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乙女ゲームの影薄妹系令嬢は何も知らずに幸せになる  作者: 高遠ゆめ
番外編◇そして、もうひとり
21/26

消えていく笑顔

 

「アーサー殿、どうしたでござるか? 眉間に皺が寄っているでござるよ」


 新年度が始まり、王立学院へ戻った俺は、学生寮で同室のフィリップ・ネーモルド子爵令息からそう尋ねられた。


「妹が、ちょっとな……」

「アーサー殿ご自慢の妹君でござるか? 力になれるかは分からぬが、よければ拙者に話してみては如何か」


 フィリップは造船業を営む子爵家の長男で、中等科からの付き合いがある友人の一人だ。

 何故か日本の武士を思わせる言葉で話しているが、これはフィリップが転生者だからではなく、幼少期に読んだ本が影響しているらしい。

 詳しくは忘れたが、フィリップが「ブシドー精神が……」とか言っていたから、その本を書いたのは多分、日本からの転生者だろう。


 いや、多くね!?

 日本からの転生者、多くね!?


 まあ、今更この世界に突っ込んだって仕方ない。

 剣と魔法の世界ではないだけ良かった。

 俺は絶対にドラゴンやモンスターとは戦いたくない。


 フィリップは話し方が変わっているが、良いやつだ。見た目は小太り気弱メガネくんだが、頭の回転は速いし機転も利く。家が商売人なのもあって、口も堅い。


 俺は妹の婚約者が、騎士科のエドウィン・ローレンスであること、妹がエドウィンと連絡が取れなくて落ち込んでいることをフィリップに話した。


「何と……」


 フィリップはメガネの奥で目を丸くした。


「アーサー殿の妹君の婚約者が、ローレンス伯爵令息だったとは」

「エドウィンを知っているのか?」

「直接話したことはないでござるよ。ただ、アーサー殿は本校舎で最近流れている噂をご存知か?」

「噂?」

「うむ。拙者も従兄弟から聞いたので、どこまで信憑性があるかは分からないでござるが……」


『第二王子は同じ学年にいる平民の少女がお気に入りで、常に側に置いている』


「何だ、そのやばい噂は」

「これだけなら、やばい噂ですんだでござるが、まだ続きがあるでござるよ」


『婚約者の公爵令嬢よりも、その平民の少女を優先している』


「は……? 第二王子、馬鹿なのか?」

「アーサー殿、外で言ったら侮辱罪に当たるから、気を付けるでござるよ」


 第二王子は確か、卒業後は婚約者の家に婿養子に入るんじゃなかったか? 婚約者を蔑ろにして、それで大丈夫なのか……?


「大丈夫ではなかろう。婚約者がいない拙者でも、婚約者以外の女性を側に置くのはおかしいとわかるでござる」


 フィリップは不味い茶を飲んだような、渋い顔をして続けた。


「女性は大切にするものでござるよ。もし、拙者が第二王子の学友であったとすれば、不敬となったとしても第二王子をぶん殴っているでござる」

「学友は……エドウィンは、止めなかったのか」


 王族の「学友」は、誰にでもなれるものではない。いくつかの審査が入ると聞いたことがある。

 簡単に言えば、反社会主義者を王族の側に置くことはできないと言うことだ。


 学友は国が認めた王子の友人。学校生活では、数少ない第二王子に意見を言える者。

 そいつらが、第二王子が他の女を側に置くのを止めなかったということか。


「……第二王子の婚約者は?」

「婚約者のバスター公爵令嬢は今のところ、静観しているそうでござるよ」

「静観……」


 最も影響を受けるはずの婚約者が静観……?


「どうなってるんだ……?」

「拙者も、第二王子と同じ校舎に通う従兄弟から聞いた話なので、詳細までは分からないでござる…。しかし、ローレンス伯爵令息は第二王子のご学友。妹君への連絡が減ったのは、その件が影響しているかも知れないでござるよ」


 フィリップの言う噂が本当であれば、最も影響を受けるはずの第二王子の婚約者が静観している以上、俺も動けない。噂をリディに知らせたとしても、さらに不安を煽るだけだろう。


「第二王子の学友が妹君の婚約者なのであれば、拙者にとっても他人事ではないでござるよ。従兄弟から何か情報が入ったら、すぐにアーサー殿に知らせるでござる」

「ありがとう。頼む、フィリップ」


 エドウィン、お前は……何を考えているんだ……?


