駄だとわかっているので、苦笑いで流す。
そんなことより、気になる点をとりあえず確認しておく。
「どうしてここが」
「愛ですわ」
「いや適当言うな! あいつがライザがヤバいかも、って報せてくれたんだ」
レモーラの妄言を一刀両断したシングは、ややフラついた足取りで近付いてくる人影を指差す。
行方不明になっていたカロンだ。
「カロン! 無事だったか」
「すまん。油断したつもりはなかったんだが……どうにもならなかった」
カロンは首筋を押さえながら、苦汁を樽で飲まされたような表情で言う。
「一体、何があったというのだ」
「あの部屋で待機していたら、不意に室内の空気が動いた気配があった。いつの間にかドアが開いている、と気付くと同時に首筋に衝撃が来た」
「侵入にすら気付かなかったのか」
驚きと共に問うと、ギリッと歯を軋らせてからカロンは答える。
「そうなるな……意識を回復した時には、後ろ手に縛られて物置に放り込まれてた。そこで拘束から抜け出そうとしてたら、通りがかったこの二人が異変を察してくれて」
「しかし、お前ほどの者が……やったのはアレクシアか?」
「違うだろうな、多分。相手は女性だった気がするが、フードを深くかぶったローブ姿の……何者なのかハッキリしない。ともあれ、とんでもない手練れだ」
さっき対峙したあいつ、なのか。
只者ではないだろうと踏んではいたが、カロンがこうも簡単にあしらわれるような相手だったとは。
これは先走って戦闘せずに命拾いしたかな――などと思っていると、レモーラが訊いてくる。
「ところでエリザベート、今度は何に巻き込まれているんですの?」
「巻き込まれた、とは少し違うのだろうが――」
こういう状況で下手にレモーラを誤魔化そうとすると、余計に面倒なことに雪崩れ込む。
長年の付き合いでそれを学習している私は、ロベールにまつわる疑惑を中心とした一連の出来事について、手短にまとめて説明した。
行動は傍迷惑極まりなく発言は底抜けに馬鹿っぽいが、実際のところ頭は悪くないどころか怜悧と言っていいレベルなレモーラは、早々に事件の全体像を把握したらしく端整な顔を顰める。
「レウスティ周辺での検訝中の死亡件数の多さと、連絡所に出入りしている制服姿の連中は気になってましたが……そこまで深刻なことになっていたとは、ちょっと気付きませんでしたわ」
「私としても、第三管区長を調べてみろとの示唆がなければ、違和感があっても踏み込まなかったと思う」
耳から離れないバーブの言葉を思い出しつつ言うと、レモーラは重たい声音で応じる。
「協会上層部から危険視され、監査まで入っているのに止まらないというのは、もしかすると想像を絶する事態が進行しているのではなくて?」
「どうだろう……透徹視のフェリアらの、消えた求綻者がどうなっているのかが、この件の鍵になっているような……ん?」
推論を述べていると、レモーラが不思議そうな表情を向けてきた。
「フェリアでしたら、さっきまであの場にいましたわよ」
「はぁ? ……ひょっとして、あのローブを着てたあいつ、なのか?」
「ええ、何度か顔を合わせてますし。でしたわよね、シング」
「確かに、同じニオイだったな。別人の可能性は千に一つってとこか」
ラモーラの証言だけなら怪しさが残るが、元々鋭敏な犬人の嗅覚に独自の鍛錬を重ねて研ぎ澄ましているシングが言うのであれば、信憑性はかなり高いだろう。
だがそれが事実ならば、アレクシアのような高ランク求綻者どころではない、最高峰の異名持ちまでもがロベールに取り込まれている、ということになる。
レモーラの危惧している通り、想像以上の何事かが進行していると判断すべきだろうか。
「あれが傑士の、異名持ちの動きか……クソッ、まともに反応すら……」
「落ち込むことはなくてよ。彼女は不明新生物の絡んだ訝すら短期間で何度も解決している、規格外の存在なのだから」
「だな。フェリアを一対一でどうにかしたけりゃ、竜か鬼人でも連れてこないと」
護衛としての職務を果たせずに落ち込んでいるカロンに、レモーラとシングが慰めの言葉をかける。
私も何かフォローを入れようかと思ったが、それをしても傷を深くするだけのような気がしたので、特に発言はしないでおいた。
「フェリアほどの人物が協会を見限るからには、ロベールの行動や目的にそこまでの理がある、ということなのか」
「お金で動くような方ではないですし……格別の事情が介在していると見ても、間違いはありませんわね」
考えを整頓しようと口にした言葉に、レモーラが同意してくる。
向こうのアプローチの感触からすると、私のことも仲間に引き入れようとの気配が濃厚だった。
レウスティ連合王国を代表する形で求綻者となっている、特殊すぎる立場であるこの私を味方につける交渉を行おうというのだ――相応の理由を用意しているのは想像に難くない。
とはいえ、その先を予測するには情報が不足している。
レモーラが乱入してくるまでは、連中に同行して懐に飛び込んでみることを考えていたのだが、こうも複雑な状況になると軽はずみな行動をせずに助かったようにも思える。
そんなことを考えつつ、半ば無意識に呟く。
「次は相手の出方を待つしかない、か……」
「そうでもなさそうですわよ」
独り言のつもりだったのに、レモーラからの即答が飛んできた。
どういうことだ、と問うべく怪訝な顔を向けると、彼女に代わってシングが答える。
「幹部連中や各国高官を招集しての大会議を近々開催しよう、って動きが協会内であるらしい」
「情報の出所は、個人的に面識がある協会幹部でしてよ。何故こんなタイミングで……と不思議だったのですけど、エリザベートの話を聞けば目的は明白ですわね」
主な議題は、第三管区で起きている諸々への対策、なのだろう。
もしかすると、ロベールへの弾劾なんかも企図されているかもしれない。
「会議の前に動きを見せるか、参加者が集まるのに合わせて仕掛けてくるか……」
「どちらにせよ、わたくし達は薄暗い陰謀を粉砕するのみ、ですわ」
そうなるだろうと予想はしていたが、やはりレモーラも全力でこの件に関わってくるつもりらしい。
静かに溜息を漏らした私に、シングが同情を込めた視線を送ってくる。
これでもう、この件が穏便に秘密裏に解決される、という可能性は消滅した。
その一方で、解決できる可能性も劇的に高まったと言える――結果がどんなものになるかはさて措いて。




