060 『また、戦争が始まるのか』
常識を外れた杖の重量に、ヒトの枠から外れたファズの膂力が加算された重い一撃。
必殺の威力があるはずのそれは、またしても軽々とフランに弾かれる。
続けて二回三回と様々な方向から間断なく打ち込まれるが、全て躱されるか受け流されて有効打を与えることができない。
それにしても、この状況で折れも欠けもしないサーベルはどんな特殊な材質なのか。
あるいは特殊でも何でもなく、衝撃を逃がしているフランの剣技が想像を絶するレベルなのか。
「あっは、連続攻撃の組み立ても上手いねぇ。鬼人の基本性能さえあれば、ここまで動けるのかい」
嬉しげな笑い声を上げるフランだが、そこにあるのは単純な歓喜とは異なるものに思える。
それが何なのかは明確な形にしづらいのだが、ファズ個人ではなく彼女を構成している要素――鬼人であるとか、少女であるとか、金属杖を武器にしているとか、そうした物事に対する興味しかないような、そんなズレが感じられた。
「もっと他に芸はないのかい、鬼娘ちゃん?」
怒涛の連撃を危なげなく捌き切ったフランは、呼吸を整えようと数間の距離を取ったファズに対し、大胆に踏み込んで行く。
薄笑いを浮かべながら不可解な軌道でサーベルを操り、尋常じゃない高速で斬撃と刺突を織り交ぜてくるフランに、ファズは防戦一方となっている。
本当なら俺も参戦してファズを助けるべきなんだろうが、この二人の戦いにどんなタイミングで割って入ればいいのか。
『心配ない』
ホントかよ――完全に息、上がってるぞ。
『最近、運動不足だった』
わけのわからん嘘をつくな!
無言でそんな対話を交わしながら、ファズはフランを相手に比喩表現ではなく火花を散らしている。
話している余裕もあるのだし、見た目ほどには追い込まれていないようだ。
しかし反撃に転じようにも、フランにそれを許す隙はないように思える。
手数の多さにも驚かされるが、太刀筋の自在さと反応速度の異様さは比べるべき対象が見当たらない。
攻撃を防ぐばかりではなく、不意に腰を落として低い体勢からの足払いを試みたり、道に転がる石塊を蹴り上げて牽制したりと、ファズはかなり変則的な動きを織り交ぜているのだが、フランは危なげなく片っ端からそれを往なしていた。
ファズとフラン、二人の間にどれほどの力量差があるのか。
紙一重の僅差なのか、大幅に引き離されているのか、俺にはそこまで読み取れない。
それでも、現時点ではフランが上回っているのを否定しようがなかった。
甲高い金属音が断続的に鳴らされる中、少し違った鈍い音が大きく響く。
左斜め下から掬い上げるように放たれた、杖による一閃。
それをフランが受け損ねたのか、サーベルを握った手が弾かれていた。
半瞬の――いや四半瞬の隙を見逃さず、ファズは距離を詰めに飛び込む。
そして惜しげもなく臍を晒しているフランの腹部に、ファズの右膝が加減なく叩き込まれる。
俺にはそう見えた。
肋骨が数本まとめて折れる音まで聴こえた気がした。
しかし現実として目の前にあるのは、片手片膝を地面について項垂れたファズの首筋に、背後をとったフランがサーベルの刃をピタリと添えている光景だ。
何があったのか俺の理解を超えているが、フランさえその気だったなら恐らく、ファズの首筋は斬り裂かれていたに違いない。
「鬼娘ちゃんは強いよ……それは確かだ。だけど最初から強いと、何の努力もしなくても何も考えなくても勝てちまうからねぇ。そんな無意識の慢心が、こういう致命的な事態を招く」
フランが静かに語り始める――俯いたままのファズの表情は窺えない。
「あんたがそうであるように、規格外の存在ってのはいる。千に一つか万に一つ、だとしてもね。そんなのを相手にした時に大事なのは、『自分より強大な存在』を意識した鍛錬の有無なのさ。それと冷えた頭と醒めた心、かねぇ」
フランの物言いには勝者の驕りは感じられず、まるでカイヤット教官のような年少者に教え諭そうとする気配が滲んでいた。
避けられる戦闘に敢えて踏み込んだ軽挙に対し、軽く叱っておこうとの雰囲気すらある。
困惑しながら状況の推移を見守っていると、フランはこちらを見ずに話しかけてくる。
「ねぇ、リムちゃん」
「は……ん、何だ」
相手のデタラメな能力を見せ付けられ、つい「はい」と丁寧に応じてしまいそうになるが、何となくプライドが邪魔したのでいつも通りに応じておく。
そんなこちらの心理状態を察知してか、フランは苦笑混じりに話を続ける。
「キミらは、真の意味での求綻者になれるかも知れない。だから考えるんだよ……さっきも言ったけどね」
「考える……」
「世界の在り方を裏まで見て、人々の話を真摯に聞いて、自分が何をするべきかを知って、今まで教えられた常識を疑うのさ。そうすれば、自然と進むべき道は見えてくる」
物騒な絵面にそぐわない穏やかな顔と声でもって、フランは語りかけてくる。
