わたしの決意
「リディ、こちらへ」
手を引かれるまま、ウィリアムさまに連れていかれたのはお屋敷の東側にある部屋だった。
「君が過ごす部屋だ。気に入ってくれると良いが」
オフホワイトと柔らかいピンクで統一された部屋。カーテンやベッドカバーは小さな花柄で統一されていた。三面鏡がついたドレッサーは薄いピンクで、周りは金で縁取られている。
わたしが持ってきた荷物はベッドのそばに置かれていた。
「素敵なお部屋…!ここをわたしが使って良いんですか?」
「ああ。君に快適に過ごして欲しくて用意した部屋だ。…まあ、準備したのは母だが」
「うれしいです、ありがとうございます」
わたしがウィリアムさまを見上げて微笑むと、ほんの少し顔を見つめられた後、スッと目を逸らされた。
「…ウィリアムさま?」
「ああ…いや、うん」
しばらく黙っていたウィリアムさまは、ぽつりと言った。
「可愛いなと思って」
「えっ」
かぁっと顔が赤くなったのが自分でもわかった。心臓がドキドキする。
「母上の見立てなのが少し癪だが…ドレスも、髪型もよく似合っている」
急に気恥ずかしくなって俯くと、ウィリアムさまはふと何かに気づいたように、わたしの髪を見つめた。
「その髪飾りは?」
「あ、公爵夫人が着けてくださいましたの」
「…そうか。抜け目のない人だな」
ウィリアムさまの目が少し細められる。繋いでいた手をぎゅっと握られて、心臓が跳ね上がった。
「疲れているだろう、お茶でも淹れさせよう」
部屋に備え付けられている呼び鈴を鳴らすと、すぐに一人のメイドがやって来た。にっこりと笑う彼女は、ハンナと同じぐらいの年齢だろうか。
「リディ、しばらく君の専属となるメイドだ。何かあれば、言いつけてもらって構わない」
「はじめまして、フィールズ伯爵令嬢、リリーディアさま。メイドのライラと申します。本日からどうぞよろしくお願いいたします」
「早速だが、茶を用意してくれ。あと、アーサー殿をこちらに。どうせまだ父上に捕まっているだろうから」
「承知いたしました」
ライラが一礼をして退出していく。
ウィリアムさまに勧められて部屋に設置されていた、柔らかなソファに座った。そしてウィリアムさまもそのまま、テーブルを挟んだ斜めのソファに座った。
「……久しぶりだな、リディ」
「はい、ウィリアムさま」
形の良い唇が弧を描き、青い目がふわりと温かい光を灯す。
「手紙ばかりですまない、会いに行けたら良かったのだが」
「いいえ、お忙しい中、沢山のお手紙をありがとうございます。とてもうれしかったです」
「私もリディと手紙のやり取りができたのは、とても楽しかった」
この人と一緒にいると心臓がドキドキする。けれど、それと同じぐらい、安心できるのは何故だろう。
「……本当は、リディが王都に来る前に、何か装飾品でも贈りたかったのだが」
ウィリアムさまは気まずそうな顔をした。
「……幾つか選んではみたのだが、その……君が気に入るものか分からなくて」
わたしは目を丸くした。
「わたしはお手紙を沢山頂けて、それで十分でしたが……それでも、ウィリアムさまに選んでいただいたものなら、何でもうれしいです」
「しかし、どうせなら使えるものや、気に入ってくれるものを贈りたいと思ったんだ」
その髪飾りも、とウィリアムは続けた。
「私がリディに似合いそうだと思ったものの一つだ。ほかにも良いものがあったから、それは購入していなかったのだが、その後、母が手に入れていたのだな」
「購、入……?」
「リディに似合いそうだと思ったものを幾つか。後で使用人に持ってこさせるから好きなものがあれば選んでほしい」
「あ、ありがとうございます……?」
公爵家の嫡男が選ぶ、似合いそうなものって何……?
