新年
国中の貴族が、王都に一堂に集まる日がある。
それが、新年が始まる一月一日だ。
一月一日は貴族とその家族全員に、王宮で王家への挨拶とパーティの参加が義務付けられている。
わたしも、滅多に領地から出ない父母と一緒に、十二月二十八日には領地を出発し、王都に向けて馬車を走らせていた。
とはいえ、季節は冬。
雪は降っていないし、馬車の中でも暖房が動いているが、それでも寒いものは寒い。
父と母は先に走る馬車に乗り、わたしはメイドのハンナ、マーサとともに後続の馬車に乗っていた。
「お嬢さま、お寒くありませんか? もう一枚ショールを使われますか?」
「十分に暖かいわ。ありがとう、ハンナ」
「申し訳ありません、お嬢さまがわたしたちと同じ馬車だなんて……」
「気にしないで、ドクトル。ごめんなさいね、わたしが一緒に乗ることになって、みんなに気を遣わせてしまって」
申し訳なさそうな執事のドクトルに、わたしは謝った。
いつもは、使用人たちと同じ馬車には乗らない。けれど今回は母の指示で、わたしは使用人用の馬車に乗ることになった。
ガタリ、と馬車が大きく揺れて、慌てて馬車の中に設置されている手すりを掴んだ。
「貴族用の馬車と違って、結構揺れるし、ちょっと寒いのね……」
わたしがつぶやくと、ドクトルが小さな声で言った。
「これでも以前の馬車に比べて揺れは減ったのですが……申し訳ありません」
「あ、ううん。大丈夫よ、気にしないで。みんな、いつもありがとう」
わたしは微笑んで、そっと座席のクッションに手をやった。
いつも座っている貴族用の馬車よりずっとクッションが薄い。すぐにお尻が痛くなりそうだ。
(お兄さまに相談してみようかしら……)
兄に相談すれば、お尻が痛くならないように、何かいい案を考えてくれるかもしれない。
兄は昔から手先が器用で、いろいろなものを自分で作っていた。机の上に置けるサイズの本棚や小物入れ、一時期はダイヤル式の錠前作りに夢中になっていて、小さな鍵のついた小箱をくれたこともある。
その小箱には、兄から無くしたくないもの、他人に見られたくないものを入れるように言われていて。
今はウィリアムさまから貰う手紙をそこに入れている。
あの人は王都、わたしはフィールズ領にいるから、簡単に会える距離じゃない。
だけど、ウィリアムさまは、筆忠実というわけではなさそうだけど、何度も手紙を送ってくれる人だった。わたしが返事を送ると、一週間経たずに新しい手紙が来る。
長い手紙の時もあれば、短い手紙の時もあった。短い時は「仕事が立て込んでいて、短くてすまない」と実直そうな角張った文字でそう書いてくれていた。
何通も交わした、ウィリアムさまからの手紙は、今、一番無くしたくないものだと思う。
揺れるカーテンの隙間から灰色の空を見ながら、ふと思い出す。
以前は、エドウィンさまから貰った手紙を入れていた。
けれど婚約が解消になったあと、母に「もう必要ないでしょう」と、手紙を全て渡すように言われたけれど……渡した手紙の束はどうなったのだろう。
「お嬢さまが一緒に領地に帰られないなんて……とても寂しいですわ」
ハンナがため息交じりに言った。
「あら、女学院が始まるまでのたった二週間じゃない。すぐに帰ってくるわ」
わたしはカーテンを閉じ、ハンナを元気づけるように笑った。
この冬は、わたしはグローリア公爵家の屋敷に滞在することが決まっている。期間は一月二日から女学院の冬期休暇が明けるまでの二週間。
それは、初めてウィリアムさま以外のグローリア公爵家の方々にお会いすることでもあって。
とても緊張しているけれど、同時にウィリアムさまに会えるのがうれしかった。
わたしが新年、グローリア公爵家に滞在することが決まり、一緒にフィールズ伯爵領へ戻らないことを知った母は、言った——「リディ。あなた、マーサたちと一緒の馬車に乗りなさい。そうすれば、使う貴族用馬車が一台減るわ」
