盲信の代償
俺は、クラウドから聞いた話を親父には手紙にしたため速便で、グローリア公爵へは対面で伝えることにした。親父は勿論だが、王都でリディに何か起きた場合、最初に頼るのは公爵家になるだろう。
本当に、こう言う時に電話があれば良いと思う。
作るか? こうなったら作るか、電話。だが、今も幾つか進めている研究がある。
それと並行して電話を開発するキャパシティが、今の俺にあるか……?
「久しぶりだね、アーサー君。新年の時以来か。卒業試験、合格おめでとう」
「ありがとうございます」
王都のグローリア公爵家で対面した公爵は、相変わらず温和そうな雰囲気を出していた。大抵の奴はこれに騙されるんだろうな……俺が今まで見て来た中で最も食えない大人だが、味方としてなら、この国で最も頼もしい存在かも知れない。
「……ああ、そう言えばローレンス家から後継の変更申請があったな」
「ご存じだったのですか?」
「第二王子の行動は今、逐一把握されているからな。それは周囲にいる学友たちも同じだ。彼ら自身はそれを忘れているようだけどね。恐らく、エドウィン・ローレンスは、王立学院卒業までは、第二王子の側にいるだろう。彼は第二王子を盲信している。もし、リリーディア嬢に接触してくるとすれば、卒業式の後だな」
「その時に現実を知るだろう」と、薄ら笑った公爵に背筋が冷たくなる。
指でテーブルをコツコツと叩き思案しつつ、公爵はため息をついた。
「……さっさとグローリア家との婚約を発表してしまえば、婚約者がいる令嬢に言い寄った男として、こちらから指摘も出来るのだが」
続けて小さく「あのクソ王家が」と呟かれた声は、全力で聞かなかったふりをした。
「婚約発表までの期間は、フィールズ伯爵家との相談になるが、グローリア家から護衛をリリーディア嬢に付けるのが良いかもしれないな」
「そこまで……」
「リリーディア嬢に何かあってからでは遅い。現状で取れる対策は早めに行うべきだ。それに君たち兄妹は、我が家にとっても家族同然だからね」
そう言って、グローリア公爵は笑っていた。
そんな待ちに待った卒業式は、開校初と言えるほど波乱に満ちていた。
俺たちの卒業式で、第二王子はエドウィンを含む学友たち、そして平民の女子生徒と一緒に、婚約者である公爵令嬢へ婚約破棄を突きつけた。
理由はお気に入りの平民の女子生徒に対して、公爵令嬢が嫌がらせを行ったからと言うもの。
その場にいた高等科の生徒は全員、第二王子に対して「何言ってんだ、こいつ?」と思ったはずだ。
周囲にいる生徒たちから見て、浮気していたと判断されるのは、どう考えても第二王子側だ。
それに、公爵令嬢が本気で女子生徒の排除を行おうとしていれば、とっくに女子生徒は学院から追放されていただろう。
茶番としか見えない婚約破棄は、父であり来賓でもあった国王陛下の介入で、第二王子の思い通りには進まなかった。公爵令嬢に一泡吹かせたかったのだろうが、見るも無残に失敗し、国王陛下の護衛を行っていた騎士たちに連行されて行った。
第二王子の後ろで「公爵令嬢を貴族籍から除籍するよう公爵家へ申告する」と、口出ししたエドウィンも一緒に。
卒業式の後、グローリア公爵から、エドウィンは第二王子たちと共に処罰を受ける予定であること、それにより、二度とリリーディアがエドウィンと会うこともないだろうと聞かされて、俺はほっとした。親父も表情にこそ出していなかったが、グローリア公爵の手をしっかりと握っていた。
◇◇◇
そして卒業式から一週間後。俺は何故か、未来の義弟と二人で王都にいる。
「……リディと来れば良かったのでは……?」
俺がぼそりと呟くと、グローリア公爵令息は少し眉をひそめて言った。
「時間を取らせて申し訳ない。だが、先にリディの好みを知りたいと思ってな、義兄上」
「その呼び方はやめてください」
「……分かった」
何でそんなガッカリした目でこちらを見てくるんだ。どこが『氷の王子』だよ、滅茶苦茶目で訴えてくるタイプだな、あんた!