 ◇◇◇


 フィリップと話してから数ヶ月が経ち、あの噂は本当だと言うことが判明した。


 俺が通う研究科の校舎に通う生徒——通称、分校舎に通う生徒と、第二王子とエドウィンが通う校舎——本校舎に通う生徒での、合同授業の時だった。

 国内外の著名人を講師として招き、幅広い分野について講義をしてもらう。一年間に二、三度行われるその授業では、高等科の生徒全員が学院内にある、式典にも使われる広さのホールに集まる。


 座席の指定はないため、自由に座ることができるが、何とその日は、最前列に第二王子と薄ピンク色の髪をした女が、まるで恋人同士のように寄り添って座っていた。

 確か婚約者のバスター公爵令嬢は、赤紫色の髪をしていたはずだ。ということは、あの女は婚約者じゃない。

 本来、第二王子の隣に座るべき彼女は、後ろの方の席で他の令嬢と並んで座っていた。手にした扇を開いて口元を隠しているため、どういう表情をしているかは分からなかった。


「アーサー殿」


 俺の隣に座るフィリップが、難しい顔をして俺の名前を呼ぶ。


「ああ…噂は本当だったみたいだ」


 そして、第二王子の学友のエドウィンは、まるで二人を守る騎士のように、第二王子の背後の席に座っていた。


 その年、エドウィンはローレンス伯爵領にも戻らなかったという。

 リディに届いたのは数通の手紙と、リディの好みを全く考えていない、量産品のハンカチという誕生日プレゼントだけ。


 余りのリディへの対応の酷さに、俺はついに我慢の限界を迎えた。


「エドウィン!」 

「アーサー。何だ、久しぶりだな」


 冬季休暇明け、学院で久しぶりに会ったエドウィンは、もう俺の知っていたエドウィンではなかった。


「何故リディへ会いに行かない。何故手紙の返事を出さない。お前の婚約者だろう!」

「ああ。そんなことか」

「そんなこと、だと?」


 エドウィンは誇らしげに笑った。


「俺は今、ジュード殿下の学友兼、護衛をしているんだ。学院内とはいえ、王族に何かあっては大変だからな」

「……第二王子は平民の女性をいつも側に置いていると聞いているが」

「アンリのことか? アンリは素晴らしい女性だ。平民だが、俺たちにない視点で物事を考えているし、話していてとても楽しい。ジュード殿下もアンリから刺激を受け、毎日を充実させていらっしゃる」


 エドウィンはそこまで言うと、少し悩まし気な顔をした。


「俺が思うに、ジュード殿下とアンリは思い合っていらっしゃるのだろう……しかし、ジュード殿下にはバスター公爵令嬢と言う婚約者がいる」


 学生でいられる時間はあと少しだからな、と知った顔をしてエドウィンは続けた。


「卒業までという、お二人の時間を守ること。それが俺の使命なのだ」

「……それは、妹との時間よりも大切なことなのか?」

「リディとはいつでも話せるだろう? しかし、あの二人の時間は限られている」


 あくまでも第二王子の学友として行動しているために、リディとの時間を作れないと言い張るエドウィンに、俺は怒りを抑えながら尋ねた。


「お前、リディと結婚する気はあるのか?」

「勿論だ、婚約者だからな」

「そうか……」


 俺たちが卒業するまで、約一年。

 この一年が終われば、また、お前の隣で幸せそうに笑うリディを見ることはできるのか?