それは、出発前の準備をしている途中だった。
母の言葉を聞いた使用人たちが、驚いた目を母に向けたのを見て、母の発言は普通あまりないのだと気づいた。運悪く父は仕事中で、その場にいなかった。
その後、母の準備した馬車の台数と種類に、父が引きつった顔をしているのを見て、やっぱりおかしいのだと思ったけれど、こうなってしまったものは仕方ない。
貴族用の馬車は広いから詰めれば四人座れるのだけど、一日かけて王都に向かうにはやや手狭だ。馬車の中で食事をしたり、睡眠をとったり、父はさらに仕事を持ち込んだりするので、いつもは二台用意している。
これまでは王立学院の冬期休暇に入った兄が領地へ戻って来るのを待ってから、家族全員で王都へ向かっていた。いつも父と母、兄とわたし、それぞれ別れて馬車に乗っていたけれど、今年、兄とは王都で合流することになっている。それで一台不要だと判断したのだろう。
どちらかといえば無口な父、ずっと話し続けている母と馬車に乗るよりは、マーサやハンナ達と一緒の方が気は楽だった。使用人の皆には気を遣わせてしまうけれど。
そのまま馬車に揺られること、まる一日。
ようやく王都のタウンハウスに着いた頃には、夜も遅く、時刻は十二月三十日に近くなっていた。
王都にいる兄が前日から業者にタウンハウスの清掃を依頼してくれていたおかげで、部屋はすぐに使える状態だと聞いている。
すぐに馬車から降りた使用人たちが総出で、タウンハウスの灯りをつけ始めた。
小一時間ほどもするとタウンハウス全体が明るくなり、わたしはマーサに付き添われて馬車から降りた。
「お兄さまは明日来られるのよね?」
「ええ。今日、馬車が何時に着くかわかりませんから、本日は学生寮で過ごされるそうです」
明日は兄と合流して一緒にタウンハウスで宿泊、明後日の一月一日は王家主催の新年のパーティへの参加が決まっている。そして一月二日には、ウィリアムさまのご家族へのご挨拶が待っている。
正直、王家への挨拶よりも緊張しているかもしれない。
「さあ、お嬢さま、お疲れでしょう。先にお部屋にどうぞ。食事の準備ができましたら、お呼びいたしますね」
外は寒いけれど、タウンハウスの中は暖房が効き始めて暖かい。
用意された自室で外套を脱ぎ、窓から外を眺めた。氷のような冷たい空気の中、星々が小さく輝いている。
「……ウィリアムさま、早く会いたいわ」
呟いた小さな声は、静かな空気の中に溶けて消えていった。
◇◇◇
煌びやかなシャンデリアに、しっかりと暖房の効いている暖かな王宮内のパーティ会場。
中央の壇上には王家の人々が座っていて、それぞれの家が順番に挨拶へ向かう。わたしたちフィールズ伯爵家も列に並び、無事王家への挨拶を終えることができた。
「お兄さま、国王陛下ってやっぱりすごく威厳がある方ね……」
御前を離れたあと、わたしがお兄さまに小さな声で言うと兄は肩をすくめた。
「ああいう雰囲気を醸し出すことができるのも、王の資質なんだろうな。さて、僕たちは食事にしよう。父上と母上が帰ると言い出す前に、しっかり食べておこう」
兄に誘われて、料理が並ぶテーブルに近づいた。昼過ぎから始まる新年のパーティは、参加者が多いため、立食形式になっている。そこには伯爵領では見たことのない料理もたくさん並んでいた。
給仕係に渡された皿を持ったまま、両親を探すと、顔見知りらしい貴族と話しているようだった。普段無口な父も、こういった公式の場ではきちんと会話をするらしい。
兄がいくつか、おすすめの料理を選んで皿に載せてくれる。二人で並んで食べていると、兄が言った。
「明日はグローリア公爵家に行くんだろう?」
「ええ」
「そうか。まあ、僕も今年はこのまま王都に残る予定だから、何かあったら王立学院の学生寮に来るといいよ」
「お兄さま、領地に戻らないの……?」
「卒業試験の勉強をしないといけないし、お前を一人で王都に残すのも心配だしね」