夫人が準備してくれたドレスもそうだが、ものすごく高価なものだったら、どうしたら良いのだろう。
装飾品についての話を聞くのが怖くなって、わたしは話題を変えた。
「き、今日もウィリアムさまはお仕事だったとお伺いしましたが……」
「ああ、休みだったのだが、突然呼び出されてしまった。本当は父や母でなく、私がリディを一番に迎えたかった」
「そうなんですの……お忙しい中にお邪魔してしまって申し訳ありません」
「何故リディが謝る?」
忙しい中、公爵家にお世話になることが申し訳なくなってわたしが謝ると、ウィリアムさまは心の底から不思議そうな顔をした。
「皆、君に会うのを楽しみにしていた。父も母も、弟も。弟は出かけているから、夕食には会えるだろうが。だから、何も気にすることはない。そもそも……いや。仕事の話はやめよう」
軽く首を横に振ったウィリアムさまが自分の手を伸ばして、わたしの手を握った。
「リディ、ずっと会いたかった。元気そうでよかった」
そのまま指先に軽く触れるだけのキスをされた。
心臓がドキドキと高鳴るのを感じる。だけど、ほんわりと幸せな気分にもなる。
「あー……まだ結婚前なので、あまり妹に触らないでもらえますか」
ぱっと声がした方向を見ると、ティーセットを両手に持ち、微笑ましいものを見るような目でこちらを見ているライラと、呆れた顔をした兄が立っていた。
「……失礼」
ウィリアムさまがわたしの手を離す。
わたしは兄に見られていたということを知って、余計に恥ずかしくなってきて、赤くなった頬を隠すように押さえた。
「さあ、お嬢さま、坊ちゃま方。お茶にいたしましょう」
ライラが柔やかな笑顔で手早くテーブルの上にティーセットを並べていく。用意されているのはこの国の南部で製造されている紅茶だという。
「僭越ながら、グローリア公爵のご厚意で本日は私も妹と一緒にこちらで一泊させて貰うことになりました」
兄が言った。
聞くと、グローリア公爵は兄が取り組んでいる研究に非常に興味を示してくれているらしい。それで、より詳しく話を聞きたいと希望されているのだとか。
それを聞いたウィリアムさまは「それが良い」と頷いた。
「父は以前から、王都で使われている紙の書き損じを気にしていた。紙も安価ではないし、それこそフィールズ伯爵領で作られている最高紙もそうだ。しかし、公的文書だと一文字間違えれば使用することができない」
「ええ。紙は木の繊維から作るのが一般的ですが、木というものは一日で成長するわけではありません」
「確かにそうだ。それもあって、アーサー殿が取り組もうとしている、紙の再利用について父は非常に興味を持っていた」
わたしは王立学院で、お兄さまがどういった研究をされているのか詳しく知らないことに気づいた。
公爵が興味を持たれるということは、有益な研究なのだろう。
フィールズ伯爵領は、紙の生産が主な収入源だ。比較的、市民でも使える値段のものから、王宮で公的文書に使われるような高級紙まで様々な種類を製作している。
けれど、わたしはこれまで、あまり生家の家業について深くは学んでいなかった——ずっと、元婚約者の伯爵領を切り盛りするための勉強ばかりしていたから。
でも、その未来はなくなってしまった。
あと二年すれば、わたしは王都で、この公爵家で生活することになる。領地にいた時よりもずっと多くの人と話すことになるだろう。ウィリアムさまが外交に関する仕事をしているのであれば、一緒に国外に行くこともあるかもしれない。
今のわたしのままで、胸を張ってウィリアムさまの隣に立っていられるかというと…きっと知らないことが多すぎる。
今でさえ、兄とウィリアムさまが話している内容がよくわからないのだもの。
「リディ?」
そう考えていると、兄とウィリアムさまが「どうした?」と言うように、わたしの顔を見ていた。
わたしの大切な家族と、大切な婚約者。なぜか分からないけれど、二人が話しているのを見ると、とても幸せな気持ちになってくる。
わたしは笑う。
「とってもおいしいお茶だと思いまして」
公爵家に滞在できる期間中に、何か一つでも身に付けよう。
もっと沢山のことを知ろう。
ウィリアムさまの婚約者として、これから一緒に歩めるように。
わたしはそう、心に決めた。




