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乙女ゲームの影薄妹系令嬢は何も知らずに幸せになる  作者: 高遠ゆめ
番外編◇そして、もうひとり
24/26

弟の懸念

 

 ——人は変わる。良くも、悪くも。



 二月。王立学院高等科の卒業試験を無事突破した俺は、学生寮で来年度の準備をしていた。同室のフィリップも学科は違うが、俺と同じようにアカデミーに進むことが決まっている。


「アーサー殿、来客でござるよ」


 学生寮の机の三分の二を占めていた専門書を整理している時だった。フィリップがそう俺に声をかけた。


「来客?」

「中等科の生徒にござる」


 中等科の生徒の中に数名、知っている後輩がいることはいるが、学生寮まで訪ねてくるほど親しかった奴はいない。


 誰だ……? と思いつつ、俺が寮の廊下へ出ると、そこには久しぶりに会う顔があった。


「クラウド……」

「お久しぶりです、フィールズ卿」


 リディの元婚約者であるエドウィンの三歳年下の弟、クラウド・ローレンス。

 俺とリディのもう一人の幼馴染。


「まだそう呼んでくれるのですね」


 そう言ってクラウドは少し寂しそうに笑った。


「実は、フィールズ卿に内密にお話ししたいことがありまして……」

「アーサー殿、拙者は分校舎に資料を取りに行ってくるでござるよ」


 クラウドの漂わせる雰囲気に何かを感じたのか、フィリップが上着を持って部屋を出て行こうとした。


「あ、ああ。気を付けてな、フィリップ」

「少し時間がかかるかもしれないでござる。では!」


 俺は「えっさ、ほいさ」と言う様子で走っていくフィリップの背中を見送った。


「お話し中に申し訳ありません」

「いや、気にしないでくれ。茶でも出そう」


 俺とフィリップの部屋に入ったクラウドは珍しそうに辺りを見回した。

 上級生の部屋なんて中々入る機会はないし、俺もフィリップも山のように研究書を至る所に積み上げているせいもあるだろう。


「そこのソファに座ってくれ。紅茶で良いか?」

「はい、お手数をお掛けしてすみません……」


 前世ではマグカップに紅茶のティーバッグと水を入れてレンチンだった俺が、湯を沸かして茶葉から入れられるようになるなんて、自分でも大したものだと思う。


 紅茶を入れ、フィリップの実家から送られてきた茶菓子を適当な皿に盛って出した。事後承諾になってしまうが、あとでフィリップの好きな代わりの茶菓子を買って謝ろう。


 クラウドに会うのは久しぶりだった。俺がまだ中等科の生徒だった頃、クラウドの宿題を何度か見てやったことがある。確か、クラウドはリディとも、仲が良かったはずだ。


「フィールズ伯爵家の皆さまには、兄が大変ご迷惑をおかけしたこと……誠に申し訳ございません」

「クラウドのせいじゃないだろ」


 俯くクラウドに俺は言った。コチコチと壁に掛かっている時計の音がやけに大きく響く。


 好きな相手が出来たからと言う最低な理由で、エドウィンがリディに婚約破棄を突きつけた時、ローレンス伯爵家の人達は、クラウドも含め皆、真っ青な顔をしていた。

 彼らは常識人だった。まずはエドウィンを説得しようとし、それが不可能だと分かると、すぐにローレンス家側に非があったとして婚約破棄を申請しようとした。


 この場合は、エドウィンが「社会的常識を逸脱した言動を取った」という、リディには一切非がない形での婚約破棄だ。

 ただし婚約破棄となった場合は、双方の経歴に記録が残ってしまう。リディとエドウィンの場合は、記録が残ることを嫌がったうちの母親が婚約解消へ変更するように口を出したのだが。


「何より、リリーディア嬢にはお辛い思いをさせてしまって、何と謝罪すれば良いのか……」

「もう終わったことだ。気にするなとは言えないが、お前のせいじゃないよ」


 リディの新しい婚約者も決まった。忘れることはできないが、ローレンス家とのことはフィールズ家(うち)にとっては、もう過去の出来事だ。


 それで今日はどうしたんだ? と俺が促すと、クラウドは何か意を決したように顔を上げた。


「これから話すことは内密にしてほしいのですが…ローレンス伯爵家は、僕が継ぐことになりました」

「エドウィンじゃないのか?」


 俺は驚く。エドウィンはずっと、王立騎士団で数年勤務した後、ローレンス領で伯爵となるのだと言っていた。正直、二人が婚約していた時は、脳筋のエドウィンにローレンス領を治めることができるかを心配していた。

 しかし、リディもいるし、何よりクラウドが補佐として領地に残ると聞いていたから、何とかなるだろうとも思っていた。

 リディとの婚約を解消したからと言って、第二王子の覚えも目出度いエドウィンを嫡男から外すとは思っても見なかった。


「兄は……今も平民の女子生徒に入れ込んでいます。フィールズ卿もご存知でしょう?」


 クラウドはまだ幼い顔に苦悶を浮かべて言った。


「リリーディア嬢との婚約解消をすること自体、馬鹿で愚かなことなのに…兄は更に、この先誰とも婚姻をしないと言い張っているのです。愛している平民の少女がいるから、他の女性と婚姻するなど不実なことは出来ない、跡継ぎには僕の子供を宛てがえば良いと」