何気ない感じで言われた言葉に、じんわりと安心感がわいてくる。
「ありがとう、お兄さま」
「うん? お、……さすがに目立つな」
「何のこと?」
「お前の婚約者」
「え?」
兄が視線だけで会場のある場所を示す。
そこには何かを話しているウィリアムさまがいて、そのお相手は、
「ウィリアムさまのお仕事って……」
「今はまだ、第一王子の側近『候補』らしい。側近になるか、外交官になるか、と言ったところだと聞いた」
第一王子には先ほど家族でご挨拶したばかりだ。確かウィリアムさまと同じ歳ぐらいだったと思う。
わたしが兄を見上げると、兄は遠い目をして言った。
「さすがはグローリア公爵家。学院の奴にちょっと話を聞いただけで、いろいろ教えてくれたよ。ああ、うちが縁談を結んだ相手だとは言ってないから安心して」
「お兄さまは公爵家からのご要望を、既にご存じなのね…」
兄は皿に載せた骨付き肉を一口かじった。
「独身であの顔だろう? 婚約者がいる、いないを問わずに狙った令嬢は数知れず。特に婚約破棄をした後はすごかったらしい」
「そう……」
「そんな令嬢たちからの誘いを全部断って仕事に邁進した結果、ついたあだ名は『氷の王子』」
なかなか苦労しているな、あの人も、と兄が呟く。
ウィリアムさまは、ずっと元婚約者の方を大切にしていた。結婚の日取りまで決まっていた方を失って、深く傷ついている時に、新しい恋なんて、きっと無理だ。
『そんなにすぐに、誰かへの気持ちを忘れることは出来ない。人はそんなに簡単ではない』
ウィリアムさまが交流パーティで言っていた言葉を思い出す。
「……そんなにすぐに、好きだった方への気持ちを忘れることなんて出来ないわ」
「まあ、そうだね」
会場に流れている音楽が変わった。
国王陛下が座っている玉座からよく見える位置に、二組の男女がそれぞれ手を繋いで現れた。
「王子と婚約者たちのファーストダンスだわ」
「素敵ね」
ざわざわと周囲がささやき始める。
新年のパーティでは毎年、王族の誰かがファーストダンスを踊る。ここ数年は十六歳を過ぎて準成人となった王族と婚約者、そしてそれに連なる貴族たちが踊ることが多い。
二組の王族とその婚約者の、流れるようなステップ。ふわりと軽いターン。
まるで連続する絵画を見ているようで、感嘆のため息が出た。
国王陛下によく似ている王子二人は凛々しい顔立ちをしていて、その婚約者であるご令嬢たちは遠目で見ても花のように美しい。
「お美しいわね」
「……そうだね」
兄の声色に少し複雑そうな響きを感じて、わたしは兄を見上げた。
父と違って兄が眉間に皺を寄せることはめったにないのだけど、珍しく兄の眉間に皺が寄っていた。
「お兄さま?」
「うん? ああ、何でもないよ。それより、デザートでも食べるか」
兄がわたしの手を引き、デザートが並ぶテーブルへ向かった。
王族のファーストダンスの後は、希望者のダンスパーティとなる。
久しぶりに会う知人同士で踊ったり、家族や婚約者と踊ったり。会場にこれだけ大勢の人がいても、大きなトラブルが発生したと聞かないのは、やっぱり王家の威光によるものだろう。
我が家は、父も母もダンスには興味がなかった。だから、毎年王族のファーストダンスが終われば早々に会場を後にしていた。だから、エドウィンさまと婚約している時でも、新年のパーティでダンスを踊ったことはなかった。
「アーサー、リディ。帰るわよ」
人々の間から、母が父を伴って現れた。父はどこか疲れたような顔をしている。
「二人とも。食事はしっかりできた?」
「それなりに」
兄が返事をしてくれた。
「そう。早く王宮を出ましょう。混雑する前に早く帰りたいわ」
そう言うと、母は踵を返し、会場の出口へ向かって歩き出した。
兄とわたしは慌てて皿を給仕係に渡し、母の後を追いかけた。
出口で一度だけ振り返ると、会場の反対側にいたウィリアムさまと目が合った気がした。




