食えない大人
リディとグローリア公爵令息を残し、応接室から親父と二人で、親父の仕事部屋へ移った。
メイド長のマーサを監視に付けているし、グローリア公爵令息もいきなり手を出したりはしないはずだ…多分。
「僕はこれ以上ない、良い縁談だと思いますが」
予測通り全く役に立たない親父は、俺と二人でも黙りこくったままだ。
「まさかと思いますが、寂しいからと、やっぱりリディを嫁に出したくないとか思ってないですよね?」
小さく唸ったところを見ると、当たりだったらしい。そんな親父の様子に思わずため息が出る。
「…父上」
俺が半ギレで親父に圧をかけると、ボソリと親父は言った。
「…リリーディアに、本当に公爵家の妻が務まるのだろうか」
「あちらは、リディの婚約解消についても知っていました。恐らく公爵家側で我が家のことをある程度は調べた上で、こちらに縁談を持ちかけたのでしょう」
「そうか…そうだな」
親父は疲れたような顔で頷いた。
「…妻は怒るだろな」
「リディがこの縁談を受け入れるつもりがあるのなら、先に決めてしまえば良いのです。同席しなかったのは母上なのですから」
母がどんなに文句を言おうと、先に決めてしまえばそれが決定事項だ。
何より、やはり伯爵家よりは公爵家。格上であればあるほど、母の口出しも減るだろう。
「…グローリア公爵家か」
「何か気になることがあるのですか?」
俺の問いかけに親父は軽く首を振った。
「いや。随分と、大物を釣り上げたものだなと思ってな」
「それだけ相手に見る目があったのでしょう。リディはいい子です」
「…そうだな」
父は観念したように頷いた。
「どちらにせよ、フィールズ家に断る理由がない。リディがこの縁談を受ける気なら、話はそれで進むだろう」
俺にとっても、父にとっても、一番大切なのはリディの幸せだ。
何となく、あの男なら何があってもリディを守ってくれそうな気がした。
「…アーサー、お前にも子爵家から縁談の話が来ているが」
ふいに、父がボソリと言った。短い沈黙の後、俺はいつもと同じ答えを返した。
「今回もお断りしておいてください」
一応、伯爵家の嫡男である俺にも、これまでに縁談の話は幾つかあった。同格の伯爵家か、もしくは子爵家からだったが、俺は親父に頼み、その全てを断ってもらっていた。
「前にも話した通り、僕は見合いもしないし、結婚もしません、後継はリディに子供が生まれたら、そのうちの一人に譲ります」
だってそうだろう? あの母親がいる家に、他の家で大切に育てられたご令嬢を迎えたとして―幸せにできると思うか?
自分の娘にすら、あんな態度を取る母親だ。嫁になった女性に対してどんな態度を取るかなんて、分かり切ったことだ。
俺が結婚するつもりがないことを、母親に言えばきっと発狂する。だから、知っているのは親父だけだ。リディも知らない。
何なら、国に貴族籍を返上したって良いとも思っている。
元々、前世では一般人だったんだ。平民になっても何とかやっていけるさ。製紙業の経験を活かして、起業するのもありだな。そう、何とでもなる。
両親の今後についても、ずっと前から決めていた。
俺は四月から三年間、王立学院のアカデミーに通う。卒業後は親父から爵位を継ぐ予定だ。
俺が爵位を継いだその時は、両親には別邸を用意して引き篭もってもらう予定だ。文字通り、物理的に。
「…お前は、それでいいのか?」
父の声が小さく震えているのを、俺は初めて聞いた。
「子供は親を選べませんから」
俺は親父に向かって、口元だけでにこりと笑って答えると、仕事部屋の壁に掛かっている時計を見上げた。
もうすぐ一時間ほど経過するが、リディとグローリア公爵令息は、少しは話ができただろうか。
「父上、そろそろ戻りませんか。二人の考えを聞きましょう」
肩を落とす父と共に応接室へ戻る。向かい合って座るリディとグローリア公爵令息は、お互いに少し恥ずかしそうにしながらも何かを話していた。
二人の間に流れる空気は、なんつーか、こう…付き合いたての高校生みたいだった。
◇◇◇
これは、俺が王立学院の学生寮に戻った後、親父から来た手紙に書かれていたことだ。
リディとの見合いの後、グローリア公爵家は通常だと考えられない速度で王家からの承諾印が入った婚約許可証を送付してきたらしい。グローリア公爵令息のリディへの執着を感じて、少し背中が寒くなったが、俺は気のせいだと思うことにした。