 大きく息を吐き、クラウドは諦めたように笑った。


「せっかくフィールズ伯爵家が、婚約破棄ではなく解消としてくれたのに…兄は本当に愚かです」


 それはうちの母親が『自分』の娘の経歴に婚約破棄したという傷を残したくなかっただけで、エドウィンのことは全く関係ないのだが…まあ、それは良い。


「いくら兄が、剣術が上手く、第二王子の学友に選ばれたとは言っても…うちの親も貴族です。ローレンス家の存続を一番に考えています。ですので、子を作らないと言い張る兄を嫡男にしておく理由がありません」

「…そうだな」


 俺も同じようなことを考えてはいるが、きっとあいつは伯爵になるという旨みしか考えていないのだろう。


 クラウドはティーカップを両手で握り締め、やや俯きながら続けた。


「兄は僕が嫡男になることを知りません。今はまだ国へ手続きの申請中で……兄には全てが整ってから両親が話すと言っています」

「さっき、内密にと言っていたが、それをわざわざ伝えに来てくれたのか?」

「それもありますが……兄の性格を考えると一つ、懸念点がありまして」

「懸念点?」


 クラウドの顔が、一瞬泣き出しそうな表情へ歪んだ気がした。


「兄は今も、自分が伯爵になるのだと疑っていません……こんなにも周囲に迷惑をかけているのに。けれど、恐らく兄の事です。自分が伯爵になれないと知ったら、その原因をリリーディア嬢との婚約解消だと考えるでしょう」


 ぐっとクラウドは唇を引き結び、顔を上げた。


「兄が嫡男を降ろされることに、リリーディア嬢は関係ありません。確かに、リリーディア嬢との婚約解消がきっかけではありました。しかし、今の愚かな兄では…そこまで考えることは出来ないでしょう」

「……リディに、接触してくる可能性があるってことか」


 俺は腕組みしてクラウドの顔を見つめた。


 クラウドは俺より三歳年下だが、昔からエドウィンよりずっとしっかりしていた。ローレンス領が好きで、家業の製糸産業に興味を持ち、将来は俺と同じように研究科へ進みたいと。

 リディにも懐いていて、クラウドの婚約者と一緒にリディのことを「リディ姉さま」と呼んで慕っていたはずだ。


「……そういえば、お前は子爵家の婿養子になるんじゃなかったか?」


 クラウドと同じ歳の婚約者は、確か子爵家の長女で、クラウドは婿養子になるのだと…リディが言っていたはずだ。


「……婚約者へは事情を話して…解消も視野に入れていましたが、協議の結果、彼女がローレンス家へ嫁入りしてくれることになりました。子爵家は彼女の妹が継ぎます」

「……そうか」


 エドウィンの最低な行動で、関わる全ての人間の未来が少しずつ変わっていく。それはフィールズ伯爵家だけじゃない。


「兄は変わってしまいました。今の僕には、もう、兄がどんな行動をとるのか、わかりません」


 クラウドは自分の中にあるエドウィンへの感情を、振り切るように続けた。


「こちらでも、リリーディア嬢に兄が接触しないように取り計らうつもりですが…念のため、フィールズ卿にもお伝えしなければと思い、本日お訪ねしました」

「……わかった」


 なあ、エドウィン。お前は、お前の弟にどんな顔をさせているか、どんな思いをさせているか分かっているのか? お前はそんな馬鹿な奴だったのか?


「話してくれたこと、助かるよ。ありがとう」

「いえ……。ご迷惑をお掛けしている立場で申し訳ありませんが、この話は兄には……」

「わかっている。ただ、うちの親父と…リディの周囲の人間には話させてもらう。そうしないと、対策が取れないからな」


 俺がそう言うとクラウドは頷き、ティーカップに残っている紅茶を飲み干した。


「お忙しい中、お時間を取って頂き、ありがとうございました」


 そう言って俺に一礼し、退出しようとしたクラウドの背中には決意と、重圧と孤独が乗っているような気がして、思わず俺は声をかけた。


「クラウド。全部を自分で背負いこむな。悩んだ時はローレンス伯爵に相談しろ。それでも、辛ければ俺の所に来い。何か出来るかは分からないが、話ぐらい、聞くことが出来る」


 クラウドはしばらく黙り、背中を向けたまま俺に言った。


「……兄を止められなかった僕が言って良い事ではないのは分かっています。それでも、」


 声を絞り出すように、吐き出すように。


「僕は……リディ姉さまと本当の家族になれるのを……アーサー兄さまを義兄と呼ぶことを……楽しみにしていたんです」


 その成長途中の子供のような肩と声が揺れていることに、俺は気づかないふりをして答えた。


「……俺もだよ」

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