 しかし、リディがエドウィンを慕っている以上、俺もこいつを信じるしかなかった。


「わかった。ただ、リディに会いに行ってやってくれ。お前に会いたがっている」


 エドウィンは俺の言葉に眉を顰めたが、「わかった」と、小さく頷いた。


 ——けれど、次にエドウィンがリディに会いに行ったのは半年後、婚約破棄を告げるためだった。


「わたしの可愛い娘に……!」


 驚いたことに、エドウィンの心変わりを最も激怒していたのは母だった。

 母は泣いているリディを抱きしめて、優しく頭を撫でていた。


「可哀想なリディ。あなた、彼をすごく好きだったものね」


 流石の母も、こう言う時は娘思いの母親として振る舞えるのかと思ったが、そんなことはなかった。

 何処まで行っても、母は母だった。


 エドウィンが婚約破棄したいとリディに告げた夜のことだ。

 泣き疲れたリディが自室で眠った後、談話室で母は、親父と俺の前で少し落ち込んだように言った。


「婚約破棄されるなんて…()()()()()()()()()()()


 次の瞬間、親父が椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。

 目を丸くしている母へ、父はゴミを見るような目を向けた。


「アーサー、部屋に来い。仕事のことで話がある」

「ちょっと、あなた。こんな時まで仕事? リディが大変なのよ」

「うるさい。お前は先に寝ていろ」


 親父は使用人に母の世話を命じると、荒々しく談話室を出て行き、仕事部屋に向かった。

 仕事部屋の椅子に座った父は、顔に珍しく苦悶を浮かべていた。


「どうして、あいつは……ああなんだ」

「今更じゃないですか」


 俺は親父を冷たく見据えた。


「あの人はリディの心配なんてしていない。心配しているのは、婚約破棄されそうな娘を産んだ()()の心配だ」


 母上はエドウィンを気に入っていなかったし、内心は婚約破棄になるのを喜んでいるんじゃないですか。


 俺がそう続けると、親父は苦虫を噛み潰したような顔で黙った。

 この人はいつもそうだ。立場や分が悪くなると黙り込む。自分の妻と向き合おうとせず、全て俺とリディに押し付ける。


 母がエドウィンを気に入っていないのは、二人が婚約した時から薄々気づいていた。

 エドウィンは、脳筋で真っ直ぐな奴だ。言い方を変えれば、融通が利かず、思い込んだら一直線。

 つまりは母にとって、自分の家来に出来ない、気に入らない男。


 追加で言えば、ローレンス家が伯爵だと言うことも気に入っていない一環だっただろう。

 母のことだ。もし、爵位が下の子爵家や男爵家だったら、「リディのため」とか言いつつ、相手の家のことに口出ししているはずだ。

 しかし、同格の伯爵家であればそうはいかない。


 今、鬼の首を取ったようにローレンス家を責め立てているのは、やっと口実が出来たからだ。相手を屈服させるための口実が。


「父上」


 俺の呼びかけに、ノロノロと顔を上げた親父は、乾き切った唇を開いた。


「あれが……テオドラが、おかしいのは分かっていたが……ここまでとは思わなかった。リディを婚約させたのは、できる限り早く、この家から出すためだ。それなのに、ローレンス家は……」


 俺はグッと拳を握った。


「ローレンス家とのことは、もうどうにもならないでしょう。この状態で、婚約を続けさせる方がリディにとっては酷だ。できる限り、リディが傷つかないように事を運ぶしかありません」

「……そうだな」


 親父は長い長いため息を吐いた。


「ローレンス家との話し合いは私が全てやる。お前は、時間が許す限り、リディの側にいてやってくれ」

「言われなくても」


 それから始まったローレンス家との話し合いは、ひと月に及んだ。

 親父は自分が一任してやると言ったが、あの母を止められるはずはなく、随分と話し合いを引っ掻き回したらしい。

 最終的には、婚約は破棄でなく解消となり、慰謝料という名の金が振り込まれた。


 何より最悪だったのは、時間が過ぎるに連れて、母の中でリディが「婚約が無くなった可哀想な娘」ではなく、「いつまでも失恋を引きずる情けない娘」に変わったことだった。母は、リディの目の前でエドウィンの悪口を平然と言うようにもなった。


 その度に俺や親父が話題を変えたり、使用人たちも母の気を逸らしたりしているが、俺もずっと領地にいられる訳じゃない。夏季休暇が終われば、王立学院へ戻ることになる。母とリディを二人きりにするのが、心配で仕方なかった。


