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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第5章 (ライザ 鐘後217年3月)

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048 慨歎

 激発寸前の私を嘲笑あざわらうように、ローランは鼻歌混じりにフレイルをクルクルと振り回す。

 重く低くいなないている吶喊豬つらぬきじしを牽制しながら、ディスターは静かに問う。


「とは言え、親衛軍に先がないのは貴方あなたにも分かっているでしょう。こんな状況では、いつアーグラシアに革命が起きるとも知れません」

「かもね。巻き添えになって吊られる前にトンズラするつもりだけど……」

「けど?」


 ディスターが先を促すと、ローランの不快な笑みが掻き消える。


「自分達を怜悧れいりで、無謬むびゅうで、英邁えいまいで、聡明そうめいで、何よりも高貴で神聖だと信じて疑わない、あの支離滅裂しりめつれつな低能共がド派手に破滅する末路を……至近距離で見物してみたくてねぇ」


 どんよりとした光をたたえた両眼で私とディスターをとらえながら、ローランは滑らかに呪わしい願望をつづる。

 その瞳の奥を覗いた瞬間、私の抱えている憤怒とは似て非なる、暗く冷たい感情に触れた気がした。


「ドン詰まったトラブルを誤魔化す目的で、別のトラ――」


 こちらに近付きながらローランが語っている途中、吶喊豬つらぬきじしが大地を蹴った。

 名前の由来となった長い角を揺らし、高速でディスターに突撃する。

 ディスターも突きの構えで迎え撃つが、直線的な動きしかしないはずの相手が繰り出す、軽快に跳び回っての立体的な攻撃に翻弄されているようだ。


「――ブルを起こすとか、まるっきりクソガキでしょ。なぁ?」


 ローランの問い掛けは、思いがけず近い場所から発せられた。

 同時に、三個の鉄塊が空中に黒い半円を描く。

 顔面を破砕すべく放たれた一撃は、咄嗟とっさに身を沈めて空振りさせる。

 体勢を崩しながらもすねを斬り払おうと左手で長剣を振るが、動きを読まれたのか後方に跳び退って軽々とかわされた。


 素早く距離をとったローランは、攻撃を回避されたことが納得できないのか、小さく首を傾げている。

 態度こそふざけているが、親衛軍に雇われるだけのことはあって、相応の実力を備えているようだ。

 速さもあれば度胸もあって、一撃必殺の攻撃力もある。

 レゾナの方も、以前に見た同種とは比べ物にならない機敏な動きをしている。

 ――しかし。


『脅威とはなり得ないレベル、ですな』


 猛進してくる灰色の大型獣、その背を踏み台にして跳んで攻撃を避け、危なげない着地を披露したディスターから、そんな思念が届く。

 ローランには、手練れと評せる能力は十分にあるだろう。

 レゾナである吶喊豬つらぬきじしも、あなどがたい戦闘力を有してはいる。


 だが、それだけだ。

 ただ、それだけでしかない。

 その程度では、一端いっぱしの悪党を気取っての世渡りは困難だし、何より――

 私達には、勝てるわけがない。


「この三ヶ月で、何人を殺した」

「さぁ? こっちは命令通りに働いてただけなんで、数えてないし興味もないし知ったこっちゃない」


 攻撃再開に向けて間合いを計りつつ、ローランはほがらかな調子で私からの質問に答えてきた。

 柄を握る手に力が入りすぎるのを意識しつつ、問いを重ねる。


「ここの住人も、貴様が皆殺しにしたのか」

「いいや、襲ったのは親衛軍の連中。払暁ふつぎょう奇襲の訓練、とかそんな理由でな。俺は単なる後片付けのお掃除兄さんだってのよ。ああ、そういや村の生き残りが十人ばかり、コルブズに連れてかれたみたいだが」