しかし、どうやら問題も発生しているようで、両家の婚約披露パーティは日程が未定となったという。手紙の続きには、これは王家の口出しによるものであり、先方のグローリア公爵家としては「大変遺憾である」そうだ。
この国で婚約披露パーティは、互いの家の繋がりとお披露目を兼ねて開催される。逆に言えば、開催していなければ婚約に割り込まれても文句は言えないということだ。
流石に公爵家の婚約に割り込めるとしたら、同格の公爵家か王家ぐらいだが、そうなった時はリディの婚約者が黙っていないだろう。
俺はもう一通、別に届いた手紙を開いた。リディ付きのメイドのハンナから届いたものだ。正直、親父はリディのことになると頼りない。それよりはハンナの方がずっとリディを見てくれている。
ハンナからの手紙には、最近リディの笑顔が増えたと書いてあった。グローリア公爵令息と頻繁に手紙を交わしているらしい。
今まで付き合いがなかったグローリア公爵家について、学院の連中に少し聞いてみたのだが、年上の義弟(予定)は随分と有名人だったようだ。
第一王子の元学友で側近候補。顔も良ければ、頭も良い、嫁げば玉の輿一直線の公爵家の嫡男。しかし、女気はなく、どんなアプローチも縁談話も全て断っているらしい。
その余りの素っ気なさから、付いたあだ名は“氷の王子”。
何だ、それ…初めて聞いた時は、ダサすぎるあだ名にドン引きしてしまった。あと、少しの同情心が湧いた。過去に婚約破棄されたとも言っていたし、公爵令息も大変だな…俺は片田舎の貴族でよかった。
今年も残り一ヶ月ほどになっている。
来年の一月には、王家主催の新年のパーティに出席するために、リディと両親が王都にやってくる。
リディはそのままグローリア公爵家へ二週間ほど滞在する予定だ。
俺も、リディが心配なのもあるが、高等科の卒業試験が控えているので、領地には戻らず王立学院の学生寮で勉強するつもりだ。
王立学院といえば、本校舎、分校舎どちらもで、生徒の間では第二王子とその婚約者の公爵令嬢、そしてピンク色の髪をした平民の女子生徒の話で持ちきりだった。
腐っても王族なので、大っぴらには誰も言わないが、密やかに浸透していった。
分校舎に通う俺が第二王子と女子生徒を見かけることはまず無いが、本校舎の奴らはストレスがやばいんじゃないだろうか。目の前で王族の浮気現場を見せつけられているのだから。
第二王子の婚約者である公爵令嬢にも相変わらず表立った動きはないと聞く。そしてエドウィンは相変わらず、その二人の騎士気取りらしい。
ま、俺にはもう関係ないことだ。
年が明け、新年のパーティの翌日、リディがグローリア公爵家へ向かう日の朝のことだ。
母親がグローリア公爵家への挨拶には向かわないと言ったことは、流石に常識を疑った。
いやいや、娘が二週間も世話になるんだぞ。普通は挨拶に行くだろう!?
それとも、これは前世の常識なのか? 俺がおかしいのか?
俺と母親の会話を聞いているのかいないのか、親父は何も言わない。しかし、リディのどこか不安そうな顔を見て、俺は決めた。
「僕が一緒に行ってご挨拶します。まだグローリア公爵にお会いしたことがないので」
「あなたが結婚するわけじゃないから、必要ないでしょう」
「いえ、公爵は王立学院を卒業された大先輩ですので、一応ご挨拶しておきます」
王都にいる間、リディが頼るとしたら俺か婚約者になるだろう。何かあってから「リリーディアの兄です」と名乗るよりは、先に挨拶をしておく方が安心だ。それに、婚約者がリディを大切にするのは当然として、その家族がどう思っているのかは気になっていた。
タウンハウスを出て、馬車に乗ること三十分。リディと一緒に、王都の西側にあるグローリア公爵家の屋敷に到着した。
流石は公爵家。うちとは屋敷の規模も外観も違う。城の一角と言われても納得できそうだ。
公爵家の執事から応接室に案内されたが、現れた公爵夫人によって、リディは瞬く間に連れ去られてしまった。
「妻がリリーディア嬢に似合うドレスを選ぶのだと張り切っていてね。うちは息子しかいないから」
目の前に座るグローリア公爵が楽しそうに笑う。
「アーサー君。私は御父上から君が挨拶に来てくれると聞いて、楽しみにしていたんだ」
公爵にそう言われ、俺は手にしていたティーカップを落としそうになった。
親父!? 根回し済みかよ、それなら先に言ってくれ!!
