049 驕傲
「我らはシャレル閣下よりの使いだ。シュナース少将に宛てた緊急の書状を持参している」
「は、中将からの……ですか? しかし、それは……」
砦の正門を警護していた兵士は、私の言葉に戸惑うばかりで話が進まない。
緊急の書状と偽って、シャレルから預かっている紹介状をチラつかせたのだが、ロクに確認しようともせずにオタオタするばかりだ。
顔面を生乾きの鼻血に塗れさせ、半開きの口で白目を剥いて気絶している男の姿が、少しばかり刺激的すぎたのかも知れない。
怪しまれそうなのでローランの拘束は解いてあるが、奇襲の危険性は残るので肩の関節は外してある。
「緊急だと言っている! 話の通じる人間を連れて来い!」
「は、はいぃいっ!」
話が進まないことへの私のイラ立ちを察したディスターが怒鳴りつけると、兵士は慌てふためいて砦の中へと駆けて行った。
門は開いたままなので、手間を省く意味も込めて砦内へと入って待つことにする。
「門番は後で叱責を受けるでしょうな」
グッタリとしているローラン、その襟首を掴んで引きずっているディスターは呟く。
果たして後があるだろうか――身も蓋もない思いが脳裏を過ぎると、それを読み取ったディスターは微かに苦笑を浮かべる。
それほど待たされることなく、兵士を五人引き連れた士官が現れた。
先頭を進む士官は痩せていて眼光が鋭く、外見はまさに能吏といった雰囲気だ。
「シャレル中将からの使い、だそうだな。書状ならばシュナース閣下の副官である私が預かろう」
「いえ、これは少将に直接お渡しするように厳命されていまして」
「閣下は只今、訓練の指導に当たられていて多忙である……ん、そっちの怪我人は何だ?」
副官は、明らかに見知っているであろうローランについて、わざとらしく確認してくる。
まずは事情を伏せておく――そう無言で伝えると、ディスターが即興で作り話を始めた。
「この者は街道沿いで倒れていたのですが、『早くコルブズ砦に戻らねば』とだけ言い残して気絶しまして。仔細は分かりませんが、怪我の状態も酷く、放っても置けないので連れて参りました」
「ふむ……では、その者もこちらで治療して事情を聞いておこう。お前達は書状を置いて帰ってよろしい」
そう言い捨てて副官が合図すると、二人の兵士がローランに駆け寄り、その両脇を抱えてどこかへと運んで行こうとする。
取り付く島もない強引な流れに、これは仕方ないと諦めてディスターの背中を軽く手の甲で叩く。
「やるぞ」
「畏まりました」
ディスターはハルバードを逆に構えると、ローランを抱えた兵士達を狙って連続で突きを入れる。
無防備だった二人は石壁へと叩き付けられ、短い呻きだけを残して崩れた。
何が起きたのか理解が追いついていないらしい副官は、棒立ちで固まっている。
私は副官が腰に下げているサーベルの柄を握ると、相手の腹を蹴りながらその刀身を抜いて、素早く持ち主の首筋へと突き付ける。
背後に控えた三人の兵は、何が何だかサッパリ分からない、と言いたげにポカンとしていた。
彼らを指揮せねばならない副官も、部下達にそっくりな表情でこちらを見返している。
「そんな風に全てを揉み消してきたのだろうが、それも今日で終わりだ」
小声で副官に告げると、呆気にとられていた顔は凶暴な歪みを生じさせる。
しかし、部下三人がディスターによって数秒で戦闘不能にされたのを目撃すると、悪相は速やかに消え去って、代わりに卑屈な愛想笑いが浮かんだ。
反射的に殴り飛ばしたくなるが、その感情を抑えて静かに告げる。
「では、少将の居場所まで案内してもらおうか、副官殿」
どんな怪物と対面することになるのか、少なからぬ緊張を抱いていた。
しかし、砦の二階にある豪華な調度の揃った居室で、短い槍を手にした屈強な兵士達に護衛されているその男は、拍子抜けするほどに特徴がなかった。
やや低い身長、やや緩んだ体型、少し長めの金髪、幼さの残る地味な目鼻立ち。
ただ、少年と呼んでも不自然でない年恰好でありながら、閣下と呼ばれる立場なのは極めて異常だ。