 不吉な予感しかしない――急げばまだ救い出せるだろうか。

 とりあえず、この場は手早く片付けるとしよう。


「一応、確認しておくが……大人しく投降する気は?」


 ローランが大声を上げて笑い、そのレゾナは体重を感じさせない軌道で跳ぶ。

 ディスターが吶喊豬つらぬきじしの対応に向かったのを確認した私は、長剣の柄を左手、柄頭を右手という形に持ち替え、刺突の体勢でローランに疾駆する。

 反応が数テンポ遅れたローランは、厭らしい笑顔を引き攣らせながら、こちらの胴を狙ってフレイルで薙ぎ払う。


 だが、そこに私はもういない。

 走りながら長剣を投げ捨て、ローランの注意をそちらに逸らす。

 土埃を巻き上げてスライディングで滑り、頭上で空を切る鉄球群を見送りながら、ベルトに下げた厚い革ケースから奇妙な形の武器を取り出す。

 かつて微細裂みじんぎりの異名で呼ばれた求綻者、バーブの遺品となった曲刃の手斧――その抜き打ちが、志を失った求綻者の膝を斬り砕いた。


「ごぁ! ぅあくっあ――」

「プギュルルブェエエエッ!」


 ローランの悲鳴は、耳障りな絶叫に上書きされる。

 見れば、ディスターが吶喊豬つらぬきじしの横腹に、ハルバードを深々と突き立てていた。

 灰色の強い短毛に覆われた巨体は地面へとい付けられ、口と鼻からは粘度の高い赤色がなく流れている。


 意識を手放しかけて苦しげにあえぐイノシシに似た新生物ヴィズは、転げ回るローランを濁った瞳で見据えているようだ。

 やがて短い痙攣けいれんの後、荒々しく吐き出されていた呼気が止まる。

 求綻者が一度レゾナを失うと、再び共鳴を起こすことはない。

 今この瞬間、ローランは名実共に求綻者の資格を失った。


「片付きましたな」

「ん……」


 紅く湿った手斧の刃に視線を落としながら、ディスターに答える。

 生返事になってしまったのは、斧の持ち主であったバーブとの戦闘の中、レゾナを一度失ったのにあの閑寂猴しじまざると再び共鳴を起こした、との発言があったのを思い出したからだ。

 あれは一体、どういうことだったのだろう――


「ふぅぐっ! うぅううぅ」


 ローランが苦痛に悶絶する喚き声で、無理矢理に回想から引き剥がされる。

 いつの間にか隣に立っていたディスターが、いつも通りのテンションで訊いてきた。


「さて、どうしますか姫様」

「そうだな……」


 村の入口付近には、ローランのものらしい馬が繋いであった。

 致命傷ではないから、放って置けばそれで逃げるだろう。

 だが、逃がしてやる義理も理由もない。


「……親衛軍の連中に陰謀が露見したと知らせる、生き証人として連れて行こう」

「では、そのように」


 ディスターは馬の鞍を投げ捨てると、雑な止血処理と応急手当を施したローランを腹這はらばいに括り付け、手足もきつく拘束する。


「コルブズに急ぐぞ。まだ、間に合うかも知れん」


 襲われたのは夜明けだし、もう手遅れかも知れない――そんな予感を捻じ伏せながら、希望的観測を口にしておいた。

 ディスターはこちらの真意を読み取って、既に来た道を駆け戻っている。

 私は気を失っているローランの手前に跨ると、手綱を取って馬を出発させた。


「なぁ……なぁ、あんた」


 街道に戻り、走るディスターを追う形で馬を駆けさせてしばらくすると、背後から声がする。

 どうやら、ローランが意識を回復したようだ。

 面倒なので無視していたが、ローランは構わずに話を続ける。


「さっき姫って呼ばれてたが、もしかしてあんた……レウスティの第二王女、なのか」

「だったら何だ」

「求綻者が……レゾナも連れず従者だけ、ってのは妙だと思ったが……そうか、あれが竜なのか」


 振り返ると、ローランは苦痛か屈辱に顔をしかめながら、数間ほど先を疾駆するディスターを見つめている。


「王家の姫君として生まれ、安穏あんのんな子供時代を送り、道楽で求綻者になって、地上最強の生物をレゾナにする、か……何ともまぁ不公平だな、今の世の中って奴ぁ」

「人の世が公平だった時期など、有史以来一瞬たりともない」


 即答に驚いたのか、息を呑んだ気配が伝わってくる。

 だが、それに舌打ちと失笑が続き、ローランは滔々(とうとう)と話を続ける。


「クッ、流石に下々の苦労を知らぬお姫様だ、何ともまぁ――」

「黙れ」


 聞き飽きた類の雑言が続きそうな気配だったので、顔面に裏拳を叩き込んで静かにさせた。

 自分が普通でないのも、世の中の不公平さも、困窮する人々の存在も知っている。

 知っているが、だからどうしろというのか。


 とりあえず今は、不平不満を溜め込んだ馬鹿の恨み節を拝聴はいちょうしている暇はない。

 視界の隅に、コルブズ砦らしい建物の一部が映る。

 目的地はもう近い。

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