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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第3章 (ライザ 鐘後215年11月)

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033 『フランという女』

 ――来る。

 そう知覚したのとほぼ同時に、周囲の空気が激しく乱れた。

 老人が次々に作り出す致命的な旋風は、受け止める長剣の刃毀はこぼれを急速に悪化させる。


「ぬっ――くっ!」


 食い縛った歯から、声にならない音が漏れた。

 対するバーブの息も荒くなってきている。

 金属のぶつかり合う音に混ざり、バーブが落ち着いた声で語り始めた。


「ワシの娘――ミリアムは足が不自由だった」


 左右から挟撃してくる刃をかがんで避ける。


「子供の頃、馬車の事故に巻き込まれて、右の膝から下を失っていてな」


 左上方から振ってくる斧をガードで受ける。


「義足だが杖があれば一人で歩けるし、仕立て屋として働いてもいた」


 右下方から迫る一撃を際どいタイミングで弾く。


「妻に早死にされて男手で育てた一人娘だが、それなりにいい子に育ってな。三年前には結婚もして、本当なら今頃ワシには孫がいた――いたハズだった!」


 狙いの曖昧な斬り込みを飛び退いてかわす。

 攻撃の手を休めて肩で息をしているバーブは、異様な眼光でこちらを睨んでいる。


「そこで、例の義勇軍とやらが出てくるのか」

「ああ……その日、娘はカール――夫のカールと一緒に、買い物に出かけてた。産まれてくる子供の、赤ん坊の揺りカゴを買いに。その最中、護国義勇軍ごこくぎゆうぐんのメンバーが絡んできたらしい。目撃した奴の話じゃ――まぁ、とにかく酷い有様だったようだ」


 恐らくは、聞くに堪えない罵詈雑言を投げつけられたのであろう。

 障害者を貶める言葉の数々を思い出したのか、バーブが大きな溜息を吐く。


「娘夫婦を罵る内に、興奮したリーダー格の男が剣を抜いた。脅しだったのか本気だったのか、今となっては分からん。だが、カールは娘を守ろうと相手に掴みかかり、別のメンバーに後ろから斬られた。頭を割られて即死だ。夫に駆け寄った娘は、腹を刺し貫かれて殺された……赤ん坊も、助からなかった。ワシはその日、家族全員を失った」


 凄惨な情景が、悲鳴と血臭を伴って脳裏に再生される――

 音と臭いの元は、ディスターに追い詰められつつあるサルだったが。


「五人連れのゴミ共は、自分らの引き起こした惨状に多少はうろたえた様子だったが、その内に気を取り直すと、見物人を蹴散らしてどこぞに消えたそうだ。用事で町を出ていたワシが事件を知ったのは、埋葬が終わった後だった……」

「その憤りは理解できるが、何故に村や町を襲った?」


 答えを予期しながらも、一応は訊ねてみる。


「わかりやすく火の手を上げてやらんと、王も貴族も自分の足下で何が起こっとるのか、それを知ろうとさえせんからな」

「ナイフェン伯の屋敷を襲ったのもそれが理由か」

「それもあるが、単純に家族の復讐でもある。あの日、娘夫婦を襲った五人を率いていた小僧は、ナイフェン伯の三男ヨーゼフだ」

「だが、お前と閑寂猴しじまざるが殺した伯爵の家族には、まだ十二歳の罪のない娘も――」


 言い終わる前に、粘ついた哄笑こうしょうに掻き消される。


「本当に罪はないのか? 幼子や老人が棄てられ、同年代の子らが奴隷や娼婦として売られ、その親は飢え疲れ血を吐きながら働き続けている。そんな現実を他所に優雅に遊び暮らしていたガキは、『知らなかったから仕方ない』で許されるべきなのか? なぁ、どうなんだ嬢ちゃんよぉ!」


 バーブの身体が低く滑るように宙を舞い、二挺の斧は月光を鈍く乱反射する。

 自分の言葉で熱くなり、平常心が失われている――勢いに任せただけの連続攻撃を受け流しつつ、大きな隙が生じるのを待つ。

 不用意な踏み込みからの斬撃を跳ね返すと、バーブは無防備な右半身を眼前に晒した。


 罠か――いや、ここだ。

 振り上げる形で制止していた長剣、それを渾身の力で肩口へと振り下ろす。

 何度味わっても不快な、肉を裂き骨を砕く感触が伝わってくる。


「ぐっ――」

「びゅぎゃぁぁあああぁぁああぁあぁあぇあっ!」


 バーブが声を上げると同時にサルの絶叫が轟き、周辺に僅かに居残っていた鳥達が夜空に逃げ散る。

 非常識な金切り声が脳を激しく揺らす――どうなった、何が起きた。


『御見事です。こちらも片付きました』


 ディスターから届いた言葉と、右腕を斬り飛ばされてうずくまるバーブの姿に、自分らが勝利した事実をようやく認識した。

 

