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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第6章 (リム 鐘後217年6月)

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058 徽章

『これを』

「ああ……ぬおっ、とぉ」


 何気なく差し出された金属杖を受け取ろうとするが、信じ難い重量に思わずつんのめる。

 下手をしたら持ち主のファズよりも重いんじゃないか――というか、材質は何なんだコレ。

 戸惑う俺に構わず、ファズは四キン(二十キロ)はありそうな壁の破片を片手でヒョイと拾い、小石を投げるようなフォームで放った。


 自分に向かって高速で飛来する物体を察知したヴィーヴルは、右足裏で受け流すようにして弾く。

 石畳に転がった石塊が騒音を鳴らす中、間髪を入れずに先程と似たようなサイズの破片が投げられる。

 それは、軸足になっていて動かせないヴィーヴルの左膝に激突し、鈍い破砕音を響き渡らせた。


 ヴィーヴルの表情は変わらないが、歩みは止まった。

 更に続けてもう一つが飛び、それは左脛へとぶつかって四散する。

 ファズがまた新たな石を拾うと、ヴィーヴルは無言で激しく首を振り、素早く羽ばたいて上空へと舞い上がった。

 明らかに、足への攻撃を嫌がっての反応と思われる。


『リム、杖を』

「おう! ……いやゴメン、無理だ」


 持ち上げて投げ渡そうとした瞬間、肩と肘から盛大に骨と筋肉がきしむ音がした。

 自分の体が発した警告を素直に受け入れ、俺は杖を引きずって行ってから手渡す。

 それを握り締めたファズは近くの壁へと跳び乗ると、半端な高度で滞空するヴィーヴルを見据えた。


 そのまま数十秒、ヴィーヴルが急に降下しての攻撃を狙った態勢へと転じる。

 予想の通り、長時間の滞空には耐えられない様子だ。

 ファズを踏み潰そうとする動きだが、足を使おうとはせずに、尻から体全体で圧し掛かろうとしている。


 やはり、足へのダメージを避けたがっているのは明らかだ。

 建物が破壊されて舞い上がった煙塵えんじんで、何が起きているかは見えない。

 だが大きな打撃音の後、ファズが煙の中から小走りに脱してきたことから察するに、相手の攻撃は失敗してコチラの反撃が成功したようだ。


 ファズを追って、ヴィーヴルもその姿を現す。

 左足を引きずっている――どうやらファズは決定打を食らわせたらしい。

 体勢を右に傾かせたヴィーヴルの顎門に、紅々とした炎が湧き上がっている。


「後ろからっ!」


 火球が飛ぶ、と言わなくても全ては伝わったはずだ。

 なのにファズは、きびすを返してヴィーヴルに向け疾走する。


「ちょっ、何を――」


 悲鳴にも似た声が漏れるが、ファズは無反応のまま加速。

 予想外の挙動にヴィーヴルも慌てたか、炎はロクに狙いも定めずに吐き出される。

 ファズは高速で高熱の球体を伏せて回避すると、素早く身を起こして石畳を蹴った。

 火を吐く、という生物に不必要な行動も体に結構な負荷をかけているのか、ヴィーヴルは黒煙混じりの荒い呼吸を繰り返すばかりで、その場から動かない。


 いや、動けないのか。

 構わず肉薄したファズは、「フッ」と強く息を吐きながら左膝に狙いを定める。

 薄明かりの中で銀色の弧を描いた一撃は、ヴィーヴルの巨体をくずおれさせた。


『勝った』


 珍しく、弾んだような調子の言葉が伝わってくる。

 そしてトドメを刺そうとファズが近付いた瞬間、崩れ伏してもがいていたヴィーヴルが、信じ難い反応速度で首をもたげて噛み付いた。

 ファズの上半身がヴィーヴルの口中に消え、何拍か後に溢れる鮮血が下半身を染めた。


「ぅあ……そんな……」


 まさかの展開に、頭が真っ白になり、直視できずに目を逸らす。

 だが、その空白地帯にファズの声が響く。


『勝った、と言った』


 ヴィーヴルに視線を戻すと、白目を剥いて激しく痙攣けいれんしている。

 ファズの武器である杖がその後頭部を貫き、石突が血と漿液しょうえきに塗れていた。

 どんなに硬い鱗に身を固めた生物でも、喉の奥までは無防備だったようだ。


 グヌヂャッ、という濁った音を立てて顎が抉じ開けられ、その中から血と唾液に塗れたファズが姿を現した。

 流石に無傷とはいかなかったようで、手や顔に幾つもの裂傷や擦傷が見える。

 服も赤黒いシミと鉤裂かぎざきだらけで、何とも酷い有様だ。

 青い髪も、血の色と混ざって奇怪な斑模様に染まっている。


『最初から、こうしとけば良かったか』

「そうだな……って、今の方法で倒せるって気付いてたのかよ」


 愕然としながら訊けば、当然だろうと言わんばかりにファズが頷く。

 笑っていいのか怒っていいのか、ちょっとわからなくなりかけたが、苦戦したことがないせいで弱点を狙うという発想がなかった、という可能性に思い至って苦笑する。


「ともあれ、始末できて何よりだ」

『そうだな』


 流石に疲れが出たようで、ファズはその辺に転がっていた岩に腰を下ろした。

 ファズにはそのまま休んでもらうことにして、俺が一人でヴィーヴルの死体を調べてみる。

 死んだばかりだというのに、もう体が冷たい。

 見た目の通り、ヘビやトカゲと似た構造の体なのか。

 或いは、そういう生き物を材料にして造られたのか。


 考えがまとまらないまま、致命傷となったであろう頭の傷を確認する。

 噴火口のようなグズグズの裂傷からは、未だに各種体液が漏れて流れていた。

 砕けた頭蓋骨は、パッと見で二スン(六センチ)以上の厚みがある。

 槍ではなく杖でこれを突き破るとは、つくづく規格外な怪力だ。

 詳しく観察しようと傷口の周りを拭うと、奇妙なものが目に入った。


「これは……徽章バッジか? いやでも、まさか」


 そこには、炎を意匠化したような印が浮き出ていた。

 それは、共鳴を起こした求綻者とレゾナに現れる求綻紋ぐたんもん――徽章バッジ首輪カラーとも呼ばれている、独特の紋様によく似ていた。

 印の意味を考えていると、いつの間にかファズが隣に来ている。


「まぁファズ、こいつをどう思う?」

『レゾナだ』


 思いがけず即答だった。

 同じレゾナだからこそわかる、みたいな事情もあるのかも知れない。

 普通に考えるなら、ヴィーヴルが共鳴を起こした相手はフランだ。

 しかし彼女は、自分を悪名持ちの元求綻者だと名乗っていた。

 これは一体、どういうことだ――

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