058 徽章
『これを』
「ああ……ぬおっ、とぉ」
何気なく差し出された金属杖を受け取ろうとするが、信じ難い重量に思わずつんのめる。
下手をしたら持ち主のファズよりも重いんじゃないか――というか、材質は何なんだコレ。
戸惑う俺に構わず、ファズは四キン(二十キロ)はありそうな壁の破片を片手でヒョイと拾い、小石を投げるようなフォームで放った。
自分に向かって高速で飛来する物体を察知したヴィーヴルは、右足裏で受け流すようにして弾く。
石畳に転がった石塊が騒音を鳴らす中、間髪を入れずに先程と似たようなサイズの破片が投げられる。
それは、軸足になっていて動かせないヴィーヴルの左膝に激突し、鈍い破砕音を響き渡らせた。
ヴィーヴルの表情は変わらないが、歩みは止まった。
更に続けてもう一つが飛び、それは左脛へとぶつかって四散する。
ファズがまた新たな石を拾うと、ヴィーヴルは無言で激しく首を振り、素早く羽ばたいて上空へと舞い上がった。
明らかに、足への攻撃を嫌がっての反応と思われる。
『リム、杖を』
「おう! ……いやゴメン、無理だ」
持ち上げて投げ渡そうとした瞬間、肩と肘から盛大に骨と筋肉が軋む音がした。
自分の体が発した警告を素直に受け入れ、俺は杖を引きずって行ってから手渡す。
それを握り締めたファズは近くの壁へと跳び乗ると、半端な高度で滞空するヴィーヴルを見据えた。
そのまま数十秒、ヴィーヴルが急に降下しての攻撃を狙った態勢へと転じる。
予想の通り、長時間の滞空には耐えられない様子だ。
ファズを踏み潰そうとする動きだが、足を使おうとはせずに、尻から体全体で圧し掛かろうとしている。
やはり、足へのダメージを避けたがっているのは明らかだ。
建物が破壊されて舞い上がった煙塵で、何が起きているかは見えない。
だが大きな打撃音の後、ファズが煙の中から小走りに脱してきたことから察するに、相手の攻撃は失敗してコチラの反撃が成功したようだ。
ファズを追って、ヴィーヴルもその姿を現す。
左足を引きずっている――どうやらファズは決定打を食らわせたらしい。
体勢を右に傾かせたヴィーヴルの顎門に、紅々とした炎が湧き上がっている。
「後ろからっ!」
火球が飛ぶ、と言わなくても全ては伝わったはずだ。
なのにファズは、踵を返してヴィーヴルに向け疾走する。
「ちょっ、何を――」
悲鳴にも似た声が漏れるが、ファズは無反応のまま加速。
予想外の挙動にヴィーヴルも慌てたか、炎はロクに狙いも定めずに吐き出される。
ファズは高速で高熱の球体を伏せて回避すると、素早く身を起こして石畳を蹴った。
火を吐く、という生物に不必要な行動も体に結構な負荷をかけているのか、ヴィーヴルは黒煙混じりの荒い呼吸を繰り返すばかりで、その場から動かない。
いや、動けないのか。
構わず肉薄したファズは、「フッ」と強く息を吐きながら左膝に狙いを定める。
薄明かりの中で銀色の弧を描いた一撃は、ヴィーヴルの巨体を頽れさせた。
『勝った』
珍しく、弾んだような調子の言葉が伝わってくる。
そしてトドメを刺そうとファズが近付いた瞬間、崩れ伏してもがいていたヴィーヴルが、信じ難い反応速度で首を擡げて噛み付いた。
ファズの上半身がヴィーヴルの口中に消え、何拍か後に溢れる鮮血が下半身を染めた。
「ぅあ……そんな……」
まさかの展開に、頭が真っ白になり、直視できずに目を逸らす。
だが、その空白地帯にファズの声が響く。
『勝った、と言った』
ヴィーヴルに視線を戻すと、白目を剥いて激しく痙攣している。
ファズの武器である杖がその後頭部を貫き、石突が血と漿液に塗れていた。
どんなに硬い鱗に身を固めた生物でも、喉の奥までは無防備だったようだ。
グヌヂャッ、という濁った音を立てて顎が抉じ開けられ、その中から血と唾液に塗れたファズが姿を現した。
流石に無傷とはいかなかったようで、手や顔に幾つもの裂傷や擦傷が見える。
服も赤黒いシミと鉤裂きだらけで、何とも酷い有様だ。
青い髪も、血の色と混ざって奇怪な斑模様に染まっている。
『最初から、こうしとけば良かったか』
「そうだな……って、今の方法で倒せるって気付いてたのかよ」
愕然としながら訊けば、当然だろうと言わんばかりにファズが頷く。
笑っていいのか怒っていいのか、ちょっとわからなくなりかけたが、苦戦したことがないせいで弱点を狙うという発想がなかった、という可能性に思い至って苦笑する。
「ともあれ、始末できて何よりだ」
『そうだな』
流石に疲れが出たようで、ファズはその辺に転がっていた岩に腰を下ろした。
ファズにはそのまま休んでもらうことにして、俺が一人でヴィーヴルの死体を調べてみる。
死んだばかりだというのに、もう体が冷たい。
見た目の通り、ヘビやトカゲと似た構造の体なのか。
或いは、そういう生き物を材料にして造られたのか。
考えがまとまらないまま、致命傷となったであろう頭の傷を確認する。
噴火口のようなグズグズの裂傷からは、未だに各種体液が漏れて流れていた。
砕けた頭蓋骨は、パッと見で二スン(六センチ)以上の厚みがある。
槍ではなく杖でこれを突き破るとは、つくづく規格外な怪力だ。
詳しく観察しようと傷口の周りを拭うと、奇妙なものが目に入った。
「これは……徽章か? いやでも、まさか」
そこには、炎を意匠化したような印が浮き出ていた。
それは、共鳴を起こした求綻者とレゾナに現れる求綻紋――徽章や首輪とも呼ばれている、独特の紋様によく似ていた。
印の意味を考えていると、いつの間にかファズが隣に来ている。
「まぁファズ、こいつをどう思う?」
『レゾナだ』
思いがけず即答だった。
同じレゾナだからこそわかる、みたいな事情もあるのかも知れない。
普通に考えるなら、ヴィーヴルが共鳴を起こした相手はフランだ。
しかし彼女は、自分を悪名持ちの元求綻者だと名乗っていた。
これは一体、どういうことだ――




