表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第5章 (ライザ 鐘後217年3月)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/82

050 誅滅

『見ない方が宜しいかと』


 ディスターからの忠告が、強い調子でもって伝わって来た。

 自分でもそれは百も承知だったが、義務感に駆られて窓際へと歩み寄る。

 凝った意匠が施された窓の向こう、眼下に展開されていた光景は、当然ながら訓練などではなかった。

 村人が連れ去られたと知った瞬間に浮かんだ不吉な予感、それが最悪に近い形で現実となっていた。


「余の配下……忠勇なる親衛軍兵士たるには、鋼鉄の意志が必須となる。故に、新兵にはまず『人を殺める』のに慣れてもらわねばならんでな」


 平時は練兵に使われているのであろう、砦の中央にあるスペース。

 そこには既に、兵士達の姿はなかった。

 いるのは、ミーデンから連れて来られたであろう村人達だ。


 眠そうな目の老婦人がいる。

 切断された頭部が首の下から槍の穂先に突き刺され、もう何も映さない瞳を空に向けている。


 苦悶の表情の中年女がいる。

 轢断れきだんされかけた腹から桃色の内臓をこぼれさせ、その手は訓練場の土を握り締めている。


 寄り集まった子供達がいる。

 頭蓋を殴り潰され、眼球を穿り出され、裸の背を弓矢の的にされ、四肢を乱雑に断たれた亡骸なきがらには、どれ一つとして五体満足なものがない。


 守られるべき者が、それを守るべき立場の者の手で鏖殺おうさつされていた。

 殺人の練習のために行われた殺人。

 遊び半分の気配が充満した処刑場。


「ふはははははははははは、何をそんなに驚いておるのだ。求綻者などと言いながら、実は箱入り娘であったか? ふふっ、ぅははははははははははははははっ!」


 あまりの惨状に呆然としていると、哄笑が耳に刺さってくる。

 この殺戮を命じたのであろうシュナースは、ひたすらに笑い続ける。

 心を乱した私を見て、何とも楽しげに。

 言葉を失う私を見て、いかにも満足げに。


「益体もない下賤げせんの百姓共だったが、こうして最後に国に奉仕できたのはまたとない僥倖ぎょうこうであろう。そうは思わぬか」


 さっきから何を言ってるのだ、この阿呆は。

 求綻者となってからの私は、無数の死を目の当たりにしてきた。

 自分自身のこの手でも、少なからぬ人数を討っている。


 だが、これは違う。

 今、ここで起きているのは何だ。

 人が殺されるということに、まるで意味がない。

 混乱する思考は、シュナースが明らかに喋りすぎている理由に気付くのを遅らせた。


 シュナースの右手が小さく動いたのに気付き、不意に我に返る。

 次の瞬間、全身に激しい衝撃を感じた。

 視界には、床と天井が交互に映し出される。

 直後、金属が石畳に弾ける音がいくつも続いた。


「お怪我はありませんか」

「ぅ、ああ……」


 自分を抱き締めているディスターの声に、何事が起きたのかを大筋で把握する。

 こちらを始末しようと、シュナースが周囲の衛兵達に攻撃を合図。

 その意図を察知したディスターが、私に跳び付いて床に転がりながら回避。

 そして間髪を入れず、宙を舞った大量の手槍が飛んできた、というわけだ。


 立ち上がりながら、槍の雨が降り注いだ辺りを見る。

 仰向けに倒れたローランの体に三、四本が深々と突き立っている。

 その近くでは、副官が腹への直撃を受けて大量吐血していた。

 刺さった場所と出血の量からして、二人とも恐らくは助からない。


「避けるでない。二度手間になるではないか」


 心の底から面倒臭そうに言うと、シュナースは第二撃の合図を出そうとする。

 目の前でり返っている腐れ外道に、言うべきことは無数にある。

 でも、こいつは確実に聞く耳を持たないだろう。

 そう判断した瞬間にはもう、体が自然に動いていた。

 通常であれば七歩か八歩ある距離を、息を詰めて五歩で駆け抜ける。