「本来なら、両親と共に挨拶に伺うべきなのですが、両親は既に領地へ向かってしまい…申し訳ございません」
「いやいや、ご両親とはパーティで話しているから、気にしないでくれ。それより、君が去年書いた論文を読んだよ。今は紙の再利用について研究を進めているようだね」
「はい。現在、紙作りの原料と言えば、木材ですが…」
公爵は笑顔を崩さす、俺の書いた論文について頷きながらも、合間に鋭い質問を投げかけてくる。製紙産業で使われるマイナーな専門用語も知っているようだし、何者なんだ、この人。
「なるほどね。確かに、抽出時の純度を上げるためには…」
「はい、そのために…」
やがて、公爵は満足したのか大きく頷いた。
「ありがとう、とても興味深かったよ。次の論文発表が楽しみだ」
「そう言っていただけて誠に光栄です」
公爵は話している間に冷めた紅茶を取り換えるように使用人に命じた後、俺に穏やかに笑いかけた。その笑みに何だか背中がゾクリとする。
「ところで、アーサー君に話しておきたいことがあってね」
「話しておきたいことですか…? それは、私がお伺いしてもよろしいのでしょうか」
公爵は頷くと両手を膝の前で組んで切り出した。
「ああ。アーサー君はウィリアムとリリーディア嬢の婚約披露パーティをまだ行っていないことについて、何かご両親から聞いているかい?」
「いえ…日程が未定となったことしか」
「そうか…実は二人の婚約披露パーティの日程が未定なのはね、第二王子が原因だ」
何故、ここで第二王子が出てくるんだ?
怪訝そうな俺の顔を見ながら、公爵は少し目を細めた。
「君も聞いたことがあるのではないかな? 王立学院で流れている噂を。“第二王子が平民の少女に入れ込み、婚約者を蔑ろにしている”というものを」
「…はい。確かに、そう言った噂を私の通う分校舎でも聞いたことがあります」
頷きながら、俺はホールで第二王子と女子生徒が並んで座っていたことを思い出す。その姿がまるで恋人のようだったことも。
「王宮でも、その噂は広まっていてね。婚約者のバスター公爵令嬢が特に騒ぎ立てていないせいもあって、大人も手が出せない状況なんだ。王家は、第二王子の一時的な気の迷いだと思っているらしいが…。王家はね、女子生徒が第二王子の学友と恋に落ちてくれないかと望んでいる」
「それは…何故です?」
「もちろん、バスター公爵家を刺激しないためさ。最終的に学友の二人のどちらかと恋人になれば、第二王子は友人の恋路を応援するために女子生徒を側に置いていたと言えるしね」
公爵は、新しく用意された紅茶を一口飲んだ。
「リリーディア嬢の"元"婚約者、エドウィン・ローレンス伯爵令息は第二王子の学友だ。王家は、ウィリアムとリリーディア嬢の婚約は認めたが、二人の婚約がエドウィン・ローレンスを含む第二王子の周囲に影響を与える可能性に難色を示した。それによって、婚約披露パーティの日程は未定となってしまった」
「そんな…王家に関わる出来事について、私に話しても良かったのですか?」
「だって君は吹聴したりしないだろう? 君の可愛い妹も間接的に関わっていることだし」
……やられた。
虚をつかれた俺は、今更ながら公爵の職業を思い出した。外務大臣なんて腹の探り合いをする仕事じゃねえか…。
「どうかしたかい?」
「いえ。まだまだ精進が足りないなと思いまして」
俺が答えると、公爵は楽しそうに笑った。
「良いねぇ。アーサー君、僕の下で働かない? 官僚に向いているかもよ」
「家業を継ぐと決めていますので」
俺はにべもなく断ったが、公爵は何が面白いのかさらに上機嫌になる。
「はは、ますます良いねぇ。そうだ、今日は泊まっていきなさい。もう一人の息子にも紹介したいから」
「いえ、ご迷惑になりますので…」
「リリーディア嬢がこれからどう過ごすことになるか、気になるだろう?」
「…はい」
やばい、リディを握られた。




