二つの失態
王立学院の交流パーティの日、俺は二つの失態を犯した。
一つは、交流パーティの会場へ入場してすぐのことだ。パーティの主催となっている学院長に挨拶をして、リディと一緒に食事が並んでいるエリアへ行こうとした時だった。
流れている曲がワルツに変わり、学院に通う王族とその婚約者のファーストダンスが始まった。
顔は良い第二王子と、才色兼備と評判な婚約者の公爵令嬢。二人の不仲説は、もう学院内で知らない者がいないほど、周知の事実となっていた。
ふと、リディがどこかを見つめているのに気がついた。
その視線の先には、ピンクの髪をした平民の少女と、それに寄り添うエドウィンの姿があった。
それはどう見ても、恋人としか見えない距離だっだ。
エドウィンに会うかもしれないと言うのは、俺もリディも承知していた。第二王子が参加するのだ。必ず、エドウィンも一緒にいるはずだと。
俺としては、出来る限りエドウィンを避け、フィリップを含む研究科にいる、比較的穏やかな俺の友人や、その婚約者の令嬢たちとリディを交流させようと思っていた。
それが、入場してすぐこんな光景を目にするとは。俺の中でエドウィンへの殺意が芽生えた。
二つ目は、リディと一緒に会場から離れた時のことだ。
今にも泣き出しそうなリディを人気のない噴水の近くにあるベンチへ座らせ、会場にいた給仕の一人に飲み物を二つ、頼んだ時だった。
「やあ、フィールズ君じゃないか」
「クーストン教授!」
壮年の紳士が俺に向って歩いて来た。俺が来年進む王立学院アカデミーの担当教授となる人だ。
「フィールズ君、この前の論文、興味深く読ませてもらったよ。我が国のインクの成分についての記述だが、あの中に含まれている誘導体の…」
「そ、そうですね、それは…」
やばい。いつもなら、興味深く聞かせて貰うが、今はこんなおっさんに付き合っている暇はない。早くどこかに行ってくれ!!
「そこで、次回は…」
「いえ、あの…それは、」
ようやく教授が俺を解放してくれた時には、リディをベンチに残してから十分ほど経過してしまっていた。
「リディ! すまない、教授と話していて遅くなった」
飲み物を手にして噴水まで急いで戻ると、リディの隣に誰かが座っていた。立ち上がったその男は、俺よりも頭一つ分、背が高い。
「君は彼女のご家族かな?」
「はい、妹ですが…」
「そうか。ご令嬢が沈んだ様子だったので、気になって声をかけさせてもらった。決して不埒なことはしていない。だが、今日は早く帰ったほうが良いかもしれない。きっと、ダンスを踊るのは難しいだろうから」
その男がリディを振り返ってそう言った。
リディの頬に、うっすらと涙の跡が残っている。
きっとまた、一人で泣いていたのだろう。
「私が馬車を呼んでこよう。君は妹君と一緒にいてあげてくれ。ご両親は、今も会場に?」
「…両親は本日、参加しておりません」
「そうか。では、学院長に私から伝えておこう。家名を教えてくれるか?」
「…フィールズ伯爵家です」
男は頷くとリディに一声かけ、足早に会場へ戻ってしまった。
「リディ、大丈夫か? さっきの方は…」
「知らない方よ。わたしがここで…泣いていたら、ハンカチを貸してくださったの」
「そうか…」
リディが何もされていないのならば良かった。けれど、妹を知らない男と二人きりにしてしまうなんて、兄失格だな。
「一人にしてごめんな。あの人が誰か知らないが、今日はもう帰ろう」
「でも、お兄さまは他の方への挨拶があるでしょう?」
「お前を一人で帰すことはできないよ。大丈夫、交流会の挨拶回りは来年しっかりやるさ。先ほどの方が馬車を呼んでくれると言っていたし、リディ、一緒に帰ろう」
どうせ交流パーティは来年も開かれる。
そんなものより、リディ、お前の方がずっとずっと大切だ。
◇◇◇
交流パーティの後、王都で数日リディと一緒に過ごした俺は、短期休暇を申請してリディと一緒にフィールズ伯爵領へ戻った。
母は相変わらずエドウィンの悪口を言っていたが、一時期よりは幾分かマシになっていた。多分、満足したか、言い飽きたのだろう。話がそちらに向きかけると、さりげなく使用人たちが母を誘導し、話題を逸らしてくれるのがありがたかった。
そんな中、速便で届けられた手紙が我が家に混乱を招いた。
今まで関わりもなかったグローリア公爵家から、リディへの縁談が舞い込んだのだ。
格上の公爵家からの縁談に、母は大興奮。しかし父と俺、リディは困惑を隠せなかった。
しかも、わざわざ王都から片田舎のフィールズ伯爵領まで、嫡男本人が見合いのためにやって来ると言うし、一体、何が起きているんだ?
