057 看破
鬼人が渾身の力で振り抜いた、金属の塊による一撃。
そんなものを顔面で受け止めたのに、ヴィーヴルは唸り声すら上げない。
ひょっとすると、痛みを感じていないのだろうか。
もしかして、ファズの攻撃が全く効いていないのか。
そもそも、こんな巨大な怪物を相手にするなんてのが――
『落ち着け、リム』
着地してから腹部に追撃の突きを入れ、その反動で後ろに下がってヴィーヴルと距離をとりながら、ファズが思念を飛ばしてくる。
『こいつはずっと、鳴きも吼えもしてない。多分、声がない』
思い返してみれば確かに、足音と羽ばたきの音と着地音、それから火球の発射音しか耳にしていない。
口の辺りを観察していると、牙の数本が欠け飛んでいるのに気付く。
わかりづらいが、こちらの攻撃は確実にダメージを蓄積させている。
攻勢を続けるにはナイフの本数が心許ないし、弾かれたのを回収して再利用するか――
そんな検討をしていると、頭の中に不吉な声が響いた。
『しまった』
ほぼ同時に目の前を何かが横切り、数瞬後に鈍い衝突音が聞こえる。
体を浮かせながら退いたヴィーヴルに合わせ、ファズは地面を蹴って前方に跳んだ。
だが、ヴィーヴルの後退がカウンターを狙ってのフェイントだったらしく、空中でモロに蹴りを食らうハメになったようだ。
「ぉおっ?」
怪物丸出しな相手が繰り出したまさかの頭脳プレーに、思わず変な声が出てしまう。
羽ばたきでブレーキをかけながら着地したヴィーヴルは、こちらを一顧だにせず、壁へと蹴り飛ばしたファズに近付いて行く。
「べほっ、ぶはっ――」
ファズの湿った咳き込みが聞こえる。
意識はある様子だが、すぐには動けないみたいだ。
どうにかして、ヴィーヴルの注意をこちらに向けねば。
「はぁうぬぉああああああああああああああっ!」
俺は屋根から飛び降りると、最大音量で奇声を上げながら駆ける。
勝利を確信しているのか、ヴィーヴルは悠然とした足取りでもって、へたり込んだままのファズへと徐々に近付く。
その背後から、膝の裏や翼の付け根といった、少しでも柔らかそうな場所を狙ってナイフを投げるが、どうしても刃が通らない。
「止ぉおおおおおまぁあああああああぁるぇえええええええっ!」
叫びながら腰のカトラスを抜き放ち、体重を乗せて何度も何度も尻尾に突き立てる。
だが、これもダメだ。
浅く傷はつくのだが、深々と突き刺さるまで行かない。
何をしても、こちらに注意を向けることすらできない。
どうする。
どうすればいい。
どうやって止める。
そうだ、アレがあった。
教官から託された究鏖殺、こいつを使えばいくら巨大な怪物でも――
『待て』
ファズからの一言で、腰のバッグへと伸びかけた手を止める。
我に返って考えてみれば、こんなのを密閉空間で使ったら最後、敵も味方もまとめて全滅だ。
傍らに転がった杖を掴み、ファズが立ち上がった。
それから、プヘッと音を立てて赤い唾を吐き出す。
――まさか、内臓に深刻なダメージが。
『口の中が切れただけ』
振り回された杖が風を切る音と共に、ファズの言葉が伝わってくる。
普通なら瀕死の重傷は避けられないところだが、鬼人の頑丈さは普通じゃないようだ。
そんなファズの様子を見てか、ヴィーヴルの鈍い歩みも止まった。
お互いに相手が動くのを待っているのか、ファズとヴィーヴルは距離をとって睨み合う。
いや、睨むと表現するには熱量が足りないようにも思える。
感情の有無が定かでないヴィーヴルは勿論、ファズの方も無表情――というか、何やら少し眠たげだ。
もしかすると、疲れたせいで本気で眠くなっているのかも知れない。
ヴィーヴルが翼を大きく広げ、ファズが腰を落として身構える。
巻き込まれないように離れながら、俺はヴィーヴルを観察する。
口の端に炎の赤色をチラつかせながら、またも巨体を宙に浮かべていた。
翼で空を飛び。
口から火を吐き。
鱗は刃を通さない。
こんな生物が存在しているだけでも驚異なのに、フランはこれを人工生物と呼んだ。
これだけの大規模な施設だ、作り出したのがヴィーヴルだけということもないだろう。
自分達は一体、何と戦っているのか。
どんな目的でもって、何事を企んでいるのか。
求綻者として最初の検訝で、まさかこんな――
『怯えのニオイがする。死ぬぞ』
ファズからの警告が、素早く冷たく脳裏を撫でた。
嘘と怯えと怒りのニオイはわかりやすい、と言ってたか。
少し頭は冷えたが、まだ血が滾っている感覚が居残っている。
グッと歯を食い縛り、俺は右拳で自分の顔をブン殴った。
「がふっ!」
痛みと衝撃で萎えた心を奮い立たせようとしたのだが、思ったより強めに入ってしまった。
数秒してから、口腔を鉄錆の味が支配する。
『何してる』
呆れた感じをたっぷりと滲ませた言葉に、少なからず羞恥心を刺激される。
俺をそんな精神状態に追い込んでくれたファズは、腰を落とした姿勢で上方を見上げていた。
どうやら、相手が攻撃の挙動を見せた瞬間に仕掛けるつもりらしい。
その意図を悟ったか、火球を放つことも急降下攻撃を行うこともせず、ヴィーヴルは後方へと空中移動してから、羽ばたきの突風を撒き散らしつつ着地した。
その派手な移動っぷりを眺めていると、不意にある閃きが訪れた。
飛行能力を駆使した素早い動きだが、ヴィーヴルは着地の際はいつも落下速度を極端に緩めている。
思い返してみれば、滞空時間も毎回短かったような気がしなくもない。
そして歩行速度は、こちらを侮るかのようにゆったりしている。
つまり、ヴィーヴルは足が弱い。
弱いというか、二本足で支えるには体が重すぎるのだろう。
そしてあれだけ大きな翼でも、巨体を長時間浮かせられるだけの力はない。
運動能力に身体機能が追い付かず、過剰な負担をギリギリで支えているのではないか。
となると、見た目の印象ほどには、強靭な生物ではない可能性が高い。
『うん、試してみる。リムはこっちに』
俺の推論に頷いたファズから、そんな念が届く。
その指示に従って、急いでファズの近くへと駆ける。
ファズは、傍らの建物の壁を杖で殴った後、ヒビが入った所に蹴りを入れて破壊する。
そうやっていくつもの石塊を作ると、こちらにノロノロと接近してくるヴィーヴルに向き直った。