「なっ――かっ、閣下をお守りしろっ!」


 衛兵の声が悲鳴に近い色合いで弾けるが、指示が行動に変わる前にこちらの手が届く。

 小憎たらしい童顔が、一瞬にして恐怖――ではなく驚愕でひしゃげる。

 渾身の右フックを顔面に炸裂させ、シュナースが豪奢ごうしゃな椅子ごと倒れかけたところで、今度は左脇腹を全力でもって蹴り上げる。


 衛兵の反応は遅れたものの、すぐにシュナースを取り囲んで守りを固めようとする。

 抜刀した衛兵達は、私の攻撃を許したことで動揺し、殺気立っている。

 一斉にかかってこられたら、ディスターの援護があっても無事では済まないだろう、と判断して三ケン(六メートル)ほど下がって間合いをとる。

 次の一手を待ちながら呼吸を整えていると、人の壁の奥から怨念の篭もった呻きが上がった。


「ぐぉおおあぁおおおぉ……くふっ、この賤しいっ、薄汚い雌犬がぁ! 由所正しき血統を保つ大貴族に連なる、この余に手傷を負わせるとは……三族全て、豚の餌となる覚悟はできておろうなぁああ!」

「何が血統だ、このド阿呆め! 女の拳も避けられない糞雑魚が何様のつもりだっ! パパの金で人殺しの親玉をやってる小便タレごときが、さかしげに貴賤を語るな!」

「ふっ、ふざけたことを……偉大なるシュナース侯爵家、アーグラシア王家と並び立つ、古く貴きこの血の流れる我が身は、神に近しい存在なるぞっ!」

「だからどうした! お前の論法が正しいなら、私は神だっ!」


 傲然ごうぜんと言い放つが、シュナースは左頬の腫れ始めた顔で、私を不思議そうに見返してくる。

 衛兵達も「何を言ってるんだコイツは」という空気を出してキョトンとしている。

 十秒くらい無音が続いた後、ディスターが静かに告げた。


「貴殿を殴り飛ばしたのは、レウスティ連合王国の第二王女にして、練士れんしの号を授かりし求綻者。エリザベート・ド・レウスティ姫殿下にございます」


 室内に、わかりやすく動揺と狼狽が広がる。

 そして先程よりも更に長い無音期間を経て、「フハッ」と力の抜けた笑いをシュナースが発した。


「どうせ殺すのだ。貴族だろうと王族だろうと構いはせぬ……やれ、こやつらは密偵だ」

「お、女の処断は、いつも通りに尋問・・した後でいいですかね?」

「好きにするがよい」


 下世話なニュアンスに塗れた部下からの申し出に、シュナースは興味なさそうに応じる。

 なるほど――こいつらは皆、揃いも揃って畜生の類だ。

 すぐにでも叩き斬りたいが、狭い場所での乱戦では思わぬ怪我をする恐れもある。

 まずは後背の兵を蹴散らして、この場を脱するとしよう。


『心得ました』


 こちらの思考に答えたディスターは、私が部屋の出口に向かって動き出すと同時に、ボサッと立っているだけの兵士二人を斬り伏せて逃走経路を作る。

 その背中を追って通路を走り抜け、下りの階段を数段飛ばして駆け降りる。


 異変に気付いて制止してくる連中を無視し、正門を目指して全力疾走すると、意外にあっさりと砦から脱出することができた。

 息を切らしながら隣のディスターを見るが、汗をかいてすらいない平静さだ。


「どうしますか、姫様」


 その言葉が意味しているのは、シュナースとその手下をどうするのか、だろう。

 このままシャレルに親衛軍の凶行を報告し、それが事実と認められたとしても、あの小僧が表立って罪に問われはしない。

 代わりに他の幹部が処罰されるかもしれないが、腐敗の原因は居座り続ける。

 早く決めて動かないと、砦の兵士達に包囲されるな――どうするべきだろうか。


 ソミアの練兵場。

 ミーデンの廃墟。

 コルブズの中庭。


 そこで自分が目にした光景を改めて思い返すと、自然と答えは導き出された。

 答えは出たが、それを実行するとなるとやはり戦慄は禁じ得ない。

 口の中がどうしようもなく渇くのを感じながら、私は搾り出すように告げる。


「……ディスター」

「はい」

「砦を焼き払え」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