067 闖入
必要以上に整えられた庭を抜け、裏門に通じているであろう石畳を歩く。
いつものブーツではない、ドレスに合わせた踵の高い靴が硬質の音を立てる。
もし本格的な荒事になるようだったら、裸足で動き回るハメになりそうだ。
そんなことを考えつつ進んでいると、闇の中に明かりが丸く浮いているのが見えた。
普通のランプの火とは異なる、月の光に似た青白い不思議な明かり。
それを手にしているのは、フードを深くかぶったローブ姿の人物だ。
身長は五シャク五スン(百六十五センチ)の私より、少し高いくらいか。
年齢や性別や体格は、この距離からはわからない。
歩調を遅くして周囲を警戒しつつ、暗色のローブを着た何者かに近付いていく。
「あなたが、招待状の差出人かな」
「の、ようなもの」
問いかけると、不明瞭な答えが返ってきた。
女性のようにも少年のようにも聴こえる、くぐもった声だ。
その背後に広がった闇の中で、複数の気配が膨らむ。
やはり罠だったか――カロンは無事だろうか。
「それで……真実とは?」
「知りたければ、同行を」
目を凝らすと、開け放たれた裏門の向こうに、幌馬車らしきシルエットが見えた。
ある程度までの罠ならば、強引に噛み破ってしまえる自信はある。
しかし、現状では相手の得体が知れなすぎて、身柄を預けるのは危険だ。
ローブの人影も、動きが緩慢なようでいて隙はまるでない。
先日退治した討訝志士団の連中などとは、明らかにモノが違う。
「随分と勿体ぶってくれる。そこまで大層な話なのか」
「こちらにとっても、そちらにとっても、重要」
深々とかぶったフードの下から、訥々(とつとつ)と言葉が紡がれる。
興味は深まるが、それでもやはり危機感の方が強い。
そろそろ次の手を選ばなければ、状況はますます不安定になりそうだ。
全力で逃げるか、踏み込んだ話をするか、一当たりしてみるか。
一対一でも危うげな雰囲気なのに、背後にも五人は控えていそうなのが問題だ。
冷や汗が一筋、ゆっくりと背中を伝う。
腰を落としてナイフに手を伸ばそうとしたところで、不意に闇の中から一人が進み出てローブの人物の前で立ち止まる。
目の周りを覆うマスクをつけているが、服装と髪型からして明らかにアレクシア・メルヴィルだ。
マスク越しにもわかる艶然とした笑みを浮かべ、アレクシアは静かな――それでいてよく通る声で告げてくる。
「危害を加えるつもりならば、こんな真似はせずに刺客を送ります」
「ふむ……それも道理だ」
確かに、ディスターを伴わずカロンも欠いている現状では、本気の暗殺を仕掛けられれば避けられそうもない。
納得した私は戦闘体勢を解き、アレクシアの話に耳を傾ける態度を見せる。
それと同時に、周辺に漂っていた殺気のようなものも薄まった。
「エリザベート様と我々は、恐らく志を同じくしております。一見すると正反対の立場でありながら、本質的には一つの真実を表と裏から掴もうとしているのではないかと」
「迂遠な物言いだな。もっと単純な言葉を使うがいい」
「求綻者が目指すのは、『綻び』の正体を突き止め、この世界を滅びから救うこと」
「ああ」
「そこを我らは疑っています。いえ、正しくは求綻者を統括する抗訝協会の在り様に疑いを抱いている、でしょうか」
誰もが荒廃する世界への焦りを感じているのに、それを解決する役目を担っているはずの協会は、結果らしい結果を何も出せていない。
既に百年以上の時を費やし、多数の人員と多額の資金を注ぎ込んでいるのに、未だに綻びの片鱗にすら辿り着けないでいる、
表立った批判や批難こそ行われないものの、協会に対し冷たい目を向けている人々は、今では結構な数に上ると予想される。
「あなたの立場なら、協会が秘匿している物事に触れることもあるでしょう」
「……かも知れぬ」
アレクシアの言葉は事実だったが、全肯定は避ける形で答える。
協会の成り立ちや共鳴のシステムなど、表に出ていない話のいくつかを知っているが、これらは私が王族だったから触れられた情報だ。
「協会の隠蔽体質は深刻です。各国政府の首脳にすらまともに伝えられず、最高幹部である管区長にも伏せたままの情報を、協会は山と抱え込んでいます……総帥と副総帥とその側近のみが知った段階で極秘資料とされ、そのまま世に出ないものを」
「何もかもをオープンにするのは、それはそれで問題がありそうだが」
「全てを曝け出せ、と言うのではありません。協会にとって有害と判断すれば、どれだけ重要な情報でも平然と握り潰す、そんなスタンスを捨て置けないだけです」
「ふむ」
「このままでは、遠からず世界は滅ぶ……なのに協会は、知識と情報を自らに集中させ、特権的な地位を守ることしか考えていない。ならばどうするか、という問いへの答えが我々の行動です」
こちらとしても疑っていた状況ではあるが、内部事情を知悉しているであろう人物の口から語られると、やはり重みが違う。
ロベールとの話では、改革の意志は感じられてもその方向性が見えなかったが、もしやクーデターを起こすつもりなのではないか。
アレクシアの発言からは、そんな予感を漂わせた強硬さが窺える。
「それで、私に何をさせたいのだ」
「むしろ今は、何もしないでいただきたいのです」
「それはつまり、これからロベールのやることを静観しろ、と?」
「端的に言えば、そうなります。何が起こるのかを見て、それから態度を決めるのでも遅くはありません」
協会に対する疑念や不信は拭いようもないが、だからといってロベールやこいつらを信用できるかどうか、となるとそれは別問題だ。
それなりの大義を奉じての行動なのは、おそらく間違いない。
しかし、目的のためならば手段を選ばず犠牲も厭わないことを予想させる、過度の峻厳さは安易な肩入れを躊躇わせる。
「そちらの申し出を拒絶したら?」
「お互いに、困ったことになります」
「ならば――」
「ふぅうっ? ぅげぁ」
場の雰囲気が一気に緊張に傾いたところで、貪婪蝦を殴ったような奇妙な声が暗闇から響く。
その後に、聞き覚えのある華やかな高笑いと、重量のある何かが石壁に叩きつけられた音が続いた。
「わたくしの妹を誘うにしては、ちょっとばかり無粋で物騒ですわね」
「誰が妹か!」
現れたのは当然ながら姉ではなく、遠い親戚である私を妹分と一方的に認定している、バレガタン公国の大貴族アレアゼ伯爵家令嬢にして錬士のランクを持つ求綻者、絢爛姫ことレモーラ・ド・アレアゼ。
良くも悪くも有名人で、協会の公式ではないが異名で呼ばれているほどの存在だ。
煌びやかなドレス姿なので、いつもの大斧はさすがに持っていないが、どこからか調達してきた長柄のハンマーを担いでいた。




