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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第6章 (リム 鐘後217年6月)

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054 傾城

 俺が捜しているのを察知してか、ファズはすぐ近くにある建物の入口前に佇んでいた。

 杖を強く握り締めながら、天井からの明かりが届かずに闇が濃い通路の先を見つめている。

 引き続き不機嫌そうな気配を漂わせているファズだが、さっきまでとは少し異なるニュアンスが混ざっているようにも思えた。

 なので、言葉に出して訊ねてみる。


「……気になることでも?」

『変なニオイがする』


 ――変なニオイ。

 それは確か、初対面時の俺から感じ取ったものを評する時に使われた表現、だったはずだ。


『違う。リムには似てない』

「そ、そうか。変って、それはどういう感じに?」

『厭な感じ、とは違う。だけど、落ち着かない』


 ファズがここまで警戒心をあらわにしている姿は、初めて見るような気がする。

 不意にそんなニオイがしてきたということは、何者かがこの地下空洞に降りてきたのか。

 偶然こんな場所に迷い込む、なんて酔狂な奴はまずいないだろう。

 もし誰かが入り込んでいるとすれば、求綻者かこの施設の関係者って可能性が高い。


「その……ニオイの元は一つ?」

『ややこしいけど、多分』


 よく分からない表現が出てきた。

 ややこしい、というのは複数の気配が混濁しているような状態だろうか。

 ちょっと想像してみたものの、どうにも感覚が掴めない。


「近くにいるのか」

『わからない。でも、ニオイは強い』


 ファズからの返事に、少なからぬ緊張が背筋を走る。

 気配を察知することに関しては、俺もそう鈍くはないつもりだ。

 なのに、怪しげな何者かの存在はまだ伝わって来ない。

 相手はもう既に、目と鼻の先に近付いているのかも――

 そんなこんなを思い巡らせていると、バンッ、と結構な力で背中を叩かれた。


「いって!」

『油断はだめだ。でも、心配も程々に』

「ん、あぁ……そうだな」


 気合を入れてくれたようだが、力加減がかなりおかしかったせいで、背中が豪快に痺れている。

 それでも緊張は少々ほぐれたかな、と思っているとファズがスッと息を呑む気配がした。

 横目でファズの様子を窺うと、大きめの声が頭の中に響く。


『来る』


 僅かな間を置いて、石畳を歩く硬質の足音が聞こえてきた。

 問答無用の奇襲に備え、俺は腰を落としてナイフに手を伸ばす。


 薄暗がりの向こうから現れた人影は、一歩こちらに近付く毎に輪郭を明らかにし、やがて青白い光の下にその姿を浮かび上がらせた。

 若い女――年齢は二十代の半ばくらいに見える。

 露出が多めの服装なのだが、不思議と下品さは感じられない。

 褐色の肌から推測するに、東方辺境の出身だろうか。

 大きな目と高い鼻、そしてやや厚めの唇が、柔らかな印象を伝える輪郭の中に、見事なバランスで配置されている。


 間違いなく美しいのだが、ファズの華やかさやライザの清廉さとは異質な、妖艶と評したくなる容姿だ。

 肩の下辺りで切り揃えられた銀髪は、弱い明かりの下だというのに、燦然と輝く印象を与えてくる。

 その銀色は、簡素な意匠だが質の良さが一目で分かる、透明感のある黒色のティアラで飾られていた。

 身長は俺やファズよりも高く、五シャク七スン(約百七十センチ)以上ありそうだ。

 肉感的な体格をしているが、それは太っているというわけではなく、特に胸と尻と腿のハリと瑞々しさと主張の激しさといったら――


「おふぅ!」

『ニオイの主だ。用心しろ』


 足の甲を踏みつけられながらの伝言に、俺は歯を食い縛って頷く。

 そんな俺たちの様子を眺めながら、女は目を細めて足を停めた。

 

「おやおや、可愛らしいコらがいるねぇ」


 見た目を裏切らない、婀娜あだっぽい声の物言いが耳をくすぐった。

 つい頬が弛みかけるが、相手の腰には見事な細工の施されたサーベルの鞘が下がっている。

 それに、視認できる範囲まで来た途端に、女の足音がしなくなっていた。

 実力は未知数だが、その数値は非常識な高水準にあると予想できる。


『こいつ、普通じゃない』


 同感だったので、軽く顎を引いて応じた。

 女はそんな俺達を見て、フッと笑いになり損なったような息を吐く。


「へぇ……あんた、求綻者さんかい。にしても、鬼人を手懐けてレゾナにするなんてね。どんな手品を使ったんだい?」


 ファズが鬼人なのは髪色でわかるにしても、名乗りを上げる前から関係を見破られる、というのは予想外だ。

 もしや、さっきの無言のやりとりだけで察知されたのか。

 この女を相手に、下手に隠し事をしてトラブルを招くのも厄介そうだ。

 なので、出しても問題がなさそうな情報は全て明かしてしまおう、と決める。


「俺の名はリムで、こっちはファズ。そっちの言う通り求綻者で、レウスティの出身だ。ここへは、銀山跡で目撃された発光現象の検訝に来た」

「なるほど、ねぇ……そういえば西方管区長、更迭こうてつされたんだっけ」

「ん? どういうことだ」

「いやいや、こっちの話さ。で? 銀山跡からここになんて、来たいから来れるってもんじゃないんだけどねぇ」


 女は微笑をたたえたままで話を続けている。

 だが、芯に冷たく硬いいモノが詰まっているような語り口は、どうにも聞いていると精神状態が不安定になってくる。

 そんな動揺を表に出さないよう心掛けつつ、今度は女から情報を引き出すべく、質問を投げてみた。


「偶然、地下に続いてる入口を見つけたんでね。ところで、この場所が何なのかあんたは知ってるのか? 随分と人の手が入っているように見えるが」

「簡単に言えば、研究所」

「研究……どんな?」

「訊かなくても、もうわかってるんじゃないかい、ねぇ? 鬼娘ちゃん?」


 その言葉にハッとして隣を見るが、ファズは据わった眼で女を見返しているだけだ。

 先程の不審な行動と、その結果破壊された何かの映像が思い浮かぶ――ファズは何を隠しているのだろう。


『信じてくれていい』


 だったら少しは説明してくれよ、と言わざるを得ない。


『後で話すから』


 にべもなく返され、訊くのは諦めて意識を女の方に集中させる。

 女の視線の中に、こちらを値踏みする気配が混ざった――ような気がする。

 そこまでは理解できるが、自分を高値に吊り上げる手管は持ち合わせてない。

 いつも通り、直感に任せて話を進めるしかない、か。


「どっちみち、こんな場所で隠れて研究しなきゃならないって時点で、マトモじゃないんだろ?」

「ふふっ、そういうシンプルな考え方はねぇ、嫌いじゃないよ」


 女は心底から楽しげにコロコロと笑い、少しだけ低い声で続ける。


「それに、間違ってもいない。おいでなさいな、どんな研究内容だったのか教えてあげるから」


 女の言葉に従うと、現在頭の中に渦巻いている嫌な予感が実体化する。

 そんな確信が俺の判断を鈍らせる、が――


『行こう』

「……ああ」


 ファズに促され、俺達は女の後について行くことにした。

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