俺は頭が痛くなった気がして、こめかみを押さえた。こんな顔が良い男が装飾品の店にいるだけで目立つのに、そんなのに「義兄上」なんて呼ばれてどう反応しろって言うんだ。
「これを購入する。包んでくれないか」
グローリア公爵令息が店員と話しているのを背中で聞きながら、俺は店を出た。
王家の横槍のせいでリディと二人で外出したことがないグローリア公爵令息が、学生寮でアカデミーへの進学準備をしていた俺を街へ呼び出したのだ。先に何店舗か下見をして、リディの好みを把握したいと言う話だったが、結局買うのか。
「だったら最初からリディと来いよ…」
店の外で一人黄昏れながら俺は呟く。
何がうれしくて、男と装飾品見に来るんだよ……。
女性の好みを知りたいからとか言って、他の女を連れて行くよりはずっとマシだが……だからって、婚約者の兄を誘うか?
いや、仕方ない。リディを大切にしようとしているのは分かったから、今回は良しとしておくか……。
そう俺が、自分を納得させている時だった。
「アーサー!」
突然、聞き覚えのある声がした。
顔を上げて辺りを見回すと、そこには久しぶりに見た意外な顔があった。
「エドウィン……?」
リディの元婚約者、俺とリディの幼馴染だった男。エドウィン・ローレンス。
俺を見て近づいて来たエドウィンは、ガシリと馬鹿力で俺の腕を掴んだ。
「なあ、リディは何処だ!?」
必死な顔で俺に迫ってくるエドウィンは、第二王子の背後を自信満々に守っていた時とは違い、疲れ果てていた。
着ている服はしわくちゃで、何というか……体臭が漂ってきて、やや臭い。
「俺、知らないうちに平民になってたんだよ。親が俺を除籍してたんだ、跡継ぎもクラウドに代えやがって!!」
伯爵になるのは俺なのに、と何処か虚ろな目つきでエドウィンは言う。
「くっそ……こんなことなら、リディと婚約解消しなけりゃ良かった。あのまま白い結婚でもいいからしとくんだった」
ブチリと頭の中で何かが切れる音がした。
「……お前、今なんつった」
「え?」
「今何て言ったって聞いたんだよ、このクソ雑魚が」
自然とこれまでの人生の中で、最も低い声が出た。俺は掴まれた腕を振り払う。
……本当に、クラウドが言っていたように、リディに接触しようとするなんてな。
「うちの妹を泣かせといて、良くそんなことが言えるな……」
「仕方ないだろ、親から結婚しないなら、嫡男から外すって言われたんだ。それに、どうせリディの新しい婚約者はまだ決まってないだろ? 俺が嫁に貰ってやるよ」
平然とそれが当たり前であるかのように、エドウィンは言った。
ああ、こいつはもう駄目だ。脳みそが溶けてしまっている。
「なあ、リディは何処だ? お前んちのタウンハウスにはいなかったし、フィールズ伯爵領か?」
今、リディが王都にいなくて良かったと、心からそう思う。
卒業式の後、リディは両親に連れられてフィールズ伯爵領へ戻っていた。
最初は、数日をフィールズ伯爵家のタウンハウスで過ごし、その後グローリア公爵家へ……という流れだった。しかし、第二王子が問題を起こしたため、卒業式後に顔を合わせた親父とグローリア公爵の判断で変更された。
表向きは王都での混乱を避けるためと言う口実だが、実際は王家とバスター公爵家の婚約破棄騒動による派閥間での影響を鑑み、リディとウィリアムの婚約に関する他者からの口出しを避けるためだ。
フィールズ伯爵家は王家公認の引きこもり一家だから、領地へ戻ることを周囲が気に留めることはない。
二人の婚約披露パーティの日取りは、グローリア公爵夫人が最短で開催できるよう各所へ調整していると言っていた。
やっと全てが順調に進み始めているのに、まだこんな所でゴミ虫が出てくるとは。
「……エドウィン。お前にはもう関係ない話だ。婚約は解消されている。うちの妹に近づくな」
「だから! もう一回婚約してやるって言ってるんだよ」
この筋肉ゴリラに利くかは分からないが、まずは一発殴ろう。俺がそう決意した時だった。
「アーサー殿、どうした?」
声を掛けられ振り向くと、未来の義弟が手に小さな包みを持って立っていた。
「ウィリアム卿……」
その青っぽい目に俺の苛立った感情が少し落ち着いてくる。
「そちらは?」