リディのことは勿論そうだが、興奮している母がリディに与える影響も心配だった。恐らく今回も父は役に立たないだろう。俺は見合いが終わる翌日まで、休暇を延長することにした。
見合いの日、父が呼んだ商人が用意した淡い紫色のドレスはリディに良く似合っていた。
母は今年の新年のパーティで、リディが着ていたドレスを使い回ししようとしたが、流石に父が一喝し、既製品ではあるが、新調させたのだ。
この国の社交では、公の場で着たドレスを、他の社交でもう一度着ることは、相手に対して「あなたは着回しのドレスで十分」という意味を示すことになり、非常識なこととされている。
相手が前回、自分が着ていたドレスを覚えていれば、それこそ大問題だ。
…母からすれば、知らない相手=社交の場ではあったことがない=ドレスを着回ししても問題ないはず。という構図が頭に思い浮かんだのだろう…。自分が着るドレスであれば、サイズが変わったとか言って絶対新調しているだろうに。
本当はデザイナーを屋敷まで呼び、縫製して貰うのが一番良かったが、今回はそこまでの時間はなかった。そのため、リディの着丈に合った既製品のドレスを購入し、使用人たちが刺繍を入れてくれることになった。
ドレスを着て、使用人たちにメイクをしてもらったリディを見て心の中で頷く。
うん、可愛いな。俺の妹はやっぱり可愛い。
ちなみに親父はリディのドレス姿を見て、すぐに仕事部屋に戻ってしまった。どうせ、着飾ったリディを見て嫁に出すのか…と哀愁に囚われているのだろう。
だがな、褒め言葉の一つでも掛けてやれよ! リディが不安がっているだろうが。
そういうところだぞ、親父!!
母は朝になって突然、友人との約束ができたと外出してしまった。
こちらはこちらで、 "公爵家から縁談が来るほど、出来の良い娘を生んだ自分" と有頂天になっていたのが、状況によっては、"こちらから頭を下げる必要性が出てくる" ということを思い出したのだろう。
まだ嫡男とは言え、公爵家である以上、うちより格上の貴族だ。
ただ、俺としては、母がいれば話が中々進まないだろうと言うことも想像できたので、いなくて良かったと少し思ってしまった。
肝心のグローリア公爵家の嫡男は、まさかの交流パーティでリディと話していたあの男だった。俺が離れてしまった十分の間に、リディと話していたあの男。
見合いの席なのに、まるで商談を始めるかのように話し始めたのは面食らったが、あの男は俺の問いかけの全てに、明確に切り返してきた。
「失礼ですが、その元婚約者にリリーディアが似ているということではありませんよね?」
男の、以前の婚約者の話を出したのは、自分でも意地が悪かったとは思う。けれど、他の誰かとリディを重ねようとしているのであれば、そんな奴に妹は渡せなかった。
「それはありません。薄情だと思われるかもしれないが、五年経った今、すでに顔も思い出せない。元婚約者が現在どうしているかも知りません」
間髪を容れずに返され、俺は男をじっと見た。
どんなに家柄が良くとも、顔が良くとも、それだけでは足りないんだ。
「前回は破棄ではなく解消としたので、書類上の瑕疵はありません。しかし、」
例え不敬を問われても、俺はリディの兄ちゃんだ。
「兄としては、妹には幸せな結婚をさせたいと思っております。ですので、グローリア卿の一時の感情であれば、こちらとしては婚約を結ぶわけにはいきません」
「お兄さま…」
リディが目を丸くして俺を見上げている。
「…はい。リリーディア嬢に以前、婚約者がいたことは存じております」
男はリディを見つめ、言葉を選ぶようにゆっくりと続けた。
「無理にとは申しません。グローリア公爵家としても、この縁談を無理強いするつもりはありません。ただ、ほんの少しでも私との未来を思い描いて貰えればと思っております」
リディの男の顔を見る頬が少し赤い。
交流パーティの夜に、何があったのかは分からない。それでも、リディの心を掴む何かをこの男は持っているのだろう。
「王都での生活にご不安を感じるのであれば、リリーディア嬢が女学院を卒業されるまでの間、定期的に王都にある我がグローリア公爵家のタウンハウスに滞在されては如何でしょう。兄君は王立学園に籍を置かれていますし、何かあってもすぐ会える距離にあります。リリーディア嬢の不安も減るのではないでしょうか」
その提案は、俺の中の止めとなった。
確かに、王都には俺がいる。何より、母からリディを一時的にでも引き離すことができる。
……こんな申出をされたら、家族としては断れるわけがないじゃないか。
けれど、リディの縁談だ。決めるのはリディだ。
なあ、リディ。俺は、お前の決断を信じよう。
もしお前が縁談を望むのであれば、俺は全力で力になろう。
お前は、俺の大切な妹だ。