 九月になり、後ろ髪をひかれながら、王立学院の学生寮へ戻った俺に、親父から一通の手紙が届いた。もうすぐ開催される王立学院の交流パーティ。そこに、リディを連れて行くようにとのことだった。

 王立学院で開催される交流パーティは夜会と同じ時間帯のため、十六歳以上しか出席できない。これまでは親父と参加していたが、リディも今年十六歳になった。参加資格はある。


 親父がこんな指示を出すなんて、余程リディを母と二人きりにはしたくないらしい。


 親父が王都に向かえば、何だかんだ言いつつ母も一緒に来るだろう。それでは元も子もない。だから、今回、親父は王都へは来れないと言う。


 リディはまだ、夜に一人で泣いているのだろうか。


 交流パーティでリディがエドウィンと鉢合わせする可能性は十分あった。それでも、少しでも交流パーティがリディの気分を明るくしてくれれば。


「こう言う時に、電話があればなあ……」


 スマホまでは言わない。せめて電話でもあれば、リディの様子を窺うことができるのに。


「アーサー殿、『でんわ』とは何か?」


 呟いた声が聞こえたのか、近くに座っていたフィリップに尋ねられた。


「あー……いや、音声を電気信号に変換して、離れた場所にいる相手に声を伝えられたらいいなと思ったんだ」

「ほう、なかなか興味深い事を申すでござるな。妹君の件でござるか」

「ああ……」


 フィリップは痛ましそうな顔で俺を見た。


「妹君は今、さぞお辛いであろうな……アーサー殿が妹君と声だけでも話したいと思う気持ちはよくわかるでござるよ」


 少し迷ったような顔をしたフィリップは、俺を気遣うように言った。


「もし、妹君が爵位を気にしないのであれば、拙者の弟を紹介するでござるよ。弟は拙者と違って、なかなか良い男でござる」

「ありがとう……でも、妹はまだ気持ちが落ち着いていないだろうから、気持ちだけ頂いておくよ」


 フィリップは良いやつだ。外見に自信がないフィリップは、「弟を」と言ったけれど、俺からすれば、フィリップだって十分良い男だ。フィリップならきっと、真綿で包むように、リディを幸せにしてくれるだろう。


 けれど嫁ぎ先が子爵家では、恐らく母の介入を止められない。フィリップの家にまで迷惑をかけられない。


 リディのことを気にかけながらも、時間は過ぎ、交流パーティの開催日が近づいて来た。

 王都へ使用人たちとやって来たリディは、少し痩せたようだった。

 夕食を一緒に食べ、リディが先に眠ったことを確認した俺は、リディ付きのメイドであるハンナに尋ねた。


「母上は、リディに何を?」

「奥さまは…」


 ハンナは口ごもったが、俺が促すと言いづらそうに話し出した。


「お嬢さまが時々泣かれているのを見て、メソメソしてみっともない、と。あと…」

「あと?」

「ローレンス伯爵令息が、お嬢さまに今まで送られた物や手紙を、もう必要ない、邪魔だとおっしゃって…」

「リディの許可なく捨てたのか」

「…はい。お嬢さまの目の前ではありませんが、お嬢さまが知るのも時間の問題かと…」


 このままではいけない、親父では母を止められない。リディを出来るだけ早く、母から離さないと。


 妹が、潰れてしまう。


 一番手っ取り早いのは、新しい婚約者が決まることだろう。出来れば爵位が伯爵よりも高く、領地がフィールズ伯爵領から遠く、リディを大切にしてくれる相手。

 けれど、まだ失恋の痛手が癒えていないリディに、新しい婚約者を当てがうなんて、それこそ鬼だ。


 いい策が、何一つ浮かばない。


「…とりあえず、交流パーティが終わってから考えるか」


 交流パーティの後、俺も一緒に領地に帰る予定にしている。領地にいられるのは一週間ほどだが、両親とリディ、三人だけにするよりは多少はマシだろう。


 交流パーティまではあと四日。

 タウンハウスにいる間、少しでもリディの心が休まればいい。


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