この人が愚者火の悪名を有した由来がどんなものなのか、まるで想像がつかない。
だが微笑に時々混じる眼光の鋭さからして、協会や国家や世界を否定するだけの動機というのが、彼女の中には確固としてあるのだろう。
「まぁ、どうせすぐまた会えるさ。進む先が正道でも邪道でもね……ああそうだ、最後にもう一つ」
「なっ、何だ」
ファズから離れ、サーベルを鞘に収めたフランに訊き返すと、ついさっきまで命の遣り取りをしていたとは思えない、柔らかな微笑がこちらに向けられる。
「アーグラシア。あの国の今を見ておくといいよ。きっと、全てはあそこから始まる」
「……また、戦争が始まるのか」
「どうだろうねぇ。少なくとも、あたしらが起こそうとしてるんじゃない。ああいうのはね、やりたくて仕方ない連中がいて、やらなくちゃならない事情があって、やるしかない環境が整えられてから始まるんだ。戦争も、内戦も、大戦もね」
相変わらずの軽い口調ではあるが、嘘をついている様子はなかった。
それにしても、アーグラシアに関してはこの数年いい噂をまったく聞かないのだが、一体どうなっているのだろう。
預言者めいた言葉を反芻していると、いつの間にかフランは姿を消していた。
去り際にファズが再戦を要求するのではないかと警戒していたが、さっきと同じ姿勢で固まったままだ。
どう声をかけていいのかわからないので、ファズが立ち上がるのを待つ。
そのまま数分待ってみるが、微動だにせずに顔を伏せている。
もしかして気絶しているのか――と肩に触れようとした瞬間、不意に身を起こしたファズに伸ばした手をギュッと掴まれた。
「うおっ! おい、大丈夫かファ――」
「次は、負けない」
「お、おぅ……って、え? いや、あれ?」
普通に喋れたのかよ、とツッコミたいのは山々だった。
だが、このタイミングでそれを口にするのも違う気がしたので、何となく流しておいた。
癖も訛りもない、綺麗な共用語。
頭の中に聴こえていた声と似ている印象だが、発音された方が耳に馴染む感があった。
「……で、どう報告すればいいかな、今回の件」
地上への階段を上りながら、前を行くファズに訊いてみる。
発光現象の正体として、入口にあったランプと月光璃は持ち出したが、ヴィーヴルの存在を証明するものは全て消されてしまった。
この場所に案内しても、怪しげな何事かが行われていたのは伝えられるだろうが、そこで終わってしまうように思われる。
「カイヤットに任せれば、きっと大丈夫」
振り返らずにファズが言う。
どことなく喋りが抑揚に乏しい気がするのは、声を出して会話するのに慣れていないせいだろうか。
「余計な分析はいらない」
「ああ……すまん」
何にせよ、教官には今回の検訝について相談しておく必要がありそうだし、ファズの言葉に従うことにしよう。
それにしても、あのフランという女は一体何者なのか。
悪名を背負い求綻者の資格を失っているのに共鳴を起こしていて、そのレゾナはアート――人工生物『アーティファクト』だという。
そして異様な戦闘能力と、恐らくは強大な組織力が背景にある。
「あれは、普通じゃない」
「……だな」
振り返らずに言うファズに、同意の言葉を短く返す。
得体が知れないにも程があるフランには、ファズによる雑なまとめが相応しく感じられた。
そして、かなり地上も近付いて来た辺りで、俺は訊きづらいが捨て置けない話を切り出してみる。
「ところで、ファズ。後で説明するって言ってたビンの中のアレ……何だったんだ」
「……壊したビンの中身は、胎児の死体。緑色の肌の」
緑の肌、ということは緑人だろうか。
正確な意図は分からないが、とにかく良からぬ企みを察知して背筋に寒気を感じていると、ファズが吐き出すように言葉を続けた。
「それと……解剖された赤ん坊。角がある、青い髪の男の子」
「――っ! それは」
鬼人は幼児期までは頭に角がある、という話を聞いたことがある。
つまりあの研究所とやらは、鬼人までも実験材料にしていたのか。
亜人や鬼人を切り刻み、竜に似た大型生物を創造する。
フランの目的は不明だが、その禍々(まがまが)しさだけはウンザリするほどに痛感できた。
「流石は悪名持ちだな……」
吐き捨てるように言うと、ファズも同感なのか首を縦に振った。
程無くして、開いたままの隠し扉が見えてきた。
不安と心配と疑問は山積みだが、まずは初検訝を終えた祝杯を挙げよう。
確か、この辺りはリンゴを使った甘い酒が名物だったはず――
と、思い出したところでファズが階段を二段飛ばしで駆け上がって行く。
「何をしている。早くそれを飲める店に行くぞ」
「はいはい」
洞穴から外に出ると夜は既に白んでいて、木々の隙間からは薄曇りの空が見える。
そんなありふれた光景が何とも嬉しくて、俺はファズの軽い足取りを小走りに追いかけていった。