「リリーディアの元婚約者、エドウィン・ローレンスです、義弟殿」
俺の返答を聞いたグローリア公爵令息の目が変わった。青っぽい目はみるみる間に冷たくなり、視線で人を殺せそうなほどに、鋭くエドウィンを睨みつけた。
「……リリーディア嬢の元婚約者が、こんなところでアーサー殿に何用だ?」
「リリーディアに会わせろと。除籍され平民になったのを、リリーディアともう一度婚約することで取り消して貰えるのではないかと思っているようで」
「ほう…」
風も吹いていないのに、グローリア公爵令息の周囲の気温が三度下がった気がした。
「だ、誰だよ、こいつ!!」
グローリア公爵令息の威圧に耐えられないのか、エドウィンが俺に向って叫ぶように尋ねた。
「こちらはウィリアム・グローリア公爵令息。リリーディアの婚約者だ」
「グローリア……?」
エドウィンの顔が驚愕に染まる。
「嘘だろ、何でそんな大物が」
「エドウィン・ローレンス」
グローリア公爵令息がエドウィンの言葉を遮った。
「何故、ここにいる。お前は卒業後、王家の意により、王立軍の十五支部二十三師団へ配属された。今頃は山岳北部へ向かっているはずだろう」
王立軍の十五支部と言えば、隣国との国境沿いを担当する歩兵連隊の一つだ。かなり広いエリアを警備しているため、長距離の行軍も多く、過酷と有名な部隊だ。
「何で俺が歩兵なんだよ、俺は騎士団に入るんだ!!」
「……そうか、逃げ出したのか。せっかくの温情を」
小さく呟いたグローリア公爵令息は、通りかかった王都を警備している巡回兵へ声をかけた。
「そこの者。私はグローリア公爵家の者だ。王立軍からの脱走者を発見した。至急、捕獲を」
「脱走者!? か、畏まりました」
巡回兵が顔色を変え、胸元のポケットから取り出した笛を吹いた。鋭い音に応えるように、様々な方角から笛の音が王都に鳴り響く。
「お前……!!」
エドウィンがグローリア公爵令息を睨むが、公爵令息は意に介さず続けた。
「エドウィン・ローレンス。いや、今はただのエドウィンか。学友と言う立場でありながら、第二王子の失態を止められず、さらに王立学院の卒業式の時点ですでに平民だったお前が、バスター公爵家へ令嬢の除籍を下命するなど、即座に死罪でも可笑しくなかった。それを、一から憂国の情を学びなおせと王立軍への従軍で帳消しにされたと言うのに……本当にお前は愚かだな」
「うるせぇ! お前に何がわかる!?」
エドウィンがグローリア公爵令息に掴みかかった。こう言っては悪いが、グローリア公爵令息も俺と同じでマッチョではない。
慌てて巡回兵と共に二人の間に割り込もうとしたが、エドウィンが一瞬沈んだかと思えば、ゴリラ体形が人のいない方角へ投げ飛ばされた。
「文官に投げ飛ばされるような実力で、騎士団に入ろうなんて甘すぎる」
片手にリディへの贈り物の袋を持ったまま、グローリア公爵令息は服に着いた砂埃を払っていた。
きっとこの時、俺と巡回兵は同じことを思っていたはずだ。
いやいや、普通の文官はゴリラ体形の男を投げ飛ばしたりしないからな!?
上手く受け身を取れなかったのだろう、痛みに呻くエドウィンに向ってグローリア公爵令息は思い出したように言った。
「そうだ。一つ、お前に感謝しないといけないことがあった」
その整った顔に、僅かに笑みが浮かぶ。
「お前がリリーディアとの婚約を解消してくれたおかげで、俺は最高の女性を手に入れることができたよ」
その後、駆け付けた数名の巡回兵たちによって、エドウィンは連行されて行った。
「怪我はないか、アーサー殿」
「はい……あの、ウィリアム卿は武術も嗜んでいるのですか?」
「母から何かあった時、自身を守れるようにと幼い頃から。最近は仕事で鍛錬の時間が取れていないが」
俺は一緒に見ていた巡回兵と目を合わせて頷いた。公爵家って凄い。
ちなみに、グローリア公爵令息はしっかり巡回兵へ「奴に貴族への暴行容疑を追加してくれ」と告げていた。エドウィンの未来がどうなるのかは分からないが、もう二度と奴を王都で見ることはないだろう。
騒動の三日後、何も知らずに王都へやって来たリディはグローリア公爵令息から貰った婚約指輪と、デート中に貰ったという髪留めを嬉しそうに俺に見せてくれた。