「……求綻者ごときが、随分と勝手をしてくれたものだ」
「我々ごときに企みを見抜かれる、少将閣下も大概ですな」
尊大な物言いに皮肉を返すと、つまらなそうにシュナースは唇を歪める。
そしてシュナースの視線は、私達をここまで案内することになったマヌケな副官から、半死半生の態を晒しているローランの上へと移動する。
「大言を吐いておきながら、この始末か。存外、役に立たん小才子だ」
「閣下の手下としては、誂え向きの無能具合だと思われますが」
敵愾心を隠す必要もないと感じられたので、積極的に煽っていく姿勢を見せる。
しかしシュナースは、やはりつまらなそうに私を一瞥すると、傍らに立つ従士から銀製のゴブレットを受け取り、中身を飲み干した後で怠そうに口を開く。
「何か、勘違いしている節があるのでな。面倒だが、余が直々に正してやるとしよう」
「それはそれは、恐悦至極にて身に余る光栄に存じます」
一人称まで思い上がっている感があるシュナースに、慇懃無礼を絵に描いたような態度で応じる。
しかしながらシュナースは、媚び諂いに慣れすぎて感覚が麻痺しているのか、私の含みを持たせた物言いを気にもせず、鷹揚に語り始めた。
「貴様らは、この件を調べて余の企みを見抜いた、とでも思っているのであろう。だがな、それは別に構わんのだ。喧伝する理由もないが、隠蔽の必要も実のところはない」
「……ほう?」
「大事を為すべき時に、誰も止めることができない状況を作り上げることこそが肝要なのだ。大望も解せず目先の利ばかりに釣られる、下賎の者共からの愚かしい要求など、理想の国創りの妨げにしかならぬ」
「その状況とやらは、どうやって作るので」
私の問いに、シュナースは「そんなことも分からぬのか阿呆め」と言いたげに長い溜息を吐き、たっぷりと間を置いてから答える。
「簡単だ。生殺与奪の権限を握ってしまえばいい」
つまり、親衛軍主導の恐怖政治めいた環境は、意図的に作られているのか。
現状では、その狙いは成功から程遠い結果しか生んでいないが、その事実をどう受け止めているのだろう。
もしかして、馬鹿すぎて気付いていないのか。
そんな疑問が呆れ顔として表に出てしまったせいか、シュナースは不機嫌そうに話を続ける。
「義心と縁遠い大衆は、自分可愛さに何だってする。それが国家の尊厳を損なう蛮行だろうと、売国に直結する醜行だろうと気にもしない。そんな愚物を律しながら高邁なる志を実現するには、連中が守ることに汲々としている生活と生命を質にとるしかあるまい」
「……どうでしょう」
妄言に近いシュナースの言い分にも、ある程度の真実は含まれている。
人は基本的に、怠惰で臆病で自分勝手だ。
だがしかし、国家や王権が全てに優先される馬鹿げた前提には頷けない。
過剰な権力を玩弄しているシュナースら救国親衛軍は、そもそも人がいなければ国が成り立たない、という基本的な事柄すら分からなくなっているようにも思える。
「閑話が過ぎたか……ともあれ、貴様らのやったことは無意味だ。現在のアーグラシアの主は、怠惰無能なアルブレヒト王でもなければ、旧態依然の老いた大貴族共でもなく、当然ながら無知蒙昧な民百姓であろうはずがない。救国親衛軍と、それを差配している余だ」
どこまで事実に沿っているのか不明瞭だが、シュナースの自信に満ちた口調は冷静で平坦だ。
何にしても、今回の件で中心的な役割を果たしたのは間違いないだろう。
常識を意図的に無視する、厄介な連中を相手にせねばならない予感に軽めの頭痛を感じていると、無言で隣に立っていたディスターが不意に質問を投げた。
「それはそうと少将、ミーデンの住民をどうしたのです?」
「彼らは祖国防衛の意識が高いらしくてな。我が戦闘団の訓練に参加してくれた」
言葉の中に戯れの気配が混ざる――厭な予感しかしない。
シュナースが音高く指を鳴らすと、向かって左側の壁面を覆っていた厚手のカーテンが、従卒の手によってゆっくりと開かれた。




