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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第5章 (ライザ 鐘後217年3月)

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051 劫火

「兵も巻き添えとなりますが、よろしいのですか」

「ああ、構わん」


 ディスターからの静かな問いに、声を震わせないようにしながら応じる。

 まだ多少の迷いはあったが、地獄めいた光景の生々しい記憶がそれを追い遣る。

 親衛軍を構成する将兵は全て、志願者で構成されていると聞く。


 アーグラシアで生きているならば、親衛軍の実態を知らないものはない。

 それはつまり、全員が有罪であるということだ。

 自分が命じた行為の結果を考えると、胃の腑に焼けるような痛みが走る。

 だが、それを表には出さずにディスターから離れた。


 周辺の気温が急激に低下し、空気が高山のいただきに似た薄さになる。

 どこからか湧いて出た群青ぐんじょうの霧が、天を仰いだディスターを中心に渦を巻く。

 目にするのはこれで三度目となる、人から竜への変化だ。

 冷気を孕んだ旋風つむじかぜは緩やかに見えるが、周辺の砂礫されきや小石を空中へと巻き上げている。


 砦から出てきた親衛軍の将兵は、只ならぬ気配の高まりを感じ取ったのか、門の周辺に固まって霧が濃くなる様子を遠巻きに見守っている。

 やがてディスターの姿は濃霧の渦の中に隠れ、その身を包んだ紫紺しこんは闇夜を思わせる漆黒へと色合いを転じていく。

 そして数十秒後、巨大な繭に似た形状に膨らんだ霧が、音もなく盛大に弾け飛んだ。


「――――――――――――――――!!」


 耳をつんざく表音不能な咆哮が、不可解な反響を起こしながら大気を震わせた。

 不吉な色合いをした繭から現れたのは、古い伝承にあるような神々しい姿ではない。

 灰を混ぜた雪のような体色をしたそれは、高さ十五ジョウ(四十五メートル)を超えていそうな巨躯きょくを大きく震わせる。


 それは蛇に似ている。

 それは骨に似ている。

 それは草に似ている。

 それは鮫に似ている。

 それは火に似ている。

 それは梟に似ている。

 それは虫に似ている。

 それは狼に似ている。

 それは岩に似ている。

 それは人に似ている。


 そして、何にも似ていない。


 雑多な生物と数多の無生物の特徴を備えながら、総体だと正体不明としか言えない巨大生物。

 私のレゾナ、ディスターの正体である竜――その真の姿とは、そういうものだった。

 以前に二度の変化を見ているし、あれがディスターだと理解している。

 理解はしているつもりなのに、人知を超えた生物への本能的な畏怖いふからか、心胆が急速に冷却されていくのを止められない。


「――うっ、あああぁぁあっ! あああぁああぁあああっ!」


 動くのを忘れたような兵達から、一斉に悲鳴と絶叫を混濁させた喚き声が上がった。

 シュナースはその中心あたりにいて、腫れた顔を無様に歪めながら周囲に怒鳴り散らしている様子だ。

 救い難く愚劣な男ではあるが、この光景を目の当たりにしておきながら遁走しないとは、臆病ではなかったらしい。

 しかし硬直していた親衛軍の面々は、悲鳴を合図に恐慌状態へと陥り、醜態を丸出しにしながら我先にと砦に逃げ込んでいる。


「――――――! ――――――――――――!!」


 二度、続けての咆哮。

 地面が激しく揺れ、視界が上下に大きくブレる。

 足裏が沸き立っているようで、まともに立っていられない。

 臓腑ぞうふを凍らせるような冷えた突風に、心と体を持って行かれそうになる。

 それでも両手両膝を地面について、どうにかその場に止まった。


 数秒の静寂を経て、竜は予備動作も見せずに上空高くへと舞い上がる。

 つんいのまま首を捻って見上げると、竜の顎門――だと思われる部位が大きく開かれているのが目に入った。

 そして、『虹色を帯びた漆黒』とでも呼ぶべき、例える対象の思い浮かばない炎が轟音を伴って降り注ぎ、瞬時に砦とその周囲を包み込んで黒く塗り潰す。


 両手で耳を塞いで目を固く閉じて、地面に丸まって終わりを待つ。

 鼓膜を引き裂かんばかりの放射音は、徐々に薄れて溶けていく。

 熱気を感じさせない爆炎は、一頻ひとしきり吐き尽くされたようだ。

 身を起こした時には、堅牢なコルブズ砦は跡形もなく消え去っていた。

 砦のあった場所には、深々と抉られた大穴だけが残されている。


「相変わらず、凄まじい威力だ……」


 わかってはいたが、言わずにいられない。

 これが、竜の放つ炎。

 他の追随を許さない破壊の具現。


 世の理の外にあるとしか思えない巨大すぎる力は、『世界の始まりと共にあるもの』との自己申告に信憑性しんぴょうせいを与えている。

 ディスターとは――竜とは一体何なのだろうか。

 そんな、今更でありしかも身も蓋もない疑念が湧き上がるが、強く頭を振って散らしておいた。


 穴に近づいて覗き込むが、その底は覗えない。

 シュナース少将とその部下達は、底なしの底でまとめてちりか炭になっている。

 砦には何人の兵がいただろう――百人か、二百人か。

 親衛軍第五戦闘団が丸ごと、というのはさすがにないだろうが、決して少なくはない人数が居合わせたのは確かだ。

 

 そんな大量殺戮を指示したというのに、妙に白けた気分になっている。

 生かしておく理由の見当たらない、際限なく害毒を垂れ流す屑みたいな連中に同情するには、汚いものに触れ過ぎているし厭なことも知り過ぎている。


 もしかすると消し飛んだ連中の中には、シュナースや親衛軍が何をしているのかイマイチ理解していない少年兵などもいたかも知れない。

 しかし、知るべきことを知らないでいるのも、この壊れかけた国に生きる者としては罪が深い。


 そう自分に言い聞かせてはみるが、また一つ重荷を背負った気分は拭えず、溜息を吐いて空を見上げた。

 再び暗色の霧に包まれた竜が、たっぷりと湿気を含んで重そうな六対の翼を羽ばたかせながら、自分の作り出した大型クレーターの外縁に降下してくる。

 やがて霧は人体サイズに凝縮され、着地と同時に大気に溶けて中からディスターが姿を現した。


「只今戻りました、姫様」

「……ああ、御苦労」


 ディスターの面差しに疲労の色はなかったが、別種のかげりは濃く浮かんでいる。

 私も似たり寄ったりの状態だろうから、それ以上の労いの言葉を重ねることはせず、二人で並んで大穴の奥へと視線を落とした。

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