「くぉおおぉ……おぅおぉおおぉ……」


 血を噴く傷口を押さえ苦痛に呻くバーブは、一呼吸ごとに生命力を磨り減らしている。

 手早く止血しないと長くは持たないだろうが、さて――どうしたものか。


「助命しても無駄だと思われます」


 迷っていると、背後からディスターの声がした。

 放って置けば確実に死に至るだろうが、傷を手当すれば助かる可能性はまだある。

 バーブの存在を伏せて解訝かいげんを報告、というのもできなくはない。

 しかし回復したバーブは再び破壊活動に身を投じ、少なからぬ人命を奪うことになるだろう。

 ――討つしかないか、やはり。

 そう決心すると、左隣まで歩み寄ってきたディスターが小さく頷くのが見えた。


「バーブ……『微細裂みじんぎり』殿、何か言い残したい事は」

「へっ……やり残したこたぁ多いが、言ってどうなるモンでもねぇな……ただ、こうなったのも何かの縁だ……先輩として少しばかり忠告しとこう」


 苦しげな息遣いではあるが、バーブは意外なほど明瞭な発音で言葉を紡ぐ。

 そして、右肩から派手に血を散らしつつ立ち上がった。


「きっと……抗訝協会こうげんきょうかいの胡散臭さにはもう気付いてるだろうが、それは嬢ちゃんが考えてるより、もっと根深いトコで捻れ、腐ってる。詳しく説明してる余裕はねぇが……まずは第三管区長について調べてみろ」


 バーブの話に、危うくこちらの呼吸が止まりそうになる。

 管区長はヴァルクとアーグラシアの第一管区、ルセニとソニアの第二管区、レウスティとガッツェーラの第三管区、ルセニより先の東辺管区の四地域における責任者で、総帥と副総帥に次ぐ地位にある抗訝協会の最高幹部だ。

 そして第三管区長はロベール・ド・レウスティ――先代レウスティ王の弟の息子、つまり私の従叔父だ。


「それと、だ……いずれ嬢ちゃんの前に、銀色の髪の若い女が現れる……かも知れん。褐色の肌と銀色の髪の、フランという女だ。そいつの話には、真剣に耳を傾けろ……あの姉ちゃんはきっと――」

「ごっ、ぼぇああああああああっ!」


 バーブの語りを遮って、絶叫や悲鳴ではない咆哮が耳に刺さった。

 新手か――と視線を巡らせると、倒されたはずのサルが猛然と突進してくる。


「ちゃんと! トドメをっ! 刺さぬかぁっ!」

「心臓を貫いておいたのですが」


 デタラメに振り回されるサルの腕、それを必死に避けながらの抗議に、ディスターは余裕でかわしながら涼しげに返してくる。

 反撃に転じようと長剣を抜き放つ――が、重傷のサルは瀕死のバーブを抱えて、森の中へと姿を消していった。


「確か、あの方向は……」

「つまり、そういう事なのでしょう」


 サルが目指した先は、恐らくノーラ達の村だ。

 これで『コロナの怪物』が、村ぐるみで引き起こされた事件だと確定してしまう。

 正確に報告するにしても適当に誤魔化すにしても、どちらを選ぶのも気が重い。

 木の葉が覆った天を仰ぎ、刃毀れした長剣を鞘に収め、憂鬱を気化させた溜息を吐く。


「とりあえず、村に向かいますか」

「そうだな。それにしても、閑寂猴しじまざる……あんな得体の知れない獣でさえ、己の窮地を省みずに誰かを救おうとするのに、どうして人は……」


 ディスターは何も言おうとしなかった。

 私は、何と言って欲しかったのだろう。

 そして、バーブは何を言いかけたのか。

 心身ともに疲れているが、ここで立ち止まっても終りは来ない。

 待ち構えている悲劇的な幕切れを予感しながら、異名持ちの元求綻者が残した異形の斧を睨んだ。

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