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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第6章 (リム 鐘後217年6月)

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057 看破

 鬼人が渾身の力で振り抜いた、金属の塊による一撃。

 そんなものを顔面で受け止めたのに、ヴィーヴルは唸り声すら上げない。

 ひょっとすると、痛みを感じていないのだろうか。

 もしかして、ファズの攻撃が全く効いていないのか。

 そもそも、こんな巨大な怪物を相手にするなんてのが――


『落ち着け、リム』


 着地してから腹部に追撃の突きを入れ、その反動で後ろに下がってヴィーヴルと距離をとりながら、ファズが思念を飛ばしてくる。


『こいつはずっと、鳴きも吼えもしてない。多分、声がない』


 思い返してみれば確かに、足音と羽ばたきの音と着地音、それから火球の発射音しか耳にしていない。

 口の辺りを観察していると、牙の数本が欠け飛んでいるのに気付く。

 わかりづらいが、こちらの攻撃は確実にダメージを蓄積させている。

 攻勢を続けるにはナイフの本数が心許ないし、弾かれたのを回収して再利用するか――

 そんな検討をしていると、頭の中に不吉な声が響いた。


『しまった』


 ほぼ同時に目の前を何かが横切り、数瞬後に鈍い衝突音が聞こえる。

 体を浮かせながら退いたヴィーヴルに合わせ、ファズは地面を蹴って前方に跳んだ。

 だが、ヴィーヴルの後退がカウンターを狙ってのフェイントだったらしく、空中でモロに蹴りを食らうハメになったようだ。


「ぉおっ?」


 怪物丸出しな相手が繰り出したまさかの頭脳プレーに、思わず変な声が出てしまう。

 羽ばたきでブレーキをかけながら着地したヴィーヴルは、こちらを一顧いっこだにせず、壁へと蹴り飛ばしたファズに近付いて行く。


「べほっ、ぶはっ――」


 ファズの湿った咳き込みが聞こえる。

 意識はある様子だが、すぐには動けないみたいだ。

 どうにかして、ヴィーヴルの注意をこちらに向けねば。


「はぁうぬぉああああああああああああああっ!」


 俺は屋根から飛び降りると、最大音量で奇声を上げながら駆ける。

 勝利を確信しているのか、ヴィーヴルは悠然とした足取りでもって、へたり込んだままのファズへと徐々に近付く。

 その背後から、膝の裏や翼の付け根といった、少しでも柔らかそうな場所を狙ってナイフを投げるが、どうしても刃が通らない。


「止ぉおおおおおまぁあああああああぁるぇえええええええっ!」


 叫びながら腰のカトラスを抜き放ち、体重を乗せて何度も何度も尻尾に突き立てる。

 だが、これもダメだ。

 浅く傷はつくのだが、深々と突き刺さるまで行かない。

 何をしても、こちらに注意を向けることすらできない。


 どうする。

 どうすればいい。

 どうやって止める。

 そうだ、アレがあった。

 教官から託された究鏖殺みなごろし、こいつを使えばいくら巨大な怪物でも――


『待て』


 ファズからの一言で、腰のバッグへと伸びかけた手を止める。

 我に返って考えてみれば、こんなのを密閉空間で使ったら最後、敵も味方もまとめて全滅だ。

 かたわらに転がった杖を掴み、ファズが立ち上がった。

 それから、プヘッと音を立てて赤い唾を吐き出す。

 ――まさか、内臓に深刻なダメージが。


『口の中が切れただけ』


 振り回された杖が風を切る音と共に、ファズの言葉が伝わってくる。

 普通なら瀕死の重傷は避けられないところだが、鬼人の頑丈さは普通じゃないようだ。

 そんなファズの様子を見てか、ヴィーヴルの鈍い歩みも止まった。


 お互いに相手が動くのを待っているのか、ファズとヴィーヴルは距離をとって睨み合う。

 いや、睨むと表現するには熱量が足りないようにも思える。

 感情の有無が定かでないヴィーヴルは勿論、ファズの方も無表情――というか、何やら少し眠たげだ。

 もしかすると、疲れたせいで本気で眠くなっているのかも知れない。


 ヴィーヴルが翼を大きく広げ、ファズが腰を落として身構える。

 巻き込まれないように離れながら、俺はヴィーヴルを観察する。

 口の端に炎の赤色をチラつかせながら、またも巨体を宙に浮かべていた。


 翼で空を飛び。

 口から火を吐き。

 鱗は刃を通さない。


 こんな生物が存在しているだけでも驚異なのに、フランはこれを人工生物と呼んだ。

 これだけの大規模な施設だ、作り出したのがヴィーヴルだけということもないだろう。

 自分達は一体、何と戦っているのか。

 どんな目的でもって、何事を企んでいるのか。

 求綻者として最初の検訝で、まさかこんな――


『怯えのニオイがする。死ぬぞ』


 ファズからの警告が、素早く冷たく脳裏を撫でた。

 嘘と怯えと怒りのニオイはわかりやすい、と言ってたか。

 少し頭は冷えたが、まだ血がたぎっている感覚が居残っている。

 グッと歯を食い縛り、俺は右拳で自分の顔をブン殴った。


「がふっ!」


 痛みと衝撃で萎えた心を奮い立たせようとしたのだが、思ったより強めに入ってしまった。

 数秒してから、口腔を鉄錆てつさびの味が支配する。


『何してる』


 呆れた感じをたっぷりと滲ませた言葉に、少なからず羞恥心を刺激される。

 俺をそんな精神状態に追い込んでくれたファズは、腰を落とした姿勢で上方を見上げていた。

 どうやら、相手が攻撃の挙動を見せた瞬間に仕掛けるつもりらしい。

 その意図を悟ったか、火球を放つことも急降下攻撃を行うこともせず、ヴィーヴルは後方へと空中移動してから、羽ばたきの突風を撒き散らしつつ着地した。


 その派手な移動っぷりを眺めていると、不意にある閃きが訪れた。 

 飛行能力を駆使した素早い動きだが、ヴィーヴルは着地の際はいつも落下速度を極端に緩めている。

 思い返してみれば、滞空時間も毎回短かったような気がしなくもない。

 そして歩行速度は、こちらを侮るかのようにゆったりしている。


 つまり、ヴィーヴルは足が弱い。

 弱いというか、二本足で支えるには体が重すぎるのだろう。

 そしてあれだけ大きな翼でも、巨体を長時間浮かせられるだけの力はない。

 運動能力に身体機能が追い付かず、過剰な負担をギリギリで支えているのではないか。

 となると、見た目の印象ほどには、強靭きょうじんな生物ではない可能性が高い。


『うん、試してみる。リムはこっちに』


 俺の推論に頷いたファズから、そんな念が届く。

 その指示に従って、急いでファズの近くへと駆ける。

 ファズは、傍らの建物の壁を杖で殴った後、ヒビが入った所に蹴りを入れて破壊する。

 そうやっていくつもの石塊を作ると、こちらにノロノロと接近してくるヴィーヴルに向き直った